アバッキオは歩くのが速い。
 まず背が高いぶん他の人よりも脚が長い、歩幅が大きい。その脚を運ぶ足も大きい。それなのに私の事なんか少しも気に留めずに風のように歩いていくのだから私から見れば競歩でもやってるようなもんだ。ただ競歩において重要な要素である長い手はずっとポケットに突っ込まれていたけど、それでもアバッキオは何かもしくは誰かと競っているように見えなくもない。いや、本人は背筋をぴんと伸ばして、至って余裕しゃくしゃくなんだけど。
 ……競歩初心者の私が早歩きした所で到底追いつけない速さだ。歩くのは速い方だって言われるけどもそれは一般人としての域を出ないしあんなのとは比べられない。とは言っても、結局の所私たちの距離はおおよそ三メートルくらいをキープしている。三センチほど踵のある靴がかつかつかつかつうるさいのに、アバッキオは文句を言わなかった。

 どうして私たちが終わりのない追いかけっこをしているかというとそれは、これは所謂デートなのだ。どういう経緯だったかはいまいち記憶に無いけどとにかく、デート、という認識だけを頼りに私はアバッキオについて回っていた。初秋の涼しい風が、歩き続けてほてってきた頬と首筋にすうっと入ってくる。風が止んで初めて、息が苦しくなってきたことに気が付いた。

「アバッキオ」
 後ろで呼んでみると、アバッキオは横顔だけをちらとこっちへ向けた。もちろん歩くのは止めずにだ。私が続きを喋るより先に、高い鼻はまたつんと前を向いた。
「あんた、何したいの?迷子なの?」
「バカかお前」
 ちょっとしたジョークも通じないらしい。今のジョークが面白いか面白くないかは別にして、バカかお前、の一言はまるでテレビに映ってる生意気そうな芸能人に向かって独り悪態をつくときのようなトーンだった。要するに冷めてるってことだ。いつも通りカチンと来た私は、やはりいつも通り広い背中に向かって息を吸った。(このパターンもそろそろ、何とかしたい。)
「バカはあんたでしょ、バカ」
「うるせえぞ、黙って歩けねえのか」
 ガキじゃああるまいし。ぼそりとそう言ったのを、後ろから走ってなんとか追い付いた私はきちんと聞き取った。
「追い付けるんじゃねえか。サボってたって事だな、オメー」
「あんたが、私に合わせるのを、サボってんじゃないの!」
「やかましいっつってんだろうが。隣で喚くんじゃねえよキーキーキーキー」
「…………」
 次言おうとした言葉がまさに『キーキー』って感じだったので、私はむっとしながら口をつぐむことになった。
 いよいよ自信が無くなってきた。これって本当にデートだったの?アバッキオに連れ出される時なんて言われたんだっけ。まさか『今からお前に嫌がらせするから』とは言われてないはずなのに。アバッキオの横顔を見上げる気にもならずに、私は眉を顰めて二秒くらい、すごい速さで後ろへ流れる地面を見つめる。

 そこでやっと歩き(というよりむしろ走り)疲れて、私はテンポを急速に落とした。

 足の裏がじんじん痛む。ほんの少し乱れた息を整えながら遠ざかっていくアバッキオの背中を眺めていると、怒りでも酸素でもなく疲労がどんより肺の中を満たしていった。膝に手をついて、ふらっふらの体を支える。今すぐ座り込んでしまいたいところだったけど、治安の悪いネアポリスの舗道は、そう綺麗ではない。
 汗は流れる程じゃあなかったけど、冷たくなりかけの風に触れて熱くなった額を冷やすくらいには滲んでいた。背中をぐっと伸ばして風を一身に受ける。秋だ。

 こつこつとアバッキオが戻ってくる靴音がした。そのままいなくなってしまうと思ってたのに、意外だった私は閉じかけていた目を開いてまじまじと不機嫌そうに歪む眉を見つめる。
 アバッキオは私の二メートルくらい前でぴたりと止まった。いかった肩がこっちを威嚇しているのを感じたけれど、いつもの事だ。早歩きしたり走ったりしてかえってすっきりしていた私は、一つ息をついてからアバッキオを見上げ直して、尋ねた。
「戻って来ようかどうしようか、迷った?」
 道の先でこっちを振り返って逡巡するアバッキオを私は見てはいなかったのだけど、どうも思考回路が似てるのか、アバッキオはぐっと一瞬押し黙ってからまた踵を返してしまった。疲れのせいで緩む頬が吊り上がる。
「待ってよ。疲れたの」
「……………」
 アバッキオは待たなかった。心なしかさっきよりも速く遠ざかるアバッキオを、私はやっぱり小走りで追い掛ける事になったわけだ。そういえば確かこっちの道には、おいしい紅茶を出すお店があった気がする。


20090917
タイトル:にやり




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