落ちた落ちた。
誰が落ちた?











sAlo2ei









気が付いたら辺りは真っ暗だった。目を開けたつもりなのにそれは変わらない。夜中なのだろうか。静雄はどこで意識が途切れたのだろうかと考えてみたが、上手く思い出せなかった。頭がズキリと痛んだ。
そういえば体調が悪くて仕事を休んだ気がする。布団で身体を休めてそのまま寝てしまったのかもしれない。一度そう思うと不思議なものだ。確信がないのにそれが事実のように思ってしまうのはなぜなのだろうか。急に自分は風邪気味だったと信じ込んで静雄は手を額へと運んだ。熱くはない。冷たくもない。つまりは平熱らしく、然程体調は悪くなさそうだった。

ならば。

静雄は上体をゆっくりとお越し、右へ左へ腰を捻ってみた。しかしふわふわと揺れる重心に身体の怠さを感じてまた身体を沈めた。しんどい気がする。化け物と言われる体でも風邪を引いたら普通の人間と同じなんだな。そんなことを静雄はふと思い出した。そういえば昔もこんなことがあった。ぼんやりとあるはずの天井を見つめ、思い馳せる。
小さい頃は発達に伴う筋肉の崩壊が原因でよく涙した。体調とかは関係が無かった。とにかく身体が毎日休む間もなく壊れては悲鳴を上げた。その痛みが酷く気絶のように意識を飛ばすことも多かったわけだが、構築、崩壊、再生と繰り返される無限のループはまさに地獄巡りに相応するのではないかと静雄は信じてやまない。もう二度と経験はしたくない苦痛。そんな思い出と被る今に、静雄は急に心が騒めいた。大丈夫だと思うが不安が募る。一人が寂しいと思った。何年ぶりに感じ得た感情だった。
せめて電気を付けたい。
しかし、残念ながらぶらりと天井から吊されてるであろう紐を引っ張らなければ照明はつかない。
静雄は身体を俯せに向け、両腕に力をいっぱいに込めてみる。怠いと認識してしまった身体を動かすのは思ったよりも困難だった。動きと共に、グヂッ、と筋繊維が悲鳴を上げた。痛いなんてものではない。叫びそうになる声を噛み締めて静雄は更に上体を起こす。今は痛みよりも何よりも灯りが欲しかった。
けれども両腕をちょうど突っぱねた時に突如、ゴツン、という鈍い音が部屋中に響いた。何が鳴ったかは分からない。暗くて何も見えないから仕方がないことだ。静雄は早まった心音に鼓膜を揺すられながら、部屋の中で何が落ちたのかを考えた。基本的に性質上要らないものや崩れたり壊れたりするものは部屋に置かない。ハンガーが揺れるのでさえストレスになるのだから当然だ。本はきっちりと本箱に納まっているし、食器やリモコンの類はそれこそモデルハウスのように定位置に据えられている。意外と神経質な静雄にとって不用意に苛立ちを呼び起こすようなものをそのままにしていくとは思えなかった。

玄関の鍵は閉めているのだろうか。
ふと心配になって突っぱねていた腕を折り畳んだ。布団に埋もれるように身を縮め、他に音がしないかをただ確認する。

しん、と物音一つ聞こえない。

そう思いたかった。

しかし残念なことに物音は聞こえた。何かが滴る音と、しゃくりを上げる悲しい声だ。静雄は急に怖くなった。誰だろう。何だろう。見かけによらず奇怪現象の類が苦手な静雄は身を震わして更に大きな身体を丸め込む。体調が芳しくないことが余計に不安を駆り立てて仕方がなかった。何も知りたくない。何も聞きたくない。不意にそんな思いに駆られて、見えているのか見えていないのか分からない目をしっかりと閉じて、両手は耳らしき場所を覆った。何かに気付いてはいけない。そんな気がした。知っては戻れない気がした。だからこそ、そっとしておいてほしいと静雄はそう思い、鈍い身体を布団と思わしきものに絡め、小さく小さく蹲る。誰も近寄るな。よく分からないがただ一人を除いて誰にも会いたくなかった。


早く朝がきたらいい。
悪い夢は終わりだとそんな想いを抱いて、静雄はただひたすら目蓋を閉じて暗い暗い世界へ落ちていく。
















いざや、と呼ばれた気がした。重たい目蓋を抉じ開ける。目の前はなぜか真っ白で眩しい。痛みのようなものを感じてすぐに目を閉じた。
いざや。
また声を掛けられる。



「――な、に?」



聞き覚えのある声に反応して乾き切った口で答えてみれば、優しく頬を撫でられた。薬品臭い匂いが鼻をつく。



「ようやく目が覚めたようでなによりだ」



誰かは分からないが、柔らかく触れるその指先が頬から目蓋へと上がっていき、最後にくしゃりと髪を混ぜる。知っているような知らないような、そんな曖昧な相手に対して、どこか懐かしさを覚える。なんだか身体がダルかった。それと同時に頭が痛い。全体的に覚える不調に鉛のように筋肉が固まった身体を縮込ませてみる。少しはマシになるかと思ったそれも、しかし結局は意味はなかったらしい。余計に増した怠さに今度は吐き気まで付いてきた。心臓が痛い。



「君が怪我をするのは何も今に始まったことじゃない。ただ、そうだね。もう君が怪我をすることはないから安心してくれるといい。彼は、彼らは過ちを犯したんだ。君が強いと信じて。君が、独りに強いと信じて。でも実際はどうだろう。結末はこうなった。間違いようもなく、予想外の結果だった」



淡々と告げられる言葉が増えるにつれて心臓と頭の痛みがキツくなっていく。この手で何かを掴みたかったはずだった。けれども手になんか入るはずもなくて諦めて捨ててしまった何かがあったはずだった。何だか淋しくて堪らない。温もり、安心感、充足感。あまりよく憶えていないけれども確かに存在した飢えだけが、ただひたすらに自分の心を蝕んで仕方がない。その苦しさに耐えかねて一度手放したものもあったはずだ。とても大切で唯一無二の何かを。
そこまで考えて、急に記憶が朧気なことが不安になる。どうして自分はここで寝ているのだろうか。どうしてこんなにも逃げ出したくてたまらないのか。喪失感と鐘の音のように歪む視界に、縋るように手を伸ばした。この手で掴み取りたい何かがあったはずだった。けれどもどうしてか叶わなかったそれに、絶望してとった行動はなんだったか。
思い出したくても思い出せない。



「けれども君は気にしなくていいさ。全ては終わったこと。終わりよければすべて良しだ。優しい彼があとは静かに君のことを見守ってくれるよ。それこそ名前通りにね」



代わりに僕たちがいる。安心して溺れるといい。ねぇ、――――。

そう言って掴み取りたいと思っていたのとは違う何かに、優しく手を包み込まれる。温かくも冷たくも感じない人の手。その何とも言えない感覚に悪寒だけが込み上げる。どうしたらいいのだろう。なぜか迷子になった子供のように泣きたくなった。



「時には尊き犠牲くらい必要?ねぇ、そうだろう?」



目蓋を開けた時に、会いたい人が居た気がする。それでも今見えるのはダイヤのマークと真っ白な何か。
自分は果たして誰に会いたかったのだろうか。
望まない答えに目を反らし、知っているような知らないような曖昧な記憶を辿り、静かにもう一つの夢の世界へ堕ちていく。

それが今の自分に許された唯一の行動だった。







12,10,03(tue)


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -