聞かれてしまった。
会長の去った後も呆然と立ち尽くしてしまう。戻せるものなら時を戻したい。そんな馬鹿なことを願おうと、俺にできることといえば精々感情を読むくらいだ。してしまったことは覆らないし、去った背中は戻ってこない。
「……馬鹿だな」
目元に手をやる。涙は出ない。そもそも俺は傷つけた側であって、泣いていい立場ではない。それなのに。
――恋というのはかくも切ない。
のろのろと茂みを後にする。
「あああぁ!」
出るなり聞こえた大きな声に、今日の俺は本当についていないなと唇を噛む。聞こえなかったフリで逃げようと後退するも、転校生に腕を掴まれ断念。相も変わらず欲をぶつけてくる転校生は俺にとって天敵だった。
「あっおい! そうしたんだよ律っ! 気分悪いのか?!!」
吐き気によろめく俺を元凶の手が支える。お前さえ手を離せば収まるんだよクソ。
悪態をつく元気すら出ない。完全なる追い打ちだ。
そうとは知らない転校生は俺をベンチに座らせる。転校生は支えていた手を離し、俺の背を擦ってくる。善意には違いないのに、生憎と体調は悪化していた。俺が普通なら、人の善意に苛つくことも、会長を傷つけることもなかったのだろうか。俺が、普通じゃないから。
体と心は繋がっている。
体が弱れば心も弱る。先ほどは出なかった涙がぽたりと膝を濡らした。
申し訳なくて、情けなくて。惨めな気分だった。今の俺に触れたら、さぞかし鬱陶しい感情が流れてくることだろう。
「律?! どうしたんだ!?? なんで泣いてる!!!?」
「転校生、声大きい……」
「あっごめん」
意外にも素直に話を聞いてくれた転校生は、馬鹿みたいに手で口を覆い隠す。
「それで、なんで泣いてんだ?」
いつもより心持ち静かな問いかけ。弱っていた心はぼろり、返事を返す。
「……好きだって言ってくれた人を、傷つけちゃって」
「おう」
「でも俺、その人のことが好きで」
「おう?」
「好きなんて初めて言われたから、どうしたらいいか、わかんない」
苦しい。
俯くと、転校生は静かに俺の背を撫でる。
――《心配》《困惑》
息が詰まった。初めて気分が悪くならなかったから。
あの転校生が、というギャップもあるのだろうが、心配されたという事実が純粋に嬉しかった。
「あのさぁ、律。俺、あんま頭良くないから間違ってるかもしれないけど……」
転校生にしては珍しく自信なさげな言葉を枕詞に、
「それ、ごめん、好きだよって言えば済むことだろ? なんで泣いてるんだ?」
単純明快。
副会長たちが転校生に惹かれる理由がちょっと分かった気がする。まどろっこしいこと一切合切投げ捨てた転校生の理論は時として救いになる、らしい。
「ふ、ふっ、ありがと、転校生」
「〜〜〜〜〜っ凜って呼べよ! 律!」
「それは無理」
……最後の最後で《欲》が滲んだことは見逃してやろう。内心でそう呟いた俺の耳に、足音が一人分。
「おい、律に触れるな藤堂凜」
顔を上げると先ほど背を見たばかりの会長の姿。息切れしているところからして、相当焦って来てくれたようである。
「あああ! 創っ!」
「転校生、声」
「あっごめん」
再び手で口を覆った転校生に、会長は奇妙なものを見るような目を向ける。転校生はといえば覆った手の向こう側でもごもごと何かを言っているが、よく聞き取れない。なんだって?
「転校生、ありがとう。大分気分良くなったよ」
「ほんふぉうふぁ?(本当か?)」
「ほんとほんと。ほら、もう行きな。副会長たちも心配する」
促すと、ああ!という大きな声を上げて転校生は中庭を後にする。
嵐の去った中庭。俺と会長の間に沈黙が落ちる。
「――藤堂に触られても平気だったんだな」
先に口火を切ったのは会長だった。
ああそれを見たから慌てて駆けつけてくれたのか。
俺が以前転校生に触れられるなりパニックを起こして苦しみはじめたため気にかけてくれたらしい。そんな気遣い一つにきゅんとときめいてしまうなんて。我ながら単純で、恥ずかしい奴。
そんな内心と反対に口元はいともたやすく弧を描く。
「会長。俺、生徒会に入ってよかったです」
唐突な言葉に目を見開いた会長だったが、「さっきは入るんじゃなかったって言ったくせに」と顔をしかめる。
「……それはごめんなさい。違うんです。ただ、俺の心の容量がいっぱいいっぱいになっちゃって」
「容量」
至極真面目な顔で言葉を反復する会長にふっと笑みが漏れる。俺の中で何かが変わったと気づいたのだろう。会長の手に触れると、案の定《不思議》という感情が流れてきて笑みが漏れる。
――《好き》
触れる内に流れてきた感情の内の一つ。
「俺。人の感情を読み取れるんです」
「へ、」
「会長。俺も会長のこと、好きですよ」
「へ??!!」
「へしか言わねぇ、バ会長うける」
「告白と罵倒どっちかにしてくれ」
「バ会長うける」
「なぁんで罵倒をとったんだよ!」
だぁん!
会長がベンチを殴る。痛い、と手を擦るこの人は頭のいい馬鹿なんだと思う。
「会長」
「……ん、」
「五十嵐創会長」
「っ、ん」
「好きなんですけど」
「、おう」
「なんだよ好きって言ったのにおうとか。語彙どこいったんですかハワイですか」
フンとそっぽを向くと、会長は「こっちもいっぱいいっぱいなんだよ!」と俺の肩を掴む。
――《 》
読み取った感情は、告白の返事で。
手順を飛ばして伝わった返事は心の奥底を甘く痺れさせる。
「とりあえず、律。話をしようか」
「喜んで」
立ち上がる会長。ほら、と手を差し出すと仕方ないなと困ったような顔で指を絡ませる。おい、顔と感情が合ってないぞ。
「最初は触れるなって言ってたのになぁ」
「は? なに大昔の話してるんですか。やだやだ、化石はこれだから」
「かわいげねぇ……」
「嘘つかないでもらえます? 違うこと考えてるのバレバレなんで」
ほらと繋いだ手を掲げると、「触ったら伝わるってことかよ」とうなだれる。そこまで内情を明かされても《嫌悪感》が流れてこないあたりなんというか。
ああもう、たまらなく《好き》だ!!
(6/12)