(*ナマエちゃんが幼女)

 ナマエがリゾットの部屋の前に立ち尽くしていた。廊下に入った瞬間にそれが目に入ったものだから俺は一瞬驚いて固まったが、結局、ナマエがこっちを見て眉尻を下げたので、何かマズいことでもあったのか聞いてやらなくちゃいけないことになった。ナマエを放っとくと『良い父親になれない』どころか『人間として終わってる』とかなんとか集中砲火を受ける羽目になるからだ。別に何言われようと構わないのだが、昼食にいろいろと混ぜられるのは、ごめんだ。

 俺は、らしくない顔でこっちを見上げるナマエと距離を置いたまま目を合わせた。
「あのねギアッチョ、今日ヴァイオリンの日だったんだけど」
「…………」
 プロシュートがやらせてる習い事だ。
「なんかね、今度ね、発表会をやるらしくてね。ほら、これ」
 ナマエがペラい紙を一枚、俺に向かって見せた。なんだよ、メガネしてるからってこんなに距離あっちゃあ見えねえよ。不満を舌打ちに込めてから、二、三歩大股で近づいてピンク色の紙を受け取った。
「もっとやさしく取ってよ」
「ああァ〜〜?平日じゃねえかよ」
 黒い明朝体だ。面倒そうに簡単に、場所と日時と決まりきった挨拶だけがつらつら打ち込まれている。
「そうだよ」
「そおだよ、じゃねんだよアホ面ひっさげて何やってんだこんなとこで。あ?通行のジャマなんだよジャマ」
 明らかにムカついたらしいナマエが、もういい!と拗ねて、俺の手から俺よりも暴力的に紙を奪った。
「あっおい!コラ!手切ったらどうしてくれんだよ!仕事に支障出るだろうがクソガキ!」
「べー」
「こんっの」
「おーい何してんだ」
 振り上げた拳からナマエが一目散に廊下の端まで逃げた瞬間、後ろから呑気な声が聞こえてきた。ホルマジオだ。甲高い声で笑うナマエを振り返らずに睨みつけながら、靴の裏でシャキンと音がした。
「待てコラァ!」
「きゃああー――ッ」
「あーあーまた床水浸しになるじゃねえかよぉしょおがねえなあ〜〜……まっ掃除すんの俺じゃねえけどよおお〜……おっと危ね!」
「べー――ッ」
「ナマエよぉ、ギアッチョからかうなって言ったろーが。冗談通じねえんだからよお〜〜」
「だってギアッチョがひどいこと言ったの」
「そりゃあお前がいけねえよギアッチョ」
「あああ!?お前そいつの人バカにしたカオがどんなにムカつくか知らねーからそんなこと言えんだろうが!!」
「ああ?どれナマエ、やってみ」
「べー」
「キャワイイ〜〜〜」
「おいッ!フザけてんじゃあねーぞックソッ!!」

 チームの奴らは揃いも揃ってナマエに甘すぎる。ホルマジオはこんなんだしイルーゾォは何されてもやめろなんて言わねえしソルジェラは出張のたんびに高そうな人形を買ってくるしプロシュートも基本なんでも買い与えるしメローネとペッシに至ってはこいつのパシリだ(ただナマエはメローネが唯一苦手らしかったが)。鉄仮面ことリゾットも、ナマエに懐かれて悪い気はしてないらしい。よく肩車してやってはあの小さな手一つで操作されている。リーダーがだぞ。俺らの、暗殺チームの、リーダーがだぞ。ナメてんのか。この俺を。クソッ!考えたらめちゃ腹立ってきたッ!
「ここは保育所かァ!?あァッ!?クソッ!ロクに仕事もしねえでよォッ!イラつくぜェェー――――ッ」
「ねえホルマジオ」
「あん?」
 俺が廊下の壁を氷で覆った拳でガンガン殴り付けているのをシカトして、ナマエとホルマジオは勝手に話を終わらせやがった。そうやって甘やかすから生意気なガキが出来んだよ。壁には簡単に人が一人入れそうな穴が空いた。
「来月の二十一日にね、ヴァイオリンのね、発表会があるの」
「二十一?何曜だ?」
「んっとね〜ギアッチョ、何曜日?」
「水曜日ッ!!」
「だって」
「ああ〜〜……ビミョーだなァ。デートがなあ」
「ほんと!?」
「ウソ!!」
「もおー――ッ」
 ちなみに、紙には曜日が書かれていない。気のまわらねえ主催だ。俺の知らないうちにホルマジオがナマエを抱き上げていた。
「俺は行けるぜ。ギアッチョ、お前も来んだろ?」
「ああああ?」
「来てくれないの?」
「お前らがサボるぶん俺が仕事するハメになんだよッ!絶対!100パーセントなッ!」「じゃあいーや」
「そーだな」
「てめえらァァー――ッぶん殴るッ!!」
「きゃあああー―ッ」
「ああッ危ねってギアッチョッ!」
「おいお前らうるせー、いッ」

