いきなり抱きついてきたかと思えば、開口一番とんでもないお願いをしてくるから驚いた。


「――ねぇ、俺とキスしてよ」











▼岸谷新羅の諸事情



「…………頭に虫でも湧いた?」


軽快なチャイム音と共にやってきた悪友のそんな冗談とも取れない言動に、表面上はまだしも岸谷は心の中では大慌てしていた。未だかつてあの折原臨也が岸谷の胸元に飛び込んでくるという可愛らしい行動を取ったことは一度もない。それはもちろん、平和島に大怪我をさせられて意識が朦朧としている時も、誰にかに良からぬ薬を嗅がされ身体が火照っている時だって同じこと。折原は山よりも高いプライドと強固な精神力によって、絶対に他人に自分の真(なま)の部分を触れさせようとしない。いつだって観察する側。高みから周囲を覗く傍観者の姿勢を貫いてくる。それが折原臨也を形作るために重要なことなのだと気付いたのは、折原本人の口からそう告げられたからだった。
しかし。その頑なに他人と自分を切り離して生きている折原の姿を見る度に、岸谷は口には出さないが、いつからこうなってしまったのだろうかと悲しくなる時があった。
折原は性格さえ除けば、確かに万人受けをする容姿にトーク技術がある。マナーもいいし、博識だから話題も豊富だ。誰とでもすぐに話すことが出来るのは想像に難くない。あの性格さえ身を潜めさせれば、多くの人に囲まれて笑い合い、無茶をしてはみんなで馬鹿騒ぎをして、それこそ青春という文字で括りきれるいい思い出を作れたかもしれない。
けれども、折原は一人でいることを選んでしまった。それもこれも全ては人間愛のせいだ。
折原の人間愛は博愛主義者よりももっともっとえげつないものではないのだろうか、と最近の岸谷は考える。全てを平等に見、自分を投げ打ってまでその対象に愛を振りまく。その中にもちろん自己なんてものは存在しなくて世界中でたった一人、孤立して生きていくことを課せられる生き方が折原の人間愛だ。
極端すぎるその愛し方。人間愛を成り立たせるために必要な自己犠牲。その自己犠牲を折原がどこから真似をしたのかなんていうまでもない。模範は恐らく岸谷自身からだった。出会った当時の首なしライダー狂の岸谷に感化されたのが恐らく全ての始まり。興味から羨望、そして固執へと繋がる最大の悪循環を経て折原に定着してしまった、本来ならばあってはならない、その考え。
岸谷は折原が人間愛を語る時にいつだって思っていた。
――それで君は幸せなのかい、と。
見返りがなくても愛は思い続ければ成立する、というのが岸谷の考えだ。それでもその愛はたた一人に向けられるものだからその他大勢は正直な話どうでもいい。最優先事項は思い人、その他大勢はすべて二番以下に来るため、嫌われようとも好かれようとも、それとも泣いていたり、無様な姿を見られようとも気にしないでいられる。岸谷にとって一番の弱い部分を見られてはいけないのは愛する首なしライダーだけなのだ。
しかし折原は違う。一人ではなく、人間を全員愛してしまった。そうなれば気を許す相手、自分が弱った時に頼る存在も居ず、ただただ毎日を取り繕っていかなければいけいない。
だから、困ったことになる。もし、限界が来たら。いつ、どこで、誰に、折原は素の自分を見せるのだろうか。頼る相手のいない人間がどれほど脆いかこれでも岸谷は知っているつもりだ。人は一人で生きられない。その言葉の存在する意味を正しく、理解しているつもりだった。
弱っている時ぐらい人に頼ってもいいじゃないか。そう思うのは恐らく人として正しいだろう。けれども折原にとってその考えは論外にあたる。
出会った当初のことを考えると、どうしてこうなってしまったのか分からない。折原臨也にとって、人間愛とはなんなのか。岸谷からしてみればこんな一人相撲を繰り返すことに意味があるのかと首を傾げずにはられない。中学の時を思えばまだ幾分か可愛げのあった言動も、年を重ねるにつれ深みを持ち非道になりつつあるのは言うまでもなく。けれども、次第に歪んでいく折原を眺めながらそれでも首なしライダーのことだけで頭がいっぱいで何もしてやれなかった昔を思えば、もう全てが後の祭りでしかないとも思う。だから救えない。そう救えない、のだ。真に触れさせまいと殻に籠った男には、どんな人間のどんな行動だって届きやしないのだ。それが例え、悪友である岸谷だとしても。悲しいことに救う術を持たない。


そんな少なくとも、絶対に岸谷であっても弱いところを見せない男、折原臨也。

しかし、そんな彼が今現在、抱きついて、縋るような視線を送ってきているという事実に、岸谷の頭に数えきれないほどの疑問符が浮かんだのも仕方がないといえば仕方がないことだった。
これは、誰だ。
心の中でひたすらに繰り返す問いかけにもちろん返事が帰ってくるはずもない。
黒のファーコートに、ワインレッドの綺麗な目。そして誰もが称する眉目秀麗という言葉を貼り付けたような容姿。間違いなく、岸谷の知る折原臨也だった。



「え、えーっと、なにかな。そうしたの? え、何かあったの??」



訴えかける様な視線に堪らず、岸谷は目を泳がせながら折原に問いかけた。途切れ途切れな台詞はまさに動揺の塊だとも思う。情けないやら恥ずかしいやらで少し顔を赤く染めた岸谷は、それでもまるで目の前でいきなり黄泉の国へと続く異空間が開くようなひやりとする感覚と、セルティがいきなり服を脱ぎ出したような興奮なんかが色々と混じり合ったような感覚をこの時味わっていた。ズレた眼鏡を掛け直すのを忘れているほど現状に頭も身体も付いていかない。



「新羅、なぁ新羅……」



弱弱しい声がほんの少し自分より低い位置から聞こえてきて岸谷は我に返る。



(――そういえば、)



【折原臨也がキス魔になったらしい】。
そんな噂をちらりと耳にしたのはいつだっただろうか。岸谷が記憶するに確か一週間ほど前だったと思う。いきなり抱きついてきたかと思うとキスをされる。それもソフトな唇触りでなかなか悪くない。折原は見目もいいから恋人にするのも悪くないなと言っている人間がいて物好きもいるものだと関心したものだ。それこそ良く見かける提示番で一番の話題トピックスとして上がっていたからその他の意見も鮮明に覚えている。
けれども、折原臨也を知る自称友人、改め悪友の岸谷新羅はその噂を鼻で笑っていた。彼の知る折原臨也は少なくとも他人に面白み以外の何かを求めたことはない。純粋な興味だけの観察。その域で留まるからこそ、彼は折原臨也として、また情報屋としてやってこれたと言っても過言ではないのだ。そのことを少なくとも中学校の時から一緒にいた岸谷は正しく理解している。むしろ、理解しなくとも彼の振舞いを見ていれば誰もが自ずと気付くことだった。
それなのにキスというまさに他人との間に何かを感じさせるような行為を求めるなど、果たして一体どうなってしまったのだろうか。岸谷は首を大きく傾げるしかない。記憶喪失か。それとも、ただの気紛れか。二つに一つのそんな選択に加え、岸谷はさらに頭を悩ませることとなる。
――実際に考え込んでいたせいで更に驚くことになるとも知らずに。




「なななな、何やってるのちょっと……!!」


可愛らしいリップ音と共に唇に感じた柔らかい感触。なるほど、顔も綺麗だし、唇触りもいいこれなら男でもキスされても問題ないという気持ちも分かると岸谷は納得しかけた。しかし、あれちょっと持てよと我に返った瞬間に付きつけられる折原にキスをされたという事実に、岸谷はそれこそ全身の毛が飛び抜けるような感覚に陥った。大事な恋人とのために大事に取っていたファーストという名のキスが今奪われた。それも男に。
あまりにも衝撃的な事実に岸谷は床に尻餅をつく勢いで思いっきり後退った。
キス、キス、キス。これは一体どういうことなのだ。



「…………お前でもないのか……」


「…………え、っと……」



思考が止まった岸谷は、ズレてもいない眼鏡を押し上げることで冷静さを取り戻そうとしたがやはり身体が動かない。愛する人のために取っていたキスがまさかの男に奪われたショックの大きさは考えるに忍びない。しかし、肝心の折原は何かを納得して岸谷と距離を取った。用済み。まるでその言葉が似合う。
そのワインレッドの目にはすでに興味という欠片すら浮かび上がっていなかった。



「ど、そういうことなのか説明してくれないと、ちょ、ちょっと、僕の気が、ねぇ、うんん、済まないというか。え、どういうことなの? 君、どうしたの。馬鹿になったの? ねぇ?」


「――チューすれば運命の相手が見つかるって聞いてさ」



にっこりと微笑んだ顔にはどこか薄暗い影が落ちていた。岸谷は目を疑った。
折原臨也といえば、常に自信満々で、掴みどころがなく、それでいて自分勝手な男だ。たとえ旧友と言えど、他人に弱みなど一切見せない。そんな可愛くない男が、可愛らしいことを可愛らしくいうものだからぎょっとした。
それはもちろん、平和島に大怪我をさせられて意識が朦朧としている時も、誰にかに良からぬ薬を嗅がされ身体が火照っている時だって同じだ。折原は山よりも高いプライドと強固な精神力によって、絶対に他人に自分の真(なま)の部分を触れさせようとしない。いつだって観察する側。高みから周囲を覗く傍観者の姿勢を貫いてくる。その頑なに他人と自分を切り離して生きている折原の姿を見る度に、岸谷はいつからこうなってしまったのだろうかと悲しくなる時があった。

――それなのに、これは一体どういうことなのだろうか。



「俺もいい歳だろ?なんか最近凄い淋しくてさ。いい加減腰も落ち付けたいし、もうひとりぼっちもいいかなって」


「え、……え?」


「――幸せになりたいんだよ、俺」



そう口にする折原の目は至極真剣で、岸谷はやっぱり目を丸くしてただただ茫然と立ち尽くすしか出来なかった。

つまり、これは一体どういうことなんだろうか、と。














12,07,09(mon)


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -