俺は人型であるが、人間の世界の言葉を使うのであれば、『蚊』と呼ばれる種族である。


そうだ。よく夏ごろに飛んでいる、生き血を吸って生きるアレだ。


狂犬病が広がる原因だとかなんとか言われているが、そんなことで俺たちを責めないでやって欲しい。蚊だって生き物だ。生命を維持させるのに必死だし、文句を言われたって困る。



 そもそも、みんなは生き血を吸うのはメスの蚊だけだということは知っているのだろうか。


 子どもを産むためにはやはり栄養がいるもので、オスよりも遥かにリスクの高い採血という手段で、メスは餌を取らなくてはいけない。


パンパン、パンパン。メスたちは人間に叩かれる恐怖と戦って、毎日を生きている。のうのうと果実や花の蜜を吸って暮らしているオスこそ、男らしくメスをエスコートするべきだと思うし、人間は人間で、どうせ取るに足らないような量の血なのだから黙って採取させてやる心の広さを持つべきだとも思う。


 共存が大切。それが世界を救うに違いない。








――とはいえ、それはただ普通の蚊の場合。


残念ながら、俺は違う。まず姿が人間であるし、そのせいで血を飲む量は格段に多い。しかも、れっきとしたオスであるにも関わらず俺は動物の、正確にいえば人間の血を主にして吸っている。



なぜそうなのかは分からない。物心がついた時にはずっとそうだった。
























「あー、腹減った」



 キュイキュイと血の代わりにシェーキを吸うもののなかなか腹は満たされない。


俺に必要なのは、糖分やたんぱく質などではなくて、赤血球や白血球、血小板などのよく分からない血液形成成分たちだ。


それらが入っていない人間の食物を食べたところで、本当の意味で俺の腹が膨れることはない。


加えて、人間の理性が邪魔をして採血行動にセーブをかけるために、余程飢えない限り、俺は生き血にありつけることができないのだ。


もはや毎日が我慢の連続。


そのせいで、俺は今まで踏んだり蹴ったりな生活を送ってきたといってもいい。



なぜなら、腹が満たされないと苛々が溜まる。苛々が溜まると殴りたくなる。殴りたくなるということは暴力を奮いたくなるということであって、人に迷惑をかけるということでもある。


空腹に堪え切れずよく暴れている自分がこういうのもなんだが、人型で生活している身としては、迷惑をかけて敬遠されるということは極力避けて通りたい出来事なのだ。


なんせ周りから人がいなくなったら、人間依存者の俺は一体どうやって生きていけばいいのだろうか。



……まず間違いなく待ち構えているのは餓死の二文字だろう。






「しゃーねぇな。そろそろ飯にするか…」





空になったシェーキの容器を手身近にあったゴミ箱に投げ入れ、これまた手身近にあった一方通行の標識をへし折る。


ミシリ、ゴキリと物騒な音を立てて鳴ったそれは、蟲取り網よりも遥かに捕獲率の上がる虫叩きと化した。

同時に虫を叩く以外にも、刃物相手にはこれは強力な武器にも防具にもなる。




そもそも、力だけで十二分に人間と渡り合える俺に、なぜこんな武器が必要なのかと聞かれれば、俺の食事相手が人間だからだ。


無理に血を奪おうとすると当たり前だが抵抗してくる輩が多いし、最近は特定の人間の血しか飲まなくなったとはいえ、むやみやたらに人前で血を吸ったりすると、この世界では犯罪者や変態者の扱いを受けてしまうこともある。実際、獲物の自称保護者とやらにワゴンで曳かれかけたのは記憶に新しい。


加えて、友人に当たる首なしライダーに路地で無理矢理血を吸っている食事風景を見られてからといいものの、彼女の俺に対する態度が少しばかり変わってしまった気がする。


どこかよそよそしくて、しかし、やたらと熱い視線を送られている気がしてならない。仲がいいせいで、余計に理由を聞き辛いのは言うまでもなく、非常に複雑な心境だ。流石の俺も、友人から奇異な目で見られたい趣味はない。


