*二人は同棲している。











 臨也がおこづかいのことや帰宅時間のこと、あとは食事といったしょうもないことで怒りだして、俺はそれをいつものことだと思い、半ば呆れながら聞き流していた。もちろん、そんな俺の態度に臨也が不満を覚えないはずもない。つっかかり、罵倒し、『君はいつもそうだ』と泣きだした。彼女がいる奴の話を聞けば、喧嘩をすれば女はよく泣くらしい。臨也は女ではないがそれでも女役という点においては間違いなく、そう考えれば感極まって泣くのも何処となく理解は出来た。

 後ろで喚く臨也はそれから暫くの間、『君は、君は、』と泣きじゃくり続けた。それでも振り返って腕の中に閉じ込めて、俺が悪かったと言ってやらなかったのは、理解はできてもその考えを受け入れることができなかったからだ。一方的に意見され、感情を押しつけられたって、俺には俺の考えがあるし、ペースもある。かくいう臨也だってそうなのだから、もっと全てにおいて寛容になればいいと、少なくとも俺はそう思っていた。お互い違う性格の二人が付き合っているのだから、あれやこれやと文句を言ったってどうしようもない。

だからこそ、『君はもう少し俺に歩み寄ってくれてもいいじゃないか』という言葉を聞いた瞬間に俺の中で何かが萎えた。それはなぜだったのかと言われれば理由は分からない。もちろん臨也がそう言った意味もその時の俺にはよく分からなかった。でも、一切臨也の事を理解しようとしなかったのは明確で、そしてそのせいでとんでもない過ちを犯してしまったのもまた事実だった。



――別れよう。



 そう言ったのは、臨也のいうお互いの歩みという行為にちょっとしためんどくささを感じたからだった。













「――君も大概に馬鹿だねぇ」

 新羅が俺の話を聞くや否や無表情にも告げた言葉はそんなあっさりとした感想だった。

「考えもペースも違う二人が一緒に住むからこそ歩み寄りが必要なんだろう?それがなければただのルームシェアーじゃないか。借金まみれの君が臨也と家賃を分け合いたいがために一緒に暮らしていたというなら話は変わるけど、それだって違うんだろ?君たちは同棲をして、これから一生を暮して行こうと決めたんじゃなかったのかな。だったら相手の意見にも耳を傾けて上げるのが筋だ。君のいう男と女の役割を考えるなら尚更ね。そもそも喧嘩している時に軽々しく別れようだなんていうこと自体が間違っていると僕は思うよ。喧嘩別れの典型的な例だ」

 淡々と告げられる意見に俺は返す言葉が見つからず、ただ黙ってソファーに座り新羅の話を聞くことしか出来ない。

 別れよう、といったあの日。俺が臨也の顔を見ることは結局なかった。あのまま、投げやりげにめんどくせぇと付け加えた言葉を聞くや否や、臨也が部屋を飛び出していったからだ。

冷静になったよく思い返してみれば、今まで喧嘩をしていて、あいつが部屋を飛び出したことはなかった気がする。負けん気が強いというか、折れるのが嫌だというとかそんな理由ではなくて、どうにかして自分の気持ちを俺に理解してもらおうと必死になっていたのだろう。言葉を変えて、身ぶりを付け加えて、そうやって全身で訴えかけてくる様は、臨也のいう歩み寄りどうこう故の行動だったのかもしれない。

 そんな臨也の努力を、それでもあの時の俺はやっぱり理解が出来なくて、無碍にしていたのは事実だ。いうまでもなく別れようと言ったあの日、俺は追いかけることもしなかった。出て行ったけれどもきっとそのうち戻って来るだろうといった、漠然とした自信があったというのもある。


――それなのに、一日。一週間。半月。そして、一カ月。


いくら月日が経っても予想に反して臨也は部屋に帰ってこなかった。


 そうやってカレンダーが11の月に踏み入れてようやく、俺はそこで自分がやってしまった過ちに気がついた。元々あった漠然とした自信は、完全な不安へと塗り替わり、くるくると走馬灯のように思い返される同棲生活のやりとりの酷さを改めて認識させられ、俺は撃沈した。もしかして自分はとんだ最悪な男だったんじゃないかと気付いた時にはすでに手遅れで、俺の隣には誰もいない。あるのは臨也が愛用していたティーカップに、二人用のソファー。そしてキングサイズのベッドたち。

 そうやって色濃く残る臨也の居た軌跡に堪らなくなって、床に崩れ落ちたのはつい昨日のことだった。



「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれどここまでとはねぇ……」

「…………」



 溜息をついた新羅は、俺から目を逸らすようにベランダの方へ視線をずらした。どこかぼんやりと遠くを見つめるその様子になぜか心臓が煩くなる。


「……あいつについて、なにか知ってることがあったら教えてくれ」

「残念だけど、ないよ」

「嘘吐くな」

「嘘なんか吐いてないよ。君と同じ状況さ。電話が繋がらない。それも三週間くらい前から」

「…………」

「なんとなく君が絡んでるんだろうなとは薄々感じていたけど、連絡が取れなくなった今となっては死人に口なしみたいなものだね」

「……臨也は、死んでない……!」

「でも、死んだようなものだ」



 死人に口なし。それが例え比喩のようなものであるとしても、あまりにも的を得た現実を指し示す言葉に、俺は堪らなくなって床に視線を落とすことしか出来なかった。新羅の言葉一つ一つが俺の心に深く突き刺さっていく。臨也が俺の胸にナイフを突き立てていた時には死にそうにもなかったのに、今は死んでしまいそうに心臓が痛い。

