殴られた。拳でだ。ギアッチョはキレると本当に見境も容赦も無くなるけれど、ただ今回は私の頬が冷たさを感じなかっただけ、ギアッチョの動揺をよく感じられた。冷たさどころか熱ささえ感じて、口を拭った。鉄の味がじわりと口の中に広がる。

 やられてばかりでは癪だったので、殴り返した。ギアッチョの赤い眼鏡が吹っ飛ぶ。
私も能力は使わない。人を素手で、それも拳で殴ったことなんかなかったから、指の間接がひどく痛む。全力でやってしまったから、指の骨が脱臼したりしてないだろうか。いや、今はそんなことは気にしていられない。ついさっき触ったギアッチョの頬と固い歯の感触が忘れられなくて私は拳を握ったり開いたりした。ぱきぱき、と骨が擦れる。

 
 ギアッチョはこちらをぎろりと見下ろした。口の端から、眼鏡の代わりみたいに赤い血がつうっと伝う。今にも私を殺しそうなくらいに、怒っている。

 ギアッチョが怒っている理由を、私はちゃんと分かっていた。五年も付き合ったボーイフレンドをほったらかしにしてギアッチョのうちへ押しかけて、突然にキスしたからだ。ギアッチョは私も自分も、お互いにお互いを好きなのを知ってる。だから、怒ってる。

「いてえ」
「私も痛いわ」

 ギアッチョが、フローリングの上に血の塊を吐き出した。からんからから、と音が鳴る。歯が折れたんだろうか。私の歯は折れてなかったので、ごめん、と謝ると鼻で笑われた。



 今日で五年目の彼は、私にとても優しかった。私が、例えば、何万ユーロもするドレスが欲しいと言ったとしよう。これが本気かそうでないかは全くもって問題では無い。彼は次の日には、綺麗で洒落た箱にそのドレスを詰めて、私に心からの笑顔で差し出すだろう。彼はお金を持っているからだ。それは彼の下心からでなくて、私に『喜んでほしい』からそうするのだと、私はきちんと分かっていた。分かっていたが、別に私が欲しいのはドレスじゃなかった。指輪じゃなかった。真心でも無かった。


 今朝彼から届いたメールには、会いたい、とだけ打ち込んであった。胃がひっくり返りそうになった。彼が、理由を伝えずに私を何かに誘ったことはなかったから私はすぐに察したのだ。そのメールに返事をしないで、朝から晩まで悩んで、結局私はここにいた。

「おまえ、とんでもねえ女だな」
「どこがよ」
「プロポーズすっぽかして他の男のうちに来るか、普通」
「悪いと思ってる。彼にもあなたにも」

 ギアッチョがそっと指先で私の口角に触った。少し痛む。殴ったり優しかったり、まったくこの人は忙しい人だ。くるくるの髪に守られてる脳みそは何を考えてるんだろう。私の愛(いや、恋かも)だけなら良いのに、とちらりと思った。




 ギアッチョが乱暴に私の肩を押した。殴られても倒れなかった体がバランスを崩してソファに落ちる。拍子に足を捻った。眼鏡をばき、と踏み付けて、ギアッチョは私の上に跨がる。

「おい、先に言っとく。やめるなら今だ」
「今から行ったって、もう私は彼から何も貰わないわ」


 ぶち、と約一年前にもらったネックレスを、ギアッチョは力任せに引きちぎった。貰った時にどう感じたかを、思い出せなかった。




きっと結ばれる


20090516



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