全ての人間を愛してやろう。
中学の時からズレていた臨也のその思考が、さらにおかしくなったのは、高校二年の秋頃だった。以前から、臨也は趣味として人間観察は行っていた。しかし、それがより質の悪いものになりだしたのもちょうどその頃のことだ。見るだけではなく、まるで人間の心そのものをぐちゃぐちゃにしたいと願っているようにも思えるその言動は、中学からの知り合いである岸谷新羅にひどく違和感を覚えさせていた。




















「次、移動教室だぜ?」

「あー、だるいなぁ…」



学生たちが各々の声を漏らしながら教室を後にする。休憩時間は十分しかないというのにいつまでたってもその場から動こうとしないのは恐らく次の授業が家庭科で、かつ講義内容が裁縫というものだからだ。ミシンならともかくとして、手縫いを得意とする男子はもちろん少ない。加えて、縫う対象が肘あてとなれば更にやる気も削げるに決まっている。案の定、彼らの纏う空気は非常に淀んでいた。そもそも割合的に男子の方が多いこの学校に於いて、果たしてこの教科にどれだけのウェイトが置かれているのかは分からないが、男子高校生に積極的に縫い物をやらせようとする方が難しいだろう。少なくともそれを家庭科担当の教師は理解すべきであった。


「――げっ、チャイム鳴ったし……」


そんな中、いつものとは違う不規則な音程が鳴り響く。短限を示す音の外れたチャイムは、今日が45分授業だということを指し示していた。ありえねぇ…。と口々に呟く生徒は、チャイムの音に催促されて渋々といった感じに教室を後にしていく。その後ろ姿はもちろん倦怠感が滲んでいる。クラスで一番ぶつぶつと文句を言っていた男子も何だかんだといって友達と共にようやく教室を後にした。盛大な溜息と共に。



「………はぁ、」


それを見届けたところで、同じように溜め息を吐いた岸谷もようやく席を立った。しかし彼が教室に残っていたのは怠さとは別に、タイミングを計っていたからだ。いやに真面目な顔をして後ろを向く。ちょうど岸谷が座っている列の一番後ろ。そこに久しぶりに現れた姿を捉え、岸谷はまた一つため息をついた。そして両手に何も持つことなく、教室を歩きだす。
行く場所はただ一つ。家庭科室ではなく、教室に残っているもう一人の男の元だった。



「おはよう、臨也」


「    なんか用?」


「――君、最近やくざと蔓んでるんだって?」



教室の一番後ろの窓際。そこに座っている臨也は周りを気にすることなく携帯を片手にして、画面と向き合っていた。真新しい黒色の携帯が岸谷の視線を釘付けにする。



「お前には関係ないだろ?」



二人しかいない教室。恐らく以前ならば和気藹々とした雰囲気で交わせた会話も、今では見る影もない。相手を見ることなく告げられた臨也の言葉は酷く冷たく無機質だった。



「関係なくはないよ。なに?君ってこっち側に興味があるようなやつだったっけ?高みの見物が好きなんじゃなかったの?」



そんな臨也をじっと見続ける岸谷は違和感を拭えず、心を燃やす。
岸谷と臨也は中学からの付き合いがある。一応は、友達というカテゴリーに含まれる。……そのはずだった。
それがある日を境に、綺麗に関係が切れた。話し掛けられれば答えるが、それでも深く関わろうとしない。今まで一緒に食べていた昼ご飯も、下校も何もかも。すぱりとなくなってしまったその原因を少なくとも岸谷はまだ分かっていない。もし、その点に於いて何かしら気付いたことがあれば、恐らく今の関係も変わっていただろうが、すでに手遅れとも言える程まで歪んでしまった今では夢のまた夢でしかない。
それほどまでに臨也と岸谷の関係は大きく変わってしまっていた。
こんな風に可笑しくなったのは文化祭前後のことだった。そう岸谷は記憶している。これを期にとばかりに臨也は周囲から距離を置いた。自分は特別なのだとでもいうようにセカイを完全に切り離した。どんな生徒の言動も、教師のお小言も耳には入らない。まるで生きる世界が違うのだというように、いつだって臨也は岸谷を含め、生徒や教師をまるでペットを観察するかのような目つきでただただ眺めていた。そして時折、何かを思い出したかのようにそのペットたちに向かってこう言うのだ。愛してる、と。
しかし、岸谷は知っている。その言動とは裏腹に、臨也の愛は一向に生徒や教師には向けられない。代わりに与えられるのは悲劇じみた問題ごとばかりで、多くの生徒はそれが臨也のせいだとは知らぬまま精神的に殺されていくのだ。ただの臨也の気紛れによって。
そんな何とも言えない風景を見て見ぬフリをしてきたのは、なぜだったのか。岸谷は今になって思う。駄目だよと、一言言えば何かが変わっていたのかもしれない。そして、どうしたのかと問えば、何かが始まっていたのかもしれない。そうやって後悔に後悔を重ねてみて、初めて岸谷は全てが手遅れなことに気がついた。今、現在進行形で臨也から向けられる視線には何の感情も込められていないからだ。



