今日は酷い雨らしい。地味な騒音と湿気のせいで気色の悪い目覚め方をした俺はとても苛ついていた。時計を見ると、朝にしては遅すぎる時間だった。こういう日は時間の感覚さえ失ってしまうから厄介だ。俺は適当に準備を済ませて、大きめの傘を持って家を出た。この、傘を持たなくっちゃあいけないっていうのが余計に俺を苛立たせてくれるわけだ。実際のところ傘を持たなくても俺は良いのだが、一度びしょ濡れでブチャラティたちのレストランへ行ったら、常識はずれだのズレてるだの言われたことがあった。傘を持つよりそっちの方が欝陶しかったので、それ以来俺は雨の日にきちんと傘を持って外へ出ることにしている。



 本当に、バケツをひっくり返したような雨だった。傘にばちばちと雨粒が当たってやかましいことこの上ない。すれ違うやつらもみんな揃いも揃って傘をさしていた。なんとなく苛立たしかった。誰か一人くらいは俺と同じ考えのやつがいても良いはずだ。傘なんか無くても生きていけるからだ。風邪をこじらせればもしかしたら命に関わるくらいの熱は出るかもしれないが、そんなに人間てのはやわくないはずだ。


 と考えていた俺の視界にふと、不快な何かが映った。あいつだった。俺の苛立ちは最高潮に達した。


 どうして朝っぱらからあいつの生意気な面を視界に入れなきゃあいけないんだ。今日は一日良いこと無いに違いない。ちょっとした屋根の下で雨宿りをしているらしいあいつは、しゃがみ込んでぼうっとどこか斜め下四十五度を見下ろしていた。




 素通りすることにした。話し掛けたって得られるものは何もないと思ったからだ。俺の傘を見せ付けて優越感に浸ることくらいはできたかもしれないがそこまで俺はガキじゃあない。

 朝は晴れていたんだろうか。あいつが傘を持っていないっていうことはそうなんだろう。何かの用事で自分の家を出たあいつはきっと何か用事を足したか足そうとしたかでうろうろしているうちに雨に降られた。天気予報だとかそういうのを確認する癖が無いのかもしれない。空を見て、降りそうだとか予想する気もねえらしい。




 足が止まった。これだけあいつのことを考えていたんじゃあ素通りした意味がまったく無いじゃないか、苛々する。踵を返すと水が勢いよく跳ねた。つかつか近付いていくとあいつが俺に気付いて嫌な顔をした。



「こんにちは」
 嫌な顔のままナマエは言った。挨拶されると思わなかった俺は一瞬、言わんとしていたことを忘れる。
「…………おう」
 嫌な顔がまた下を向いた。今日のナマエは威勢が良くない。だがそれの理由を聞くために俺はここにいるんじゃあない。傘を畳んで適当に差し出すと、ナマエはこっちを見上げてからますます嫌な顔をした。
「んだよその顔は」
「なにその傘」
「わかんねえのかよ」
「…………………ゴミだから捨てろってこと?」
 ナマエの前で傘を振る。水滴がかかったらしい、当たり前だしそうした。ナマエはますます不愉快そうな顔になった。
「なにすん……」
「ゴミじゃねえ。俺が今まで使ってたのを見てなかったのかお前は?あ?」
「じゃあなに……前の彼女のだからいらないとか?だあーもうそれやめなさいよ眼に入る!」
 このままでは俺も無駄濡れなのでさっさと受け取ってほしい。せっかくこっちが優しくしてやってるのにこいつはなんて気が利かねえんだ。繊細さのかけらもねえ。服がだんだん重くなってきた。
「貸してやるってんだよわかんねえやつだな」
「はあ?あんた濡れるじゃないの」
「いいんだよ俺は」
 ミスタたちにまたごちゃごちゃ言われるからして『良い』ってことはないが、とにかくこいつがうずくまってじっとしてるのが気になって気になって仕方が無いから俺はこうやって傘を渡しに来てやっているのだ。俺は風邪だってそうそうひかないし濡れたって良いわけだしそもそも傘なんていらない。こいつは違う。一応女だ。濡れれば風邪をひくだろうし女が体を冷やすのはよくねえっていうのをどっかで聞いたことがある。
「………………いいわよ、別に。急いでるわけじゃあないし」
「うるせえな!黙って受け取りゃあいいだろうがトロくせえ」
「私がここにいてあんたがこっち来なければどっちも濡れなくて済んだでしょ」
 正論だ。言葉に詰まる俺を呆れたような眼でナマエがちらりと見た。



「……要するに、二人とも濡れなきゃあ文句はねえんだな」
「あ?」
 傘を開くとまた水が飛んだらしい。ナマエが眼を細めた。そのまま流れでナマエの手首を掴んで立ち上がらせる。
「どこだ」
「え?は?」
「どこ行くんだよ」
「え……あー……家」
「行け」
「…………………はあ」
 傘の柄を挟んで俺達は並ぶ。こいつこんなにチビだったか、おかしいと思って足元を見るといつものヒールを履いていないことに気が付いた。



 雨の降る音だけが、傘の中で反響して妙に響く。俺もナマエもしゃべらないからだ。ナマエが立ち止まった。
「あ?」
「ここ曲がるんだけど」
「先に言え」
 一瞬傘から出ただけでも、ナマエの肩はだいぶ濡れていた。自然と舌打ちが出た。癖だ。


「……なんか」
「あ?」
「ちょっと見直した」
 ナマエが正面を見たまま言った。
 見直したってどういうことだ。俺が、雨の中一人で困ってる女を見捨てていくような男だとでも思ってたのか。いや実際そうしようとはしたが、それは相手がお前だったからだ。それにしてもこいつの言うことはいちいち癇にさわる。素直に『優しいのね』だとか『ありがとう』だの言えば良いのに。

 苛々しすぎてどう答えれば良いのか黙っているとナマエがまた立ち止まった。後ろへ二歩戻って曲がるのを待つが、こいつは動かずにじっとこちらを見上げていた。

「……さっさとしろのろま」
「もうすぐそこだから」
「いいから、………………なんだよ」
 がし、と肩を強く掴まれた。痛くはないがとても不可解だ。薄暗い中で目の前のやつの顔はほんの少し赤い。


 なんだこいつ、照れてやがるのか。
「……………ありがとうございました」
 そう言った、と思ったらぱしゃぱしゃと踵を返して駆け出す。おい、と声を掛けても振り向かなかったのでそれ以上叫ぶのはやめた。


 なんだかもやもやしてその場に突っ立つ。
 なんで肩を掴まれたのかとかありがとうひとつ言うのにどうしてあんなに照れていたのかとかいろいろ考えてみたが、よくわからない。ただ、あいつに対しての印象が少し変わったのは確かだった。うざい奴から頭おかしい奴へ格上げしてやっても良いと思う。


20090525

ツンデレ×ツンデレは難しい。この二人はどうやってくっつければ良いんですか、誰か教えてください。ていうかすごいゆるゆるですね

title:チョコフォン





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