*没の作品。










隠れた名店ばかりだと言われるスクリュード・サンマルチェ経営の和食専門店、通称『和(かなで)』。社長である九十九屋真一初の試みであるそこは、日本でまだ東池袋に一店舗しか展開されていない。

竹と木のみで組み立てられた内装。そして店内を流れる小川や、時間帯によって変わる光の演出。そして店の中央に設けられた小さな舞台では、数時間に一度、日本古来の楽器を使うライブが繰り広げられ、日常に忙殺され枯れ果てた人々の心を癒す。また全席完全個室という閉鎖的な空間を和らげようと用意された小さな中庭は、四季とりどりの草花が植えられていて、人々を魅了する。


『忙しい者こそ休息よあれ』


九十九屋真一が掲げているそのコンセプトをまさに体現したお店、『和』。東京を離れることが出来ない忙しい人間の心をこの店が鷲づかんだことはいうまでもなく、現在九十九屋真一の予想通り、連日満席状態が続いていた。















そんなしっとりとした雰囲気の『和』店。しかし、どんなに落ち着いた雰囲気のお店でも、バックヤードの戦場は変わらない。



「おら、紀田!早く持って行け!冷めんだろうが!!」


「はい!!」



若くも副料理長である平和島の怒号が今日も響く。手に持った蕪の煮物を長手に乗せ、接客を急かすその姿はあまりにも気迫溢れていて、尻ごみをしそうになる。それでももう慣れているのだろうか、紀田と呼ばれた青年は自分のやっていた仕事を一度横置き、すぐに平和島から長手を受け取った。すいません、ありがとうございます、というお礼の言葉は忘れない。もちろん笑顔も同じくだ。その動作は忙しい中と言えども物腰が柔らかく、伊達に接客長から厳しい教育を受けていないということが窺える。一つ一つ、指先まで動作に気を使うこと。それがこの接客長である折原の教えだ。そしてその教訓と同じように、相手の様子を窺いながら言葉一つ一つをよく考えること、客人に提供する前に料理の確認を怠らないこと。この二つはそれこそ口を酸っぱくして従業員は言い聞かせられている。



「三番卓の蕪の煮物、と。内容は蕪と菊花餡に……。この蕪の中に入っているのって鳥ミンチで変更はありませんよね?」



紀田は折原に倣った通り、煮物の内容を確認するために蓋を開ける。客人に出す前に接客がきっちりと料理内容を把握するのは基本中の基本。オーダーが偏ったり、納品が少なかったりすれば本来のレシピとは違った食材での提供は当たり前なので、だからこそ、このメニューは何処の席のものか、食材の抜けがないか、変更がないか。また、変更がある際は一体何に変わったのかを随時確認する。それはもちろん提供時に客に説明をするためであるし、同時に納得いく料理を提供するためでもある。
バックヤードを抜けるまでは調理側に責任が問われるが、暖簾を潜ってしまえば全てが接客側の責任となるのだから、当然と言えば当然の作業。しかし、折原を筆頭にこの店の接客たちはこの点を関して非常に重点を置いている。胸を張って出せる料理があって初めて自信のある接客が出来る。それは提供側からすればやはり大きなことで、事実この店の接客は誰もがプライド高く仕事に臨んでいた。

――しかし。
忙しい時にこれをやると理不尽な目に遭う確率が高くなってしまうのも確かだ。



「鳥ミンチ以外に何があんだよ!忙しいっつーのに今さらんなこと聞くな!!」


「すいませんでした!」


「静雄!!」



そんな二人のやり取りに厨房から料理長である門田の声が上がる。



「怒りてぇ気持ちも分かるがあれはただの確認だろうが!ビビらしてどうする! 前にも言ったが委縮する中で仕事やったらな、大概碌な事はねぇんだ!」


「はい!!」


「お前は副としてもっと自覚しろ!」



包丁を片手に副料理長である平和島に激を飛ばした門田は、すぐに当たりを持ってきた煮方の人間に指示を出す。そして何事もなかったかのように忙しく動き回るスタッフに目を配り、遅れや抜け、盛りつけのミスがないかを確認しはじめた。同じように平和島に怒鳴られた紀田も暖簾をくぐり、三番テーブルに駆け走っていく。一瞬にして誰もが自分の本来の仕事に戻っていく。いつもといえばいつもの光景。怒られた方はたまったものではないが、それでも気にすることの方が可笑しい。その辺のことはある程度の覚悟を背負いながら誰もが頑張っている。そして何より、接客側には頼りに出来る人物がいるため、多少の不満や理不尽さも彼に任せておけば全て丸く収まることを接客側は知っていた。

