【ここ】に来ることは、つまり何人たりとも――。

















平和島静雄はこの名も分からぬ場所で物心ついた時から看守の任についている。特異な体質のため、通常の人間ではありえない人体の構造をしている彼は、いつだってこの役目を重荷に思ったことはない。刺されたとしても。殴られたとしても。彼は通常感じるであろう程度の一割程の痛みしか感じ得ない。加えて、自販機すらも軽々と持ち上げるその筋力は、手を直接触れなくとも囚人たちを牢屋から出さないことが酷く簡単に出来た。
普通ならばありえない、なかなかに理解しがたいその能力。それらを善として生かしきれるこの監獄は、彼にとって非常に住み心地の良いものであった。
また、彼の周りには同じく変わった能力や生態をしたものが多く存在した。たとえば、首のない女。たとえば、何やらよく分からないものに取り憑かれた刀の女。そういった様々な異様な存在が当然のようにこの監獄を守り抜く。この監獄のすぐ外には素晴らしいほど眩しいセカイが広がっていると知っているからこそ、彼らは口を揃えてこの監獄に収容されたモノたちを徹底的に更生させることに費やした。
――あんな素敵なセカイにいれたことを感謝しろ。
囚人たちを監視する彼らの存在は、酷くヒーロー染みていて、それでいてその内側に羨望を抱いていたのかもしれない。


そんな彼らの一方で、監長である九十九屋真一という男は常に、彼らに牢獄を指し示しながらこう言い聞かせていた。



『お前たちは、【それ】に触れてはいけないよ。そうすることでお前たちは存在しているのだから』



その言葉の意味を平和島も、そして周りのものたちも正しく理解していた。【ここ】の役目。自分たちの存在意味。そして、定義。人間ではないグレーゾーンに分類される自分たちだからこそ、存在を肯定するために監長の忠告に従わなければいけなかった。
決して直接には触れず、監獄から囚人たちが脱走しないように見張り続ける。それが絶対的な命令だというのなら、自分たちはその命令を遂行することが絶対的な結果となっていた。



「君は今の生活に何の不満もないのかい?」



そんな彼らに三日月のように口角を上げた化け物が謳う。オリハライザヤ、という男が新たに監獄に入ってきたのはつい最近のことだった。監長の九十九屋真一が引きずり落とし、連れてきた。曰く、度が過ぎたらしい。監長の愛する外のセカイを壊そうとした彼は余りにも罪深く、許し難いモノ。それはまさしく、看守たちにとっても同じモノでしかなかった。



「…………」

「君たちはおかしいよ。こんなところにいて」



クスクスと笑う声が響く。素敵なセカイから堕された人間は、この監獄の意味を知っていながらもそれでも陽気に笑っていた。普通ならば、気が狂うなり、絶望に苛まれたりするはずだった。少なくとも、平和島が見てきた人間はみんなそうだった。
それなのに、このオリハラは何かが違う。絶望とは無縁の表情でただただその場に存在している。堕ちても尚輝きを失わないその姿に、平和島は腰に掛けていた鍵を全て無理矢理ポケットに突っ込んだ。パンパンに膨れ上がるそこはまるで今の平和島の心のよう。
残念なことに、この時の平和島はまるでこの監獄をも楽しもうとしているかのように存在する男に引き寄せられている自分を正しく理解してしまっていた。



「…………」

「外のセカイは素晴らしいよ。君は【ここ】から出たことがないから知らないだろうけど」

「知ってるけど、知らねぇよ……んなこと」



答えを返してはいけない。これが悪魔の呟きだということは平和島も知っている。それでも耳を貸さずにいられないのは、声に出さずにいられないのは、オリハラが平和島にはない何かを持っていたからだった。
平和島はゆっくりと息を吐いた。そして慎重に慎重を重ねてゆっくりと檻には触れないギリギリの距離まで歩み寄る。もっと近くで。もっともっと近くで。出来ることなら触れてしまいたいという葛藤とせめぎ合いながら、平和島はオリハラを最大限に視界に映した。



「狭いセカイだ、【ここ】は。息苦しくて、死にたくなる」



うっとりと呟く男に目が釘付けになる。青空が話しかけてきたような声に耳が集中する。そして男から放たれる甘い甘い匂いに鼻が敏感に反応し、口がカラカラと渇き始める。無性に心音が早くなり、平和島は苦しさに胸を抑えた。痛みはずくずくと下半身を刺激して、さらにオリハラに触れたい衝動を掻き立てる。
この場に居ては駄目だ。平和島は正しく理解する。それでも、『調律されたセカイは楽しいかい?』と、ケラケラと笑う男から逃れられなくて、結局はその場にただただ棒のように立っていることしか出来なかった。



「君は、幸せかい? こんなセカイで」

「……俺は、」

「つまらないだろう? 何にも触れられない。何とも関係を持つことが出来ない。君たちは君たち自身を定義付けするために孤独であり続けなくてはいけない。それの一体なにが幸せと言えるのだろうか。ねぇ、君は応えられるかい?」

「…………」

「――なんて、小さなセカイだろうね。寂しいね」



平和島は今の現状に特に不満を抱いたわけではなかった。それどころか、少なくとも満足していた節があった。自分の特異な能力について、平和島は正しく理解している。人間では持ちあげられないものを持ちあげる強靭な筋力。そして馬力。調整が出来なければあっさりと人を殺すことも出来るその危険度は間違いなく誰よりも平和島本人が理解していた。それと同時に、この能力が外ではイレギュラーな才能だということも理解していた。今居る監獄のような世界ならまだしも、絶対的多数に押し負ける外の世界では忌子でしかない。だからこそ、平和島は素朴な疑問に首を傾げる。確かに、このセカイは幸せだ。能力を認められ存在が出来る。ただ、この狭い監獄で自分は一体どこまで感情を曝け出すことが出来るのだろうかと考えて、平和島の思考は失速する。
そういえば、いつから自分以外のモノに触れていないんだろうか。そういえば、いつから自分以外のものと会っていないのだろうか。考え出せば考え出すほど湧きあがる疑問に、オリハラの声がダブる。



「ルールを守ることは大切だ。特に君たちにおいては絶対的なものといえる」

「――お前の罪はなんだ?」



その質問にオリハラはチェシャ猫のように、うんと唇が弧を描いた。

場の空気が凍る。西にあると言われる京の都では地の底から冷気の漏れだす場所があるらしい。そこは異界へと繋がっており誤って人間がそのセカイへ落ちてしまわないように頑丈な石で塞がれているそうだ。しかし、その冷気が外に出なくなったという代わりに、地中を巡り京の都を冷やすのだ。もしかしたら、今の場の空気はそれと同じ冷たさをしているのかもしれない。そんなことを平和島はふと思った。



「知りたいかい?」

「知りたい」

「それは何のため?」

「それは、」

「答えは君の中に?」

「…………」

「話してご覧。君の口から」

「…――なんでお前は【ここ】に来たんだ?」



少なくとも、今【ここ】にいるという点において、オリハラと自分の間に何ら隔てるものはないと平和島は考える。【ここ】にいるものはみな同じ。同じ理由を以って【ここ】に閉じ込められている。例えそれが囚人であろうとも、例えそれが看守であろうとも。そこに違いは生まれない。それならば、と平和島は鉄格子に手を伸ばす。重々しい、冷たい色を持ったそれに手を伸ばす。

違いはない。


――あるのは檻の外か中かという、違いだけ。








「お前は【ソレ】に触れちゃいけないよ」


しかし、触れるか触れないかのギリギリのところで、後ろから声がかかった。その声に何か夢から覚めたとでもいうように目を真ん丸とさせた平和島は慌てて檻から大きく離れる。後ろを振り向けば、そこにはここに住むものにとって絶対な主が静かに佇んでいた。



「惜しかったなぁ。ふふふ、監長のお出ましかい」



そんな二人の様子にオリハラはにっこりと微笑んだ。同じように九十九屋もにっこりと微笑んだ。両方とも整った顔をしている。表情だけみれば、両方とも人形のような顔だった。けれども、柔和な態度とは裏腹に張りつめた空気は確かに、重く平和島を包み込む。この場に居ては危険だと脳が忠告する。




「【ここ】に居るのは同じだとしても、お前とこいつは違う。鉄格子が隔てるこちら側と牢屋側。その意味はありのままに現を示す。――こいつの犯した罪は重い。そしてお前の冒そうとした罪も重い」



九十九屋がにっこりとした表情のまま、右手に持った銃を平和島のこめかみに冷たく付きつけた。平和島はそこにきてようやく自分が冒そうとした過ちに気がついた。【同じ】だけど【違う】。それは向こうのセカイで嫌という程体験した、現実。

平和島は目を瞑る。思い出したくもない記憶と共に目を瞑る。そして息を吐いた。身体の隅々にある酸素を全て吐きだすように、長く、長く。




「約束を守れないのは感心しないな。蛇に誑かされて、【次こそ】楽園から追放されたいのかい?」



静まりかえる牢屋に響くテノール音。全てを聞き終えた後に、平和島は瞼を起こした。綺麗な綺麗な鷲色の瞳。しかし、再び瞳が開かされた時にはすでに目の奥には一切の光がなくなっていた。



――九十九屋がいう、その言葉の意味を平和島は確かに知っている。









12,04,16(mon)


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