あの夏の日を忘れない
21
「ん、じゃあ椎名のお母さんがいなくなったのはいつ頃?」

 三浦に問われ、思い出す。

「……遠足のすぐ後」

 そうだ。夏休み、実際に家に帰ってから違和感が明確になっただけの話で、母さんの不在自体はその前から伝えられていた。あの時も、やけに緊張した風の一秀に何かおかしなものを感じていたのだ。田舎に療養という言葉の真偽は置いておくとして、母さんが隠されていたこと自体は間違いないだろう。

 結構前だねと呟いた三浦はノートにさらりとメモを取る。崩れた字は意図したものだろう、何と書いてあるか分からない。

「次。椎名のお母さんに何か異変とかなかった?」
「特には……、」

 いや。
 ゴールデンウィーク後半に母さんは倒れていなかったか。医者に診てもらっても原因が分からず、精密検査を受けるよう勧められた筈だ。その後の電話で母さんが療養のため田舎へ行くと告げられた。

 ――妙じゃないか?

 療養の件を告げる時、一秀は言った。
 “心を休めるため”田舎に行くと。まるで母さんの倒れた原因が心因性であるかのような話運びだったが、一秀は一度でも倒れた原因について言及しただろうか。まるで倒れた原因を隠すかのようにその話についてはっきりと触れたことはないのではないか。

 そういえば。

「ありがとうって」
「え?」
「母さんが俺にありがとうって言ってたって」

 思考のスピードに言葉が追いつかず、断片的な物言いになる。誕生日の日。遠足のお土産の件について一秀は言った。

 奥さま、……由にありがとうって仰ってたよ。

 あの時は“円”に言ったのだろうと解釈したが、今考えるとそれはおかしい。もしそうであるなら、一秀はわざわざ“由に”とはつけず、こう言う筈なのだ。

『奥さま、ありがとうって仰ってたよ』

 それをしなかった。ということは母さんは正しく“俺に”お礼を言ったのだろう。

「……三浦」
「ん?」
「死んでる人間にお礼を言う時ってどんな時?」
「えっ?」

 驚いた風の三浦は、すぐに思案顔になる。

「生きてる頃の行動の真意に気付いた時……、日々の何気ない瞬間にその人の存在を感じた時。あとは……」

 死んだ人間が実は生きていると気付いた時。

「とか?」

 悪戯っぽく付け加えられた言葉に口元を隠す。生きていると、気付いた時。

 期待と不安と、嬉しさと虚しさ。色々な感情がぐるぐると渦巻いて。口角は曖昧な形をとった。

***

 最後に倒れていたことから、母さんはおそらく病院にいるのだろうとの結論が出た。最初に比べると絞れた方ではあるが、日本か海外かさえ分からないことを思えば未だその範囲は広い。

「……?」

 廊下をバタバタと走る風紀委員の姿。いつもより一時間ほど早い登校であるにも関わらず、数が多い。

 バタバタと慌ただしく走る風紀委員の中に二村の背を見つける。

「二村っ」
「ア? ……ああ、ッス」
「あぁ、おはよう。何かあったか?」
「あ゙ー。見たほうが早ぇ」

 顎をしゃくり走りだす二村に続く。着いた先で、二村の言葉を理解した。ああなるほど、確かにこれは見た方が早いだろう。

「……これが学園中にばらまかれてる」

 目の前には俺が街で喧嘩をしている写真。隣には青や橙らしき人物も写っているが、顔がしっかり写っていないためそうと知らない生徒は気付かないだろう。

 走り回る風紀委員を見ながら二村が言う。

「いくら風紀委員で公然の秘密扱いされてても、こりゃまずいだろ」
「二村……、」

 視線を向けると、二村は照れたように指先で頬をかく。

「お前、そんな難しい言葉知ってたんだな」
「うっせぇわ」

 にしても。
 ターゲットが俺だというのは分かる。だが、青と橙の写っている写真を使っているのにその二人をスルーしているというのはどうなのだろう。顔も意図して写していないというより、たまたま写っていないという印象だ。やっていることが中途半端なのだ。
 ターゲットは俺。他二人が族に入っていることを公にしたくないのであれば、初めから俺のみが写っているものを使えばいい。それをしない。つまり、彼らがここの学園で知れた人であることを知らないのだろう。

 穴の多い論理だ。間違っている可能性もある。だが、この推測が当たっているなら。

 ――俺だけを見ていればいいのに。

 心当たりは、約一名。
  





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