「あ」
「プロシュート!」
「…………て・めェ……」
 ドアの隙間からリビングへ逃げた二人を追い掛けようと、半開きだったドアを押し開けた、はずなのに跳ね返ってきてバタンと閉まったのだ。状況の掴めない俺が聞いたのはホルマジオのマヌケな声とナマエの甲高い声と地面を這いずって来るような低い声。俺は咄嗟にドアノブを引っつかんだ。有り得ない力でガチャガチャと暴れるドアノブ。
 要するに、ごん、っつー痛そうな音がしたから、プロシュートがモロに、急に開いたドアにブツかったんだろう。アホだろ。なんでンなとこ突っ立ってんだよ。化け物のような力とは裏腹に、プロシュートの声は落ち着いている。
「今すぐその手を離せギアッチョ……冷やすヒマねえくれえのスピードでしてやるからよ……」
「プロシュート、デコ血出てるぞ」
 構ってるヒマは無い。ホワイト・アルバムは老化のスピードを落とすことは出来るが、『直』されちゃあ抵抗のしようが無いのだ。おまけにキレたプロシュートはどうしてかものすごい身体能力を発揮しやがるから腕くらい簡単に捕まえる。
「ブッ殺すと思った時にはスデに……」
 俺はドア一面を氷で固めて、ターンした。
「行動は終わってんだッ!グレイトフル・デッドッ!!」
 脚の無い化け物がドアをブチ破って、滑って滑って廊下を曲がろうとした俺のホワイト・アルバムの背中にまで氷の破片が飛んできた。こうなるとプロシュートはリゾットに呼び出されるまで俺を追い回す。とりあえず、どうにかしてプロシュートを撒く方法を考えなくっちゃあいけなくなった。クソッ!これ全部、ナマエのせいだ!

*

「行っちゃったね」
「ほっとけほっとけ」
「うん」
「スゴい音したな……」
 ナマエを抱えたまま壊れたドアの具合を観察するホルマジオの方へ顔だけ向けて、ソファに座ったまま言った。ホルマジオが細切れになった木片をちょろっとつま先で蹴飛ばして、振り返る。
「これよ、また金かかるよなあ………こういう場合は誰持ちなんだァ?ん?」
「少なくとも俺ではねえよ」
「やっぱそうかァァ〜、リゾットの事だから『ビョードーだ』とか言って俺とギアッチョとプロシュートにキッチリ割り勘させるんだろおなァ」
 まさか俺に払わせる気だったんじゃあないよな、と心の中で呟いた。ぱきぱきという音が聞こえて、ホルマジオとナマエがこちらへ戻って来た。二人が腰を下ろすのと同時に、組んだ膝の上に広げていた本の更に上に一枚の紙がひらりと乗る。
「お前、それ見たか?ナマエの習い事の発表会があんだとよ」
「二十一ィ?なんでまたこんな中途半端な日にやるんだ」
「イルーゾォは来なくていいよ!」
「………………」
 ナマエは、『とりあえず』俺を仲間ハズレにする。何が楽しいのか、紙を掴んだままなんて言えば良いのかわからない俺を見上げてけらけら笑うナマエの中の、ささやかなブームなんだろう。ガキってのはそういう、謎の行動が目立つもんだ。決して俺がナメられてるとか、そういうことじゃあ、ない。
「来なくて良いってよ!良かったなァ」
「ホルマジオ、うるせえぞ。俺は行くからな」
「「ええ〜〜〜」」
「ええってなんだよ」
「しょーがないな良いよ!ソルベとジェラートにも電話していい?」
「おー良いぞ。ほれ、長電話すんなよ」
「はーい」
 ナマエからすれば高い位置にあるソファから滑り降りて、ホルマジオから受け取った赤い携帯電話をいじりながら小さな頭が俺の前を横切った。……俺がナマエになにか言って、『はい』なんて素直な返事されたことあったか?
 ……考えるのやめよう。
「もしもしソルベ?あ、ジェラート?うん。今ね」
「おい、仕事中か聞いとけよ」
「あ、お仕事中?……ちがうって!」
「チャオ」
「おかえり」
 部屋の隅でマイペースな空気を振り撒くナマエの横をすり抜けて、メローネとペッシが帰って来た。ペッシがデカい袋を俺の横につらそうに置くのを尻目に、その袋から小さなチョコレートを一掴み出したメローネが楽しそうににんまり笑ったのを俺は見逃さなかった。すぐにナマエのほうへ振り返ったメローネは恐らくまだにやにやしているんだろう。俺が立ち上がるよりも素早く確実に、メローネはこちらに背を向けているナマエを後ろからがっちり捕まえた。
「いやああっなに!だれ!」
「ただいまナマエ〜〜〜」
「いやああああやだあああああ」
「あッおいッ!俺の携帯ッ!」
「メローネッ!」
 ホルマジオと一緒に慌ただしくソファの背を越えて、ホルマジオは真っ先に携帯を拾い、俺はメローネの鳩尾を一発殴ってからナマエを奪還した。軽く唸ったメローネがうずくまる。
「イルーゾォあんた……ずいぶんボディーブローが上手く……なったな……」
「もしもしジェラート?わりィなナマエが携帯落としてよお〜〜〜」
「もうやだあああああメローネ嫌いいいいいい」
「イルーゾォ、兄貴どこ行ったんで?」
「…………………」
「だがなイルーゾォッ!あんたに俺とナマエの仲を引き裂く権利は無いはずだぞッ!おいッ聞ーてんのかッ!」
「いやああああああ」
 収拾がつかなくなっている。と俺は感じた。体中の気力がすべて、この入り混じった騒音に吸い取られていくのを感じて、一瞬硬直する。

 だがしかし硬直していても仕方が無い。首たまにしがみついてわんわん喚くナマエの背中を叩きながらペッシに事の顛末を伝えようとした時、がちゃりとドアが開いた。
「何してる。やかましいぞ」

