▼平和島静雄の諸事情



どことなく、久しぶりにみたその様子には疲れの色が見える。キス魔になったという噂が流れ始めたくらいから折原の信者が増えたという噂も同時に流れてきた。それは実際事実のことで、キスに心奪われた浅はかな者が折原をストーカーのように追いかけ回し、腐女子が折原を随時追跡し、勘違い野郎が折原のマンションに押し掛けてくるようになったのが原因だ。噂はもはや噂としてではなく、事実として池袋を巡り、そしてまるでおとぎ話のように折原の行動には名前がついた。その名を【シンデレラストーリー】。恐らくガラスの靴を片手に王子が運命の相手を探し出すということから付いたのだろう。あの男相手にもっといいネーミングが付けられなかったのかという疑問はもはや折原を知る誰もが思っていることだ。
そんなシンデレラストーリーも始まってから気がつけば一カ月近くにもなろうとしていた。池袋で折原の唇を知るものは多く、むしろ知らない人間の数はもうあと一握りというところまで来ていた。
――この中に運命の人がいる。
所狭しに張り巡らされた監視の目。あの、折原の運命の相手は誰なのか。池袋中がその行く末を気にして毎日を過ごしていた。


そんなある日の一日だった。





「やっぱり君も違うんだ」


折原の唇を知らない一握りの中の一人に、平和島静雄がいた。彼はまさに名を体現するがごとく、今、現在進行形で、静かにフリーズしていた。それもそのはず。出会った初っぱなに、首に腕を絡めて宿敵の相手にキスをされた。こんなこと出会って以来、そして驚くことに25歳という人生の中で初めてのことだった。
手に持った標識は甲高い金属音を放ちながら地面にぶつかり、落ちていく。カラン、コロンと跳ねる音が虚しい。しかし、恋は落ちるものらしい。恋に落ちた音というものは案外こうも呆気ない音を立てるものではないのかとも思う。



「化け物だから期待はしてなかったけど……、そうか」



折原は唇を自分の人差し指で軽くなぜながら、どこか泣きそうな声で呟く。運命の恋人は未だ見つからない。寂しくて、幸せになりたい。そう思い探し始めたというのに、もう一カ月も経とうとしていた。そろそろ、気力的にも、精神的にも厳しいのだろう。
折原は何度も唇をなぜる。眉間に寄った皺の下には潤んだワインレッドの瞳が揺らめいていた。目の縁からは零れそうなほどの涙が溜まっている。静雄はそれを見た瞬間に、頭や視界が一瞬で真っ白に塗りつぶされる感覚に陥った。これも初めて経験した感覚だった。



「い、ざや……」



動揺を隠せない。次々に白く埋まっていく思考に対して、本能からの大きく叫ばれた声に耳を傾けた。

――さぁ、どうしようか。このままいけばこの男をようやく物に出来るぞ。

静雄は例の噂というものを思い出した。
折原臨也はキスをして運命の相手を探している。そしてその相手はまだ見つかっていない。確かあの変態眼鏡でも、父親気取りの男でも違ったらしい。なかなか自分に回って来ない順番に苛立ちこそしたものの、静雄はそれでも珍しく辛抱強く待っていた。待てる男はモテる。上司が自信満々げにそう言っていたのを静雄は頭の隅で覚えていた。



「――臨也!!」



思考をぐっと現実に引き戻し、とても哀しげにアスファルトを見つめる男の肩を静雄は掴む。



「ちょ、ちょ、ちょっと待て待て待て!!もう一回してみろ!そんなフレンチみたいな軽いやつで運命の相手なんか分かんねぇだろうが!!やるならディープだ!おらっ、こいっ」



腕を引き、腰を抱き、ここぞとばかりに路地裏に折原を連れ込んだ平和島は心の中でガッツポーズをした。
女神が微笑んだ。折原を殺してしまいたいほど好きで好きで堪らない平和島は今の現状全てに高揚していた。
壁に臨也を押しつけ覆い被さる。少しだけ低い位置にある頬。そこに慎重に手を触れ、もう片方の手でしなやかな腰を引き寄せた。不安げに見つめる男に緊張が少し張り付いた笑顔で微笑みかける。
歓喜。言葉に表すのであるならばまさにその一言に尽きる。
あの折原が、自分の腕の中で、こんなにも大人しく身を委ねているだなんて。静雄の心境はあまりにも筆舌し難いものだった。
そっと目を瞑り、逸る気持ちを抑えながらゆっくりと折原の唇に自分のものを覆いかぶせる。薄く見えるようで柔らかい感触に叫びたい衝動に駆られた静雄は、自分の熱くなってきた腹に力を入れてどうにか気を逸らした。唇を舐める。



「――ン、」



そのまま何度か唇を往復し、その隙間から舌を捩じ込めば後はもう本能任せだった。折原の全てを味わいたいとばかりに至るところを容赦なく舐めては、互いの唾液を交換しあった。粘着質な卑猥な音に、時折静雄が流し込んだ唾液を折原が飲み込む音が混じる。
一度キスされると二度とないらしい。そんな噂は静雄だって聞いていた。何がどういう経緯を辿ってキスをすれば運命の相手が分かるという結論にまで至ったのかは分からないが、キス一つで運命の相手が分かるわけがない。しかし、それでも折原は運命の相手を求めて止まない。
ならば、やっぱり静雄がすることは一つだろう。
誤解をしてしまう程熱いキスをしてしまえば勘違いするのではないか。この時の静雄はそう考えていた。むしろチューすればするほど分かる運命の相手。ならば、あとはやってしまおうじゃないか。
チュっと可愛らしいリップ音を鳴らして唇を放した時には、折原はすでに腰が抜けて自分一人では立てなくなっていた。筋肉の程良くついたしっかりした腕に支えられ荒い息を整える姿は平生の折原とは違う。


「なぁ、臨也。もう一回、やってみないか?」


次こそなにか分かるかもしれないぞ。

そんな甘言を呟いた静雄は折原を抱き込む。びくりと揺れた身体はすっぽりと収まり大人しいままだ。そんな折原に吊り上がる口角をどうにか隠しながら、静雄は勝手に解釈する。沈黙は肯定。つまりはそういうことだ、と。だからこそ静雄は真っ赤に染まった耳に更なる言葉を投げ掛けた。これが最大の勝負になることを分かっていながら。甘く、まるで間違いなどそこには存在しないように呟いた。


「つか、ここで続きやんのも恥ずかしいだろ?俺ん家行くぞ」






12,11,03(sat)


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