かちゃりと小さな音を立てて玄関の鍵が開いた。それから遠慮に遠慮を重ね、申し訳程度に開いたドアからは、鷲色の瞳が覗く。きょろきょろと忙しなく動き、やたら静かな部屋の様子に一人安堵する。吐きだした息と共に、これまた慎重に扉を押し開けば、外の照明と共に少し玄関元が明るくなった。現在、午前二時を遠に回っている。改めてちらりと左手に握り締めていた携帯を確認すれば、紛れもない時間が刻まれていた。


(――ヤバい)


彼の今の心境を一言で表すならばその言葉がぴったりだった。



今日、彼は仕事の上司とその後輩と共に終業後居酒屋で飲んでいた。どうやら上司にあたる男が宝くじに高額当選したらしく、ささやかながらその恩恵を受けていたのだ。カルピス酎ハイを飲み、唐揚げを食べ、ささみの降ろしポン酢を食べ。〆とばかりに店内おすすめメニューであるブリュレも食べた。プリンに近いその甘い食べ物を男は甚く気にいり、上司の言葉に甘え二個、三個平らげたのはもはや記憶に新しい。それからも後輩と共に、その食べ物を一つ、また一つと頼み、売り切れと言われてからはまた違うものにシフトしてまでデザートを堪能した。

そうやって満腹を超え、腹が痛くなるまで食べ物や飲み物を三人が収めた時には、すでに時計は零時を回っていた。



『もうこんな時間か。そろそろ帰らねぇとな。また連れて行ってやるべ』



そう上司に言われた時にはまだまだ男も陽気に構えていた。酔いはもちろん、帰宅が遅くなるというメールを入れたことで安心していたというのもある。



【sub:飯食べてくる】
【本文:ご飯も悪いけどいらない、代わりに明日の朝ごはんで食べるから置いておいてくれ。悪い】



シンプルな要件だけを立て並べたメール。それでも、恋人は優しいから仕事の付き合いというものを分かってくれるだろうと思っていた。

そのため上司と別れ、後輩を送り届け、酔いを醒ますために男は一時間ほど掛けて散歩までした。カラーギャングや不良がチラつく街中を悠長に歩く。酔いもあってか真っすぐ歩けずに電柱やガードレールにぶつかることもあったが、それでも仮の目的地である公園に辿りつくことは出来た。

自販機でココアを買い、すぐにプルタブを開き口を付ける。甘い人工的な味に、身体の奥底から温まった気がした男は、そこでベンチに座り一息つくことにした。

この時、裕に一時を回っていたはいうまでもない。

夜風に当たりながらそこでようやく携帯を開いた男は目を疑った。プライベート用だと恋人に渡された白のボディーをした折りたたみの携帯がメール着信を知らせるランプを点滅させていた。その点においては何ら問題などない。恐らく先程のメールの返事だ。しかし奇妙なのは受信メールが十通以上あることだった。待ち受けにしている笑顔の恋人がどことなく怒っているように見えたのは酔いのせいではない。男が自分の失敗に気付いた時にはすでに全てが手遅れだった。





【sub:あのさ、】
【本文:まだ帰って来ないの?】





受信メールを埋め尽くす何通も送り届けられている同じ内容のメールに、男はどっと血の気が引いたのが分かった。

慌てて送信ボックスを開き確認すれば、送ったはずのメールがない。さらに心臓が嫌な音を立てて暴れ出す中、震える指で保存ボックスを開けばまさしく六時間近くも前に打ち込んだメールがそっくりそのまま鎮座していた。

突風というような風が男に直撃した。持っていたココア缶は地面に転がり、代わりに折れた小枝が頭に直撃した。

――まさか作成したことに満足して送信していなかっただなんて、男は思ってもいなかったのだ。




そんな失態もあってか、男は緊張していた。恋人を怒らせてしまったのはいうまでもなく、かつ、慌てて走りかえったもののもう午前三時前と言う方がしっくりくるような時間になっている。あらぬ疑いをもたれる可能性も多くあった。


(――――ヤバい、)


極力音が鳴らないようにドアを閉め、そして一歩、一歩と革靴の音が鳴らないように歩みを進めた男は、玄関の電気を付けるために壁に手を這わす。緊張を纏ったその手は、そのまま数秒もの時間をかけて、スイッチを捉えたはずだった。しかし、結局はそのスイッチを入れる間もなく背後から乱暴に開いた玄関のドアの音に驚いて手が止まってしまった。


「…………た、ただいま帰りました……」


しどろもどろになった男の声は図体に比べて酷く小さく頼りない。そんな男を開かれたドアから差し込む光を背に恋人はにっこりに微笑んだ。唇は弧を描いているが真っ赤な目が笑っていないのは言うまでもない。


「…………何時だと思ってるの、この馬鹿」


血を這うような声が聞こえた。それと共に男は壁に這っていた手を床へと這わせた。許してほしい。事故だったのだ。そんな弁解を込めたそのスピードと威力は凄まじく、玄関の一部が歪な音を上げて凹んだくらいだった。


「――――すいませんでした!!!!」







12,01,17(tue)


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