「リゾットー―ッ!」
 救世主の登場だった。ナマエが大暴れして俺の腕から飛び降りる(足を踏まれた)。短い距離を全速力でリゾットの足元に向かって駆け抜けて、ひしっと泣き顔をリゾットの脛のあたりにくっつけた。
「チッ。親玉か」
「メローネ。またナマエに何かしたのか」
「抱きしめただけだぜリゾット。ついでにチョコレートもやろうと思ったんだ」
「チョコレートは口移ししようとしたの間違いだろう」
「そんなことないよな。なっナマエ」
「やあああああああ」
「まったく。……親玉で悪かったな」
 リゾットが大きな体を屈めて、ナマエを抱き上げた。実際親玉という言葉はふさわしくないと思う。どっちかっていうと……誘拐犯だ。こんなこと口が裂けても言えないが。
「ナマエ、喜べ!ソルベもジェラートも見に来られるってよ!」
「うううう」
 ナマエはまだ泣いている。
「メローネは……来ないでええ……」
「よし行こう。いッ」
「どうしてお前はそうナマエの嫌がる事をするんだ」
 ごつんと拳をぶつけられたメローネがリゾットを睨む。ナマエはリゾットにしがみついて少しでもメローネから離れようと必死だ。ほんとに、何かされたんじゃないのか?あの怖がりよう。不安になった俺はメローネを押し退けつつ、さっきホルマジオから受け取ったピンク色の紙をリゾットに見せた。
「リゾット、これ」
「なんだ」
「発表会があるらしい」
「ああ、行く行かないってのはこれの事か」
 合点が行ったリゾットが空いた片手で紙を手に取る。
「何曜日だ?」
「「水曜日」」
「何……」
 揃ったナマエとホルマジオの声に、リゾットが微かに眉根を寄せた。鼻声のナマエがリゾットの首から顔を離す。鬼気迫る表情だ。
「リゾット来られないの!?」
「いや……あぁ…………いや…………わからん」
「なによそれッ!きてよッ!わたしリゾットが来ないなら発表会になんて出ないからッ!」
 プロシュートが聞いたら夕飯抜きもののワガママだ(ただしナマエはそれでも頑固に泣きながら空腹の夜を乗り越えワガママを押し通した事が何度もある)。リゾットがちらと俺を見た。俺に向かって『どうしよう』って顔されたってどうにもできねえよ。
「リゾット、諦めろ。仕事は仕事だろ」
「そうだな……」
「イルーゾォだまって!!」
 怒られた。
「ナマエ、イルーゾォにそんな口のきき方するんじゃない」
「リゾットもだまっててよ!いやっ、ごめんなさい!うそ!」
 罰として降ろされそうになったナマエが必死にリゾットにしがみついたので、結局リゾットは小さな体を重しにして一度スクワットをしただけだった。

「ねえお願いリゾット、わたしお稽古すごくがんばってるのよ。リゾットいつもお仕事だから送りむかえもしてくれないじゃない。発表会くらい見に来てよ」
「リゾットの何がそんなに良いんだ?」
「トイレについてかないからじゃねえかあ〜〜?オメーみてーに」
「じゃああんたらはナマエが便器に落ちたら責任取れるのか?」
「分かった。行こう」
「やった!!」
 リゾット大好き、の掛け声と共に思い切りハグをかます二人を恨めしげに見たメローネが(おそらくわざと)大きな舌打ちをしたちょうどその時、がちゃん、ばたん、と音のした玄関からどすどすと足音が響いた。乱れたブロンドを手で押さえ付けながらプロシュートが廊下を突き進んできて、ホルマジオの頭を一発ばちんと殴る。
「いッ」
「クソッ、あのクルクル逃げ切りやがったぜ。メローネ、バイク借りたぞ」
「別に良いが壊したんだろまた」
「パンクさせられたんだよ。氷でな。だから置いてきた」
 帰りはそこらへんのパクった、と事もなげに言うプロシュートに向かって、メローネが肩を竦める。メローネの反応がこんなに薄いのは、俺にバイクを回収しに行かせるつもりだからだ。いつかこいつら痛いめ見れば良い。

 リゾットのデスクワークを引き受ける準備やら何やらで、結局俺は発表会に行けない空気が濃厚になってきたのだけはなんとなく分かる。メローネあたりがビデオを撮って来るだろうからそれに期待することにしよう。まず、とりあえずは、メローネのバイクを回収しに行く事にする。カリカリしているであろうギアッチョに遭遇しない事を祈りつつ、ナマエの頭をぐりぐり掴むプロシュートにバイクを置き去りにした位置を聞きに掛かった。


20091014


イェ〜イやまなしおちなしいみなし
すごく遅くなってしまいましたけども、10000ヒットありがとうございました。ここまで読んで下さってありがとうございます





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -