あの夏の日を忘れない
33 二村菖side
 閉じゆく扉を見届け、壁にもたれこむ。中の方でクソ会長が電源をつけたのだろう、放送中のランプが赤くなった。

『円? なんで放送室なんか……』

 訝しむ声。家族に向けた独特の無防備さにどきりとする。
 
『だって放送室って防音だし』
『防音でしなきゃいけない話ってなんだよ』

 ふてくされたような話し方。甘えた仕草を思わせるそれに口元が緩む。随分入れ込んでしまったものだと今更ながらに思う。何気ない声色一つに胸が温かくなるなんて、一年前では考えられなかった。
 それは今椎名と話しているヤツも同じだろうが。

『え〜恋バナとか?』
『馬鹿なのか?』
『流石に冗談だ。とりあえず今この場では』

 余計な一言。わざとらしく付け加えたのは外にいる俺に対する嫌みだろう。気づいてはいたが、あのクソはどうも俺と椎名が最後までヤったと勘違いをしているらしかった。いや、もしかすると最後まではヤってないと分かった上であの態度なのかもしれない。椎名に対する応対を見るにありえなくもないと思ってしまう。
 一転。弟向けの声音でアホは話を促す。

『ま、折角第三者のいない場に来たんだ。ゆっくり話さないか』

 遊びを持ち掛けるような楽し気な口調で。
 
 ――そうだな、まずは俺を家から逃がしたその後の話とか。

 口内が乾く。ありもしない唾液を飲み込み、耳を澄ます。ええぇと渋る椎名に、一体どれほどの生徒が気づいただろう。椎名は桜楠の”逃がした”発言を否定しなかった。つまるところ、これから語られるのは今まで椎名兄弟の、ともすれば兄の方にさえ隠されていた真実なのだ。

『あんまり話したくないな。聞いて楽しい話なんてほとんどないし』
『そうか。……まぁ大方は把握しているから都度間違ってたら訂正してくれ』
『把握してるならもういいだろ』
『把握してるつもりになってるだけかもしれない。……由、俺はもう間違いたくないんだ』

 意味は分からなかった。
 それでも椎名に真意は通じたのだろう。分かった、と小さな声がスピーカーから聞こえる。

『ありがとう。お互い思い出したくないことも多いから随所ぼかしてくぞ。……父さんが死んでから、母さんは徐々に疲れを見せるようになった』
『ああ』
『家族の関係が妙なことになっていると気付いた由は、俺を椎名家から逃がすことにした。……周りの誰にも作戦を打ち明けることなく』
『……ああ』

 同じ声にもかかわらず、聞こえ方がこんなにも違う。桜楠が子供を宥めるように語るのに対し椎名の声は感情を殺しているのか無機質だ。感情の乖離した声音に桜楠の口調は殊更優しく変化する。バクバクと心臓が早鐘を打つ。息苦しかった。聞くと覚悟を決めてこの場に臨んだ、その筈なのに。いざ椎名の話に向き合うことがこんなにも恐ろしい。
 まだ語りはじめに過ぎない。分かっているのに。

 この話を最後まで聞いて大人しく聞き分けのいい振りができるか。自信がなかった。落ちつけと親指を拳の中に握り込む。校舎はしんと静まり返っている。誰もがこの放送に耳を傾けているのだ。きっとそれは、椎名に誹謗中傷をぶつけた名も知らぬ誰かでさえ。

『俺は無事逃がされたけど、ここで二つ誤算が生じた。一つ、逃げる必要のある状況に今度は由が陥ったこと。二つ、俺が一部記憶を失っていたために正しく由の意図が伝わっていなかったこと』
『……二つ目は誤算じゃない』
『ああ確かに。そこは織り込み済みだったんだもんな。じゃあ正しくは、それをきっかけに俺が自分は捨てられたのだと誤認したこと、か?』

 今度ばかりは否定しきれなかったのか返事の代わりにぐぅという唸り声が聞こえてくる。当の本人は椎名のリアクションを軽く笑い飛ばし、「それで」と話を続けた。鬼か。

『由が追い詰められつつも俺を守っている間、俺は勘違いを深めてのうのうとただ日々を過ごしていた。一人の犠牲を無意味に消費していた』
『それは違うッ』
『違わねぇよ。俺が逃げなきゃお前はこんな目に遭わなかった。こんな、悪意をぶつけられていい存在じゃないんだ、お前は、』

 耐えるように声を詰まらせた桜楠は、涙で濡れた声を出す。

『大切なんだ、何よりも』

 ああ本当に、よく似ている。
 片割れを大切に思う桜楠は、自分が犠牲になればよかったと後悔しているのだろう。その犠牲が具体的にどんなものかは語られていないが、時折その歪さを垣間見せる椎名からして生温いものではなかったはずだ。

 ――もう嫌だ、なんでいなくなろうとすんだよッ

 夏休みの交流会。
 椎名の涙をまだ、覚えている。

 なァ、分かっただろ。
 心の中で呼びかける。

 お前らが守ろうとした会長は、結局のところお前らが泣かせたんだ。

  





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