朝八時に目覚め、適当に朝の準備をする。そして芳しい匂いを放つコーヒーを入れて定位置に座り、メール等を確認しながら後はこの状態で秘書を迎えるだけ。


そんななんてこともない普通の朝のことだった。





現在、八時三十六分。
仕事は徹夜を除き、どんなことがあっても九時からしか始めないと決めている。


口にパンを押し込みながら今朝の新聞を覗き込んでいれば、見出しには然程珍しくもない事件が報道されていた。



『官僚、再び横領』。『池袋で三人殺傷、18歳少年逮捕』。



この共通点のない事件の裏側で、実は関係性があるのだということはきっと誰も気づきはしないだろう。



吊り上がる口端を、コーヒーを飲むことで押し留める。


茶色液体を流し込めば、程良い苦みが喉を滑り落ちていった。







そのままコーヒーを片手に、ぺらぺらと然程気にかかる記事もない新聞を読み切る。そして、手元に残しておく記事だけ赤ペンでチェックを入れて、秘書の机の上に今日の取引関係のファイルと共において置いた。


後は優秀な秘書が記事を個別に整理をしてくれるだろう。








「おや、」





ちょうど全ての新聞にチェックを入れ終えたところで、玄関からかちゃりという音が聞こえた。


ちらりとパソコンの右下画面を確認すれば、九時三分前。秘書のいつもどおりの出勤時間だ。それに伴い、自分も机に着席する。


波江が必ず三分前に玄関の戸を開けるのに気付いたのは、確か共に仕事をするようになって一ヶ月目のことだった。

それ以来彼女を観察してみているが、ここで働き始めてからそのサークルがブレた試しは一切ない。

しかも朝と同じように、余程のことがない限り五時ジャストで退社するのはもはや恒例となっている。いくら仕事とはいえ、溺愛する弟のために費やせる時間を、一分一秒でも無駄にしたくないのだろうということは想像に容易い。


もちろん気持ちだけではなく、実際にそれを実行するために、与えられた仕事を時間内で片づけきる能力を持ち合わせているのだから、まぁ文句の付けようもないのだが。









そんな彼女のヒールが、コツン、コツン、と床を叩く音が軽やかに響く。


女性はどうしてあれほど高いヒールを器用に履きならすのだろうかと、ぼんやり考えながら、黙って扉が開くのを待った。

あらかじめセットしておいたコーヒーの抽出機がちょうど作業を止める。飲みごろだ。




しかし、普通なら十秒程でこの部屋に入ってくる彼女がなかなか入ってこない。


どうやら普段より歩幅が狭いらしい。


コツコツと聞こえる音がわずかに遅く、床を蹴る回数が多い気がする。







――ふむ、どこかおかしい。







パソコンの画面に目をやれば、時計はすでに九時二分前を切ろうとしている。いつもの彼女ならこの部屋に入ってコーヒーを注いでいるところだ。そして、一分前には机に座り、置いてある資料を通す頃合いになる。


となれば、どうやら今日はいつもどおりの朝ではなくなったらしい。





コツン、コツン、コツ。音がこちらに近づいてくるヒール音に耳を傾けながら、違和感を感じてすぐにパソコンにロックをかけておく。



そこで、三秒。







すばやく椅子を引き、デスクに隠し棚にしまってある『チョコレート』を取り出す。






これで、二秒。






深く書けていた椅子から体勢を整え、浅く座りなおす。








あと、一秒。












そして、扉が開くまで。零秒。



















「――入るわよ」



わざわざ扉をノックし、声をかけてきた波江の行動に確信する。


元々この部屋は仕事場としてのフリースペースだ。俺に入室の許可を取る必要なんてまったくない。そんな彼女があえてこういったことを行うのにはやはり理由があるのだろう。




――異常事態発生。




それを正確にこちらへとさりげなく伝える術を心得ている秘書には、頭を下げざるを得ない。


すぐさま、手の中で『チョコレート』の安全装置を外す。そして扉から一直線上にならないように少し回転椅子をずらし、「どうぞ」と入室を促した。







「やあ、おはよう」





扉が開いたと同時にいつもどおりに笑顔で迎えてやれば、数秒遅れて歯切れの悪い声が返ってくる。






「……おはよう」



「今日は元気がないね。どうしたんだい、弟君と何かあったのかな?」







見るからにげんなりしている彼女はなかなかこちらへと入ってこない。


その人一人分しか開いていない扉の隙間を注意深く見据えながら、差し障りなく会話を進めようとしたところで、波江が大きな溜息をついた。


それは、部屋に充満するかぐわしい香りを振り払ってしまう程の重苦しいもので、自然とこちらの眉にも皺が寄る。







「……朝から溜息なんてつかないでくれる?」



「そんな朝から私を困らさないでくれるかしら。――あなたに客よ」



「アポもなしにこんな時間に押し掛けるだなんて常識はずれにも程があるなぁ」



「あなたの元に押し掛けてくる奴なんてみんなそんなものじゃないの?」







さらりとそう言いきった波江は、至極鬱陶しそうな様子で玄関の方を振り返った。そして一言、「私の後ろでその胡散臭い笑みやめてくれないかしら」と苛立ち混じりに言い放つ。クックッと喉の奥で笑う男たちの声が、あまり性格的に良いものに聞こえなかったのは気のせいじゃないだろう。


聞き慣れたその声に、びきりと頬が引きつったのがよく分かった。







「まさか――、」






キィ、と歪な音を立てて開かれた扉のその先。波江の後ろに口角を吊り上げて佇む男二人の姿。こいつらが客なら、俺は間違いなく入っていた瞬間に、『チョコレート』で撃ち殺していたに違いない。






「よぉ、ノミ蟲」



「やあ、折原。昨晩はよく眠れたかな?」





























壮大なスケルツォ
(始まりはここから)












――今日から一緒に住むぞ、という言葉が聞こえたけど、それはきっと幻聴だ。













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俺得シリーズ始めてみました!



11,04,25(mon)


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