そんな食事中にごく稀に起こる様々なイレギュラーやリスク。それらを少しでも回避するために、標識を使うようになったといっても過言ではない。



「うっし、ヤるか」



道端で立ち止まっているせいかやたら周りから視線を感じるが、俺は万能標識を肩に担ぎながら、意識を鼻に集中させる。


大事なことは獲物の有無。人が密集しているせいで溢れかえる様々な臭いは、俺の有能な鼻フィルターには引っ掛からない。何にも邪魔をされることなく、池袋中に微かに香る獲物特有の甘い匂いを捉えたのはあまりにも一瞬のことだった。



俺は急速に高まった衝動に堪らず、口角を上げて走りだす。






「いぃざやああぁぁぁ!!」



「っう、わぁ…最悪」





匂いを辿り裏路地を越え、反対側の大通りに飛び出す。すると、案の定目的の人物が意気揚々と人間たちに紛れ歩いていた。


しかし、臨也の放つフェロモンの匂いはそう簡単に一般人には紛れ込めない。何より気に入りの血の持ち主を見つけてからというものの、俺の鼻はそいつを捕獲するために随分と優れてしまった。


実際、今の俺ならば池袋の中にさえいれば、大概どこに居たって臨也を捕獲する自信がある。





「今日もいい匂い漂わせやがって…。今日も犯す!!むしろお持ち帰りしてやる」



「毎度お馴染みの台詞をありがとう変態単細胞」




げんなりと返してくる顔に伝う汗が色っぽい。


35度近くの真夏日に長ズボンにファーコートで街を歩いている神経は疑わざるえないが、それが俺に噛まれた跡を隠すためだと思えばその格好も可愛く見えてしまうのは惚れた弱みだろうか。


ついつい魅入ってしまうヤラシイ鎖骨や首元を目で舐め回しながら、俺は一度だけ喉を大きく鳴らす。





「早く黙って血ィ寄越せや、臨也くんよぉ。そしたら今日は優しくしてやる」



「優しくなんてしてくれないくせに。あのね、万年発情期の君には分からないかもしれないけど、俺さ、まだ仕事中なの。今すぐ帰って資料を纏めなきゃいけないの。それなのに君に血なんか吸われたもんなら明日までベッドの中じゃないか。そんなの無理。違う人にあたって」



「手前以外の血はもう飲まねぇ」



「そんなの知るか。だったら餓死しろ、化け物」






辛辣な返しと共に赤い目が鋭く睨みつけてくる。しかし、ナイフを構えた臨也の目元がほんのり色付いているのを俺は見逃しはしない。




「そんなこと言って実際俺に血を吸われんのが嬉しいんだろうが。物干しそうな顔してんの気付いてんのか、手前はよぉ?」



「………馬鹿じゃないの。んなわけないだろ」



「鏡見てみろよ、一回。それでそう言い切れるっつーんなら信じてやるがな」




ま、無理だろうけどな。と、喉をくつくつと鳴らせばたちまち臨也の顔が赤く染まっていった。茹でダコのような鮮やかな赤は、普段の臨也を知るものが見れば目を丸くするに違いない。しかもこれが情事の時は、さらにエロさと可愛さが増すなんてこと、他の奴は知らないのだろう。俺だけが知ってる臨也の一面。弄れば弄るほど可愛らしい反応ををするこいつは、本当に虐め甲斐のある奴だとつくづく思う。




「おら、顔赤けぇぞ?」


「うるさいうるさいっ!!」


「手前はテンパるとホント語彙力低下するよな」





一歩、また一歩と歩み寄れば、ジリジリと足を地面に擦り付けながらも臨也は後退していく。


しかし。一歩の差が臨也の方が小さいばかりに、距離は徐々に縮まっていく一方だ。こうなってしまえばまるで早く捕まえて欲しいと言ってるようなものだと思う。






「おい、」



近づくにつれ強くなるフェロモンに酔いながら、俺はずんずんと足を進めていく。対して、俺からの視線を逸らすように地面を睨み付ける臨也は、もはやいつもの折原臨也ではない。


戦うこともせず。逃げることもせず。ただ捕らわれ食われるのを待っている可愛い獲物。まさに捕食されるものとしての極みといってもいい。





「観念しろや、臨也くんよぉ。残念ながら俺は限界なんだ。今日は逃がせねぇ」





獲物として臨也に唾をつけて、かれこれ数十回にもなる。


――恐らく。
恐らくだが、血を吸われれば大人しくなり、痛み止めとして俺の体液を注ぐときは喘ぎに喘ぎまくる臨也は、たぶん俺のことが好きだ。でなければ、あの賢い臨也がいくら仕事とはいえ、頻繁に池袋に顔を出すはずがない。


そもそも、あいつはいつだって自分の内側の感情を表に出すことを苦手にしているような奴だ。だからこそ、俺に抱かれるたびに安堵するような表情を見せたり、甘い言葉を吐いた日にはこれでもかと俺自身を締め付けて離さなかったりといった、抱いている時に無意識に取る言動が、臨也の本物の感情ではないのかと考える。


どんなに理性やプライドが高い人間であろうとも、身体はいつだって素直なものだ。欲望に忠実で、その不足を補うために求めて止まない。


何より、俺が血を求めれば、臨也は最終的に血を差しだす。俺が身体を差し出せば臨也は求める。それはつまり、臨也は俺が好きということで、俺は臨也が好きということではないのか。

そして、もしこれが正解だとすれば、需要と供給の観点から言えば、間違いなく俺たち二人は合致するといってもいい。



俺はあいつの血が欲しい。そしてあいつは俺の身体が欲しい。そんなプラスマイナスゼロの関係。




こうやって二人だけで過不足なくうまく補えるのでならば、俺たちは互いにもっともっと欲望に素直になってもいいんじゃないかと思う。



そうすれば、今まで以上に充実した毎日を送れるだろうし、よりずっと深いところまで互いを満たし合えるに違いない。









「つべこべ言うんじゃねぇ。俺を満足させられんのは手前しかいねぇんだよ。だから血ィ飲ませろや」


「横暴、すぎるだろ…」




明らかに違う意味合いの籠もった目で睨み付ければ、臨也は大人しく目を閉じた。ナイフを握り締める手にはすでに力は入っていない。抵抗しない。降伏します。そんなサインを受け取り、俺も標識を放り投げる。




「分かりゃいいんだよ、分かりゃ」




満たし合うことが正解だというのなら、邪魔が入ろうがもう遠慮はいらないだろう。そう開き直り、俺は舌なめずりをして臨也の腕を掴み取る。手が小さく震えているように感じるのは、きっと臨也も俺と同じように興奮しているからに違いない。



――あぁ、可愛い臨也。



甘い甘い血の臭いが俺の欲望を駆り立てる。一秒でも早く、その皮膚にかぶりついてしまいたい。

俺は沸き上がった衝動のままに強ばった小さな身体を抱き寄せた。そして、そのまま構うことなく、臨也の口に噛りつく。


それとほぼ同時に、あちこちから悲鳴が上がった気がするが、そんなことを一々気になんてしていられない。この際、公共の場など構うものか。



誰が何と言おうが、もうこれからは我慢する必要はない。


満たしあえるのは互いだけ。そう、互いだけなのだ。

だから後は互いに気持ちイイ毎日を過ごすために、もっともっと欲望に忠実になっていけばいい。




「――手前が俺を満足させてみろよ」



そしてもっともっと俺を求めろ。そう言わんばかりに俺は臨也との口付けを深くする。







――グチュ、ジュル、クチュ。という唾液を掻き混ぜる音は、血を吸う時と似ていた。
















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以上『きみがいない世界なんて、』提出作品でした!題名入らないくらいに字数ギリ。しかしなんだか変な話ですいません!静雄→→→臨也ラブvV
11,09,1(THU)


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