「ねぇ、聞いてる?」


「聞いてるよ、うるさいなぁ……」



何処で間違ったのだろう、と岸谷は愛しの首なしを思う。友達を作れ。友達を大事にしろと言われた。めんどくさいながらもそれでも初めて作った友達は、今、目の前に居る臨也に他ならない。そして、まだ恋が実っていなかった不安定な自分を支えてくれたのも臨也だけだった。高校に入って二年。ようやく叶いそうになりつつある恋にいっぱいいっぱいで気がつけなかったこと。それは今まで何気なしに食べていた昼ご飯。時折寄り道をしては買い食いをしては語り合っていた帰路。ずっと首なしばかりに目が行っていた自分の傍に居てくれたその相手に対しての敬いの心。気がついた時にはいい友達だったはずの相手は傍にいなくなっていた。それは、どれだけ岸谷が臨也の事を蔑ろにしてきたかを知らしめるには十分な出来事だった。



「――ねぇ、臨也」



気がつけば、増えていたのは一人の時間と臨也の良くない噂だった。
裏の世界まで足を踏み入れたらしいだとか、街中で黒塗りの車に乗り込むところを見ただとか。明らかに堅気ではない人間と歩いているところを見たなどと、そんな噂がまことしやかに囁かれるようになったのもここ一カ月のことだった。もちろん、そんな噂の真相なんて誰も率先して知ろうとはしない。知ることも出来ない。ただただ、元々良くない臨也の評判がズルズルと堕ちていくのは、あっという間のことだった。



「そもそもさ、移動教室だろ。早くいけば?愛しい愛しいセルティが授業はちゃんと受けるものだって嘆くぞ」



関わるな。そう言わんばかりに臨也が携帯へと視線を下ろす。何か、興味のあることがその画面にはあるらしい。カチカチと軽快な音を立てながら打たれる文字はやけに長い。最近では岸谷の元に臨也からの電話もメールも来なくなった。



「だから僕は君のこと――、」



心配しているんだよ。そう言おうとした瞬間に、タイミング良く被る着信音。最近のJ-POPのランキング上位に入るその曲は、全てを投げ出して新しい世界に飛び立とうという意味合いが込められている歌詞だった。それを岸谷はなぜか覚えていた。



「あっ、九十九屋から電話だ!」


「こらちょっと臨也!話はまだ終わって――」


「……うるさいな。お前いつからそんな世話焼きになったんだよ。俺のことなんか放っておけばいいだろ?首なしと仲良くしとけよ」



俺は俺で勝手にしとくからさ。
そう言って鼻歌を歌いながら携帯電話で通話をし始めた臨也は、今まで見たことがないくらいに嬉しそうな表情をしていた。九十九屋。九十九屋。繰り返されるその名前。態度からどこか親しみがあることが分かる。口調が自分に接していてくれたときと同じように臨也の素が出ていることに気がついて、岸谷は大きく眉を寄せた。誰、そいつ。口に出したいその言葉をぐっと堪えて携帯電話を睨みつけた。どうせ、今のままだったら臨也は聞く耳なんか持ってくれないだろう。そんな岸谷の予想は当たっていたようで、臨也はまるでさっきまでの会話なんかなかったかのように、携帯を耳に当てながら足取り軽やかに教室から出ていってしまった。



「……なに、あれ……」



岸谷は言葉を失った。
似てる。似すぎている。どこかで見た光景に岸谷の心は騒めきたった。
デジャブを感じた。それが何なのかは岸谷自身がよく分かっている。自分が首なしのことになると周りに眼中がなくなるのと同じだった。愛というには綺麗ではない歪んだ何か。どこか依存症を彷彿させるその様子に岸谷の眉間に皺が寄った。
そんな相手が臨也にいた覚えはない。少なくとも、自分という人間がかなりの割合で臨也の中を占めていると自負していた。
果たして九十九屋とは誰なのか。岸谷は知らぬ名前にただならぬ不快感を覚え、舌を打つことしか出来なかった。心の中でただジクジクと蠢くある感情を抱いたまま。












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以上が、ゆんさまのリクエスト『【アイシテ】る!!』の続編でした!

恐らく臨也が離れて一番淋しいのは来神組の中では新羅なんじゃないだろうかと…
遠回しの馬鹿を言いながら笑い合えるのも、本気で文句や罵倒で騒ぎたおすのも。新羅にとって臨也だけであり、セルティには見せられない汚い面を見せられるのも臨也だけなのに、修復不可能な関係に。
こうなって、ようやく気付かされる大切なもの。
そんな愚かさほど愛しいものはないなと思いながら書かせて頂きました。


文末になりましたが、このたびは10万打リクエストに参加してくださいましてありがとうございました!これからもマイペースで更新をしていく予定ですが、どうか応援の程、よろしくお願いします!



12,06,07(thu)


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