電車が来て、二人は足並みを揃え、中へ乗り込んだ。ちょうどシートには二人分の席があったため、そそくさとそこへ向かい腰を下ろす。


溜息のような音をさせながらドアが閉まると、同時に耳の中に音色が残るほど暑苦しく鳴いていた蝉の声が途絶えた。その代わりに今度は冷気が身体に纏わりつく。


座席の背もたれに全身を預けたいと思いつつも、背に貼りつく妙に冷たいシャツに臨也は姿勢を正し、堪えた。



 はふ、と小さな息を吐く。


 日本の電車は静かだ。カタン、カトン、カトトン。そんな軽快な音が車内に響き渡るだけで、それ以外何一つ音がしない。そうしみじみと実感する臨也のちょうど右側。優先座席のシートに座っている女子高生二人は、互いの携帯を覗きあいながら何か真剣にボタンを打ち合っている。


――なにか面白いゲームサイトでもあるのだろうか。


 そんなことを考え始めれば、携帯を触らずにはいられなかった。


 スライド式の携帯を開け、気に入りのサイトをチェックする。そしてそのまま、なにか変わったことはなかったかなどコミュニティーに顔を出す。ログをざっと見るに、どうやら目に付くほど変わったことはなかったらしい。目と手は動かしたまま臨也はほっと安堵した。


 しかし、その安堵もつかの間で、最後のコミュニティーを確認しようとしたところで、突如左からきつく腕を引っ張られた。そのために、危うく携帯を落としそうになる。




――危ないなっ!!




 聞こえない声が臨也の中で鳴り響く。







「だから手前が悪いんだろが。そうやって携帯ばっか見てんじゃねぇよ。……つか、おい。ここで降りるぞ」




 そういって構うことなく腕を引き電車を降りようとする静雄に、臨也は慌てて鞄を引っ掴んだ。静雄と乗車していたことをすっかり忘れていたといえば嘘になる。しかし、静雄といるよりも、そして病院に向かうというよりも、先程のコミュニティーのことが気になって臨也は携帯を閉じきれなかった。視線はチラチラ、チラチラと腰辺りで揺らめいている携帯を握りしめた手に注がれたまま。


 そのせいで、静雄の後を追うようにドアから飛び出した臨也は、不注意のまま、これまた携帯でメールを打っていたサラリーマンとドアを降りた付近で接触する羽目になってしまった。





――っイテ、




 骨と骨がぶつかる音。当たりが悪かったのか、男は酷く眉を吊り上げて臨也の方を振り返ってきた。そのため、臨也は反射的に思わず頭を下げる。




――すいません。




 そう謝ろうとして、しかし、声が出ないことを思い出し、臨也はすぐさま口を噤んだ。


 臨也の見かけは普通だ。ただ声が出ないだけであって、あとは普通の人と変わらない。しかし、声が出ないという見かけでは判断のつかない一つのハンデに劣等感を感じ、臨也は顔を伏せるしかなかった。握りしめた携帯を開き、声が出ないことを伝えるべきかと思案して、その案はすぐに却下する。怒っている人間相手に携帯を開けばどうなるかくらい誰でも分かる。ふざけているのか、と逆に相手を逆上させるのが落ちだった。





「ぶつかってすいませんでした」





 そんな臨也を庇うように二人の間に滑り込んだ静雄は、人好きのする笑みを浮かべて軽く頭を下げた。そしてすぐさま流れるように、

「謝れないのも訳があって、こいつ今、声が出ないんですよ。本当に申し訳ないです」

と、端的に症状を伝えた。




「すいませんでした。痛かったですか?」と静雄が問いかける。そうすれば相手は気まずそうな顔をして、手にしていた携帯を顔の前で小刻みに振り、そのまま何事もなかったかのように電車の中へ消えていってしまった。