 そんな痛みの中で思い出すのは別れようと言ったあの直後のことだ。ぴたりと泣きやんだその後に訪れた静寂は今でもよく覚えている。まるで猛威を奮った山火事が二・三日という期間を経て鎮火された後のような、不気味な静寂さだった。もしかしたら、臨也の中でも俺に対する何かしらの炎が消えた瞬間だったのかもしれない。俺ですらこんな状態なのに、恋人からめんどくさいという理由だけで別れようと言われた臨也は、果たしてどれ程の思いを抱いていたのだろうか。考えれば考えるほど堪らなくなって、余計に胸が苦しくなる。

 あいつは存外俺のことに関してだけは打たれ弱いのを知っているはずだったのに。それなのに、一体、どうして――。



「いいかい、静雄。君も子供のころ、周りの自分に対する何気ない行動で傷ついたことがあるだろう?その時なんて思ったかい?理不尽だ。そうじゃない。俺のことわかってないくせに好き勝手に言いやがって。もうお前たちのことなんか知らない」

「……ある」

「それってね、ある程度他人だったら割り切ることも可能なんだよ。こいつらと俺は違うからっていとも簡単に放り投げてね。でも実際、身近な人間にやられるとそんな感情は膨らみ続けるだけで消化は出来ない」

「あぁ」

「始めのうちはそのことに我慢が出来ていても、時にはその不満が爆発して苛立ちに任せて当たってしまうことや泣きわめいてしまうこともあるだろう。自分という人間を理解してもらわなければ、一緒にいるのは我慢の連続だろうし、それはストレスでしかないからね。だからこそいい関係が築けるように、様々な形でぶつかる前に自分のことを分かってもらおうと何度も何度も見解を論じる」

「――何が言いたい?」

「これが臨也のいう歩み寄りじゃないのかな?君の話を聞くとよく揉めていたんだろう?」

「俺はあいつとの生活にストレスなんて感じてない」

「ははは、嗤わせないでよ。それはただ君のペースに臨也が合してくれていただけだろう?」

「、――それは!」

「一方的なぶつかりあいの関係だなんてそれこそどうでもいいって言ってるようなものじゃないか」



 無感情で放たれたその言葉の威力は余りにも大きかった。二の次が紡げなくて口を噤むしかなかった俺に、新羅はやはり同じように押し黙る。

 空気が重い。空は秋晴れで綺麗だというのに、この部屋は息苦しい。今日はどうにか解決策を見いだそうと新羅の元に訪れたというのに、それがまさかこうも不安を煽らされるものになるだなんて想像もしていなかった。一つ一つ鼓膜を揺するほど深く刻まれていく心音は、さっきから乱れ調子で酷く煩い。誤魔化すように握りしめた手の中には真っ黒のボディーをした携帯が握られているが、臨也から貰ったこれはすでに契約を切られて使い物にならなくなっていた。携帯会社に問い合わせをして聞いてみれば、契約を切られたのはちょうどあの喧嘩があった日から一週間後のことらしい。そのタイムラグが逆に臨也が俺にもう見切りをつけたことを証明しているようで、今すぐにでも馬鹿なことを言い放ったあの瞬間へ戻りたいと、そう願わずにはいられない。

 確かに歩み寄りだとか、二人で暮らすことの意味だとか、そんなことを考えたことは今までなかった。そもそも俺たちは男同士で、女相手とは違い柵は少ないはずだった。だからこそ笑いあって、やることやって、ただ何気なく自分の好きなように暮らせていけたらいいと思っていた。帰宅時間だって夕飯を用意していると知っていて勝手にトムさんと飲みに行って遅くなることも多かったし、貰ったお小遣いで知人たちとあちこち遊びに行ったりもして小遣いを更に強請ることが多かったのもまた事実だ。後者に関しては、俺より臨也の方が稼いでいるからお金に不自由しなくていいと思っていたのもある。

でもきっとそんな積み重ねが、俺と臨也の関係に溝を作っていったのだろう。あいつがどれだけ我慢しているかなんて知らずに好き勝手にやってきた俺は、本当になんだったのだろうか。失った今になって気付くだなんて遅すぎる。



「はっきり言ってあげる。中学校から付き合ってきた僕が思うに、臨也はもう君の元に帰ってこないよ」

「なん、で……」

「あいつの性格くらい君みたいに恋人同士でもない俺でも分かるからね。きっと帰ってこないよ。もう姿を現さない。月日も経ってしまったから東京からも離れてしまっただろう。探すのは難しい」

「でも、俺は――」

「首の気配がなんとなく分かるセルティに聞いてみるといい。気配は分かるのになぜ未だに見つけられないのかって。失礼なことかもしれないけれど、君にはきっと怒らずにたぶん答えてくれるよ」



窓から一切視線を逸らすことなく俺のことを見ようとはしない新羅は、間違いなく怒っていた。きっと俺が臨也を粗末に扱ったからだろう。まるで臨也と同じように俺を拒絶してくる様は、今この瞬間には酷く辛いものでしかない。けれども、新羅と臨也の決定的な違いは、俺はこいつに嫌われようとも、居なくなられようとも生きていけるということだ。俺にはただ一人、臨也だけが居てくれればいい。臨也がいなくなったら、俺はもうどうやって生きて行けばいいのか分からない。


 だからお願いだ。最後の最後にもう一度だけ俺にチャンスをくれないか。思いを伝えて、謝って。こんなことになった今だからこそ気付いたことを叫びたいんだ。

 何もしないで終わるくらいなら、そんな世界は、もう――。




「――ねぇ、静雄。自分のものですら探すのが難しいのに、【他人のもの】を探すだなんてもっと難しいことだとは思わないかい?」


 帰ってきてくれ臨也。俺はお前を愛しているんだ。






























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新羅はすべてを知っている。

11,11,14(mon)


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