案の定、平和島の怒鳴り声に反応してか、一人の男が顔を出す。



「十番テーブルのところ何も料理出てないんだけどどうなってるの? てかオーダー見えてる?」



真っ黒な着物を着た優男が厨房の入り口まで入ってきて、こてりと首を傾げた。さらりとした黒髪に、深みのある赤色の瞳。真っ白な肌はそれこそ絹のように滑らかで動かなければよく出来た人形のように思える。男、折原臨也は、接客のトップだ。店長である九十九屋真一の実質右腕として動く彼の容姿は誰もが振り返る程綺麗な顔立ちをしている。中性的なそれは、老若男女共に好かれ、その容姿を更に引き立てるように話術にも長けている。そのため、常日頃から客席への挨拶回りを欠かさない。
そんな彼が厨房にやってくるというのはよっぽどの時のこと。それは調理場の誰もが理解していた。



「全体的にオーダーが遅れてる。できないのなら俺が中に入るよ」



にこやかに話しているとういうのに、その目は笑っていない。暖簾さえくぐってしまえばどんな客も顔を赤らめさせてしまうほどの綺麗な笑顔で出迎えるというのに、今はその面影すらなかった。むしろ綺麗な顔が相まってその苛立ちがきつく感じられる。それを見て平和島が唇を噛んだ。



「手前は調理の人間じゃないだろうが……!」


「調理の人間じゃないけど、自分の店の料理くらい言われなくても作れるさ。実際、ドタチンと一緒にメニューを作っていた時期もあるしね。むしろ作り方を知らずしてどうやってお客さんに説明するんだい?それくらい考えてみれば分かることだろう」


「…………っぐ」


「それと言わせてもらうけど、俺が教育指導してるんだから外の子はみんなメニューをちゃんと覚えているよ。しかもどの食材が使われているとか、どんな調理方法が施されているとかくらい当たり前のように知ってるさ。だからうちの子たちにあまり怒鳴り散らさないでくれるかな? 何か失敗をしたならまだしも料理の確認くらい普通に対応して欲しいものだよ」


「すまないな、臨也」


「ドタチンは悪くないだろ? 悪いのはどっかのお馬鹿さんだけだ」


「手前ぇ!!」


「吠えるくらいならさっさと手を動かしな、馬鹿シズ。君らが手いっぱいってことはこっちもきついわけ。それも理解してよね。何より、分かってるこの状況?この上なくありがたいことに店は満席。しかも玄待ちもあるときた」



淡々と事実を語る折原の目付きはやはり鋭い。平和島と折原との険悪なムードに、調理場か静まり返る。雰囲気に蹴落とされまいと必死に動き回る厨房の人間。彼らのぎこちなさを目の端に捉え、門田は溜め息をついた。口を出すべきか否かと悩み、――しかし口を閉じる。なぜなら、それよりも先に、タイミング良く機械音が響いたからだ。
トゥルルル、ストゥルルル。
独特の音と共にフロントから入ったらしい内線に、折原の意識が大きく逸れる。それをチャンスだと言わんばかりにとった門田の行動は早かった。不服そうな顔つきのまま折原を睨んでいる平和島を宥め透かしながら一度厨房の奥、煮方の方へと引っ込める。



「――波江?どうしたの?」


『今どこにいるのかしら?』


「離れだよ。調理場に伝えなきゃいけないことがあってね」


『……なら用件だけ伝えて早く帰ってきなさい。あなたが調理場に行くと揉め事の元よ』


「え、何?俺が悪いわけ?」


『悪いとは言ってないわ。あくまで接客と調理場とは相容れることのできない溝があるってだけよ。少なくとも私は調理場の人間が嫌い』


「波江さんって基本的に誠二くん以外みんな嫌いだろ?」


『それとはまた話が別よ。とにかく、早くこっちに帰ってきなさいな。あなたのお得意様がお帰りよ』


「四木さんが?うん、分かった。もうお帰りなんだね。うん、うん……。リョーカイ。今すぐ行く」



そのまま簡単に話を終わらした折原は、内線を胸元へ滑り込ませ顔を上げた。
その表情に先程までの険しさはない。



「――というわけで、善くも悪くも俺は今からお見送りに出なくちゃいけないから一度離れるけど……、そうだねぇ、十二番テーブルの客人から催促が掛かってる。メニューは季節の天婦羅盛り合わせが二つ。あと、五番卓はデザートね。ここは常連さんだから何かサービスして。出来ればクリーム系の甘さが嬉しいな。あの人たちいつも単品でバニラアイス頼むような方だから」



そう言って何事もなかったかのように調理場を後にした折原に反応して、門田の声が響いた。



「手前ら聞いてたな!!天盛り二つ急ぎだ!!まだ玄待ちがいるらしいから気合入れていけ!!」


「「「――ッス!!」」」



先程までのいやに張り詰めた空気を払拭するように調理場全体に響き渡った掛け声を背に、折原は満足げに暖簾を潜る。もうすでにその表情に先程までの剣はない。柔和な微笑みを携えて、お客の元へ歩きだす。

切り替えの早さもまた彼らの仕事で、いつもの日常なのだから当然といえば当然のこと――。




12,09,20(thu)


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