 そんな様子を見て、臨也は目を見開くしかなかった。少なくとも静雄は愛想がいいほうではないと思っていたのだ。同級生に話し掛けるときもお世辞にもうまいとは言えない。


そうだというのに、先程の対応はなんだったのだろうか。






 ――俺の知るシズちゃんと違う。




 くるくる回る疑問を抱えながら、臨也は静雄に手を引かれて歩きだす。







 言葉が話せる、ということについて深く考えたことはない。しかし、この時なぜか静雄の隣にいることが臨也は無性に辛かった。ぐっと握りしめた携帯はいつもに比べ、どこか重たい。














 *













 そのあと病院に行ったものの喉以外は異常がないと言われ、結局は入院にもならないまま薬をもらうだけで自宅に帰された。薬剤の入った袋をチラつかせながら静雄にそのことを伝えれば、そうかの一言で返され、

「でもきっと入院した方が確実なんだ」

と真剣な顔で告げられた。


 なぜなのかと理由を尋ねても、直感のようなものでよく分からないと言い張るあたり、静雄自身もよく分かっていないようだった。



 それから、ちょうど一週間が経った月曜の一限目。臨也の声はいっこうに出ないままだった。加えて、周りの状況はさらに悪化し、今ではほとんどの生徒が声を出すことが出来ずに、身体を前のめりにして携帯の液晶画面に向かい、文字を打ち込んでいるような状態になっている。



 カチカチカチ。カチカチカチ。



 薄気味悪い音が講義室を支配する。


 そんな無機質な音の中で、臨也の横で一人ぺらぺらとしゃべる静雄は、携帯や紙などの媒体も通さずに相手の意図を汲み取り第三者と会話が出来るまでになっていた。



「今日、教授来んの遅くね?――って、あ、来た」



 静雄のそんな疑問に答えるかのような絶妙なタイミングで、静かな講義室を割り入ってきたのは見慣れない白衣と眼鏡を身に纏った男だった。男は周りを見渡しながら壇上を登り、そのまま教科書も何も持っていないその両腕で生徒側に大きく腕を広げる。そして肩が大きく上下に動くほど息を吸い込み、そのまま口を開いた。





「――さぁ、みんな始めようか」



「お、先生変わったんだな」





 講義室に響くのは、臨也の横にいる静雄と、壇上に立つ白衣の男のたった二つの声。軽やかで滑らかなそれは、少なくとも講義室に座っている生徒の大半が羨むものでもあった。もちろん、それは臨也も例外ではない。





「今日から君たちの授業を受け持つことになった岸谷です。なんだか変な病が流行しちゃってみんなも大変だね。まぁでもこれからは安心していいよ。原因は分かっているからさ。ただそれが克服できるかできないかは君たち次第だ。現に病にかかっていない子もいる。気長に頑張るといいさ。何しろ君たちは依存者世代だからね。一朝一夕で出来るものでもない。だからそれまで僕が面倒を見てあげようということになったのさ。ははは、まさか僕の彼女への愛の結晶がこうやって役に立つ日がこようとは思ってもみなかったんだけど、これもまた必然ってやつなのかな。あ、話はそれちゃったけど、そうだね、まずはこれから君たちが学ぶことになる授業の科目を紹介することにしようか」




 そういって男は眼鏡の縁を押し上げる。にこにことした目の奥で、何か純粋としたものがキラキラと輝いているように思えたのは、何も臨也だけではないだろう。


 ごくりと、息を飲む音が響き渡る。


 静寂の中に舞い降りた白衣の男は天使でも、ましてや声を奪った魔女でもない。けれども、間違いなく、声の出なくなった自分たちへ何かを与えてくれる贈与者だということは分かった。


 縋る思い。期待。そして、小さな後ろめたさを抱き、臨也たちはじっと男の言葉を聞き続ける。





「えー、それでは今からのコミュニケーション学講義を始めます」
























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というわけで、インテで配る予定だった即席突発無配でした!
恋愛要素はないわ、なんか意味不明な話やらでアレですが、次に因禁で出す本はちゃんと三角関係の恋愛本になる予定(たぶん)です〜

ふふふ、また落としたら洒落にならないプレッシャー…

11,08,29(mon)


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