頭をかきながら、トースターなどが積まれた場所に行くと、
そこにはもう様々な料理が用意されていた。




「ようやく起きてきたのね、お寝坊さん!」

「おはよう、ジェニエニドッツ」

「もー、あんまり起きてこないもんだったから、どうしちゃったのかと思ったわよ」


ジェニエニドッツはミストフェリーズに手を引かれてやってきたナマエに快活に話しかけた。恰幅のよいおばさん猫の両手には、猫用にリサイズされたフライパンやら、フライ返しやらが握られている。普段彼女は、これらの用具を使ってネズミ達に料理を振る舞うのだろう…。見たことはないが、その姿を想像してナマエはそっと笑った。



「しかし、すごいねジェニエニドッツ。一人で作ったのかい?」

「そうよ。なんたって今日は特別な日だものね!あんたがここに来て三年の、大事な日だもの」



ミストフェリーズに促されて近くにある席に腰を降ろしたナマエは、あまりの量の多さに驚きを隠せずにいた。
一体どうしたらこの量の食料を調達し、調理することが出来たのかと思ってしまう程だ。
ナマエが腰を降ろすと、ミストフェリーズがその隣にちょん、と腰をかけた。
その様子を見てまだ調理中の食材と格闘するジェニエニドッツが微笑みかける。


「ミストフェリーズはナマエにべったりねぇ」

「そうかな?」

「そうよぉ、あたしが誰かナマエを起こしてきてって言ったら真っ先にミストが行ったのよ。『僕がいく!』って」



くすくすと笑うジェニエニドッツに、ミストフェリーズは思わず赤面するが、どうやら反論する言葉が見当たらなかったらしい。ナマエが顔を覗きこもうとしても、そっぽをむいてそれを避けた。



「ナマエが来てから、ミストフェリーズは変わったからな」



唐突に後ろから声が響いた。振り返ると、グレーの毛並みの縞猫がしっぽをピンとまっすぐ天に向けながら、人間達が捨てた車の上から降りてくるところだった。
たん、たん、としなやかな足取りで車から降りると、ナマエとミストフェリーズの前で立ち止まる。


「おはよう、マンカストラップ」

「おはようナマエ。そしておめでとう」

「おめでとう?」

「三年目だろう」



ぽん、と掌をナマエとミストフェリーズの上に乗せて撫でるマンカストラップ。
そしてナマエの横の、もう一つの開いていた席に座ると言葉を続けた。
優しく目を細めるマンカストラップの顔を見て、ナマエは心の中に残っていた疑問をそっと口にする。


「マンカストラップ、祝ってくれるのは嬉しいのだけれど、私はそんなに…なんていうか、祝う程の存在なの?」


彼ら猫にとって、誕生日などあってないものだ。人間の習慣が猫の尺度にそのまま当てはまるか、といえばそういうものでもない。
ましてや、ナマエの場合、このジャンクヤードに"来て"三年目なのだ。
元来部外者であった彼女がそこまで丁重に祝福されるというのもなかなかないことだろう。
最初の年はまだわからなくない。人間の感覚で言えば、入社一年の記念を軽く祝うようなものだ。1と言うはじまりの数字は大事にされやすい。しかしそれが三年間も続いたというのは本当に不思議なことではないのか、とナマエは思うのだった。
三年目も、こうして祝われる価値がはたして自分にあるものなのか…、と彼女は考えあぐねていた。


「ナマエがここにくるまで、ミストフェリーズは本当におとなしい猫だったのさ」

と、マンカストラップ。


ナマエの求めているような、明白な答えを述べず、先ほどの言葉の続きを述べた。
だが、答えをぼかされているわけではない、ということがナマエにはわかった。
マンカストラップは何かと直接答えを言わず、物事を諭そうというところがあるのを彼女は知っていたからだ。


「今もおとなしいといえばそうだがな。基本的には誰とも馴染まなかったし、一人で居ることが多かった」

「そうなのかい、ミスト?」

「…」


ミストフェリーズはまた照れているのか、そっぽを向いたまま言葉を発することはなかった。マンカストラップはそんなミストフェリーズの様子に苦笑し、しかし構わずに続けた。


「それがナマエがここに来てから、よく笑うようになった。それに、他の猫とも話をするようにもなった。ナマエが来るまではなかなか見られなかったことさ」

「…ナマエが、」


ようやくミストフェリーズがナマエとマンカストラップに向き直った。
まだ何を言うべきか、どうすればいいのか迷ったような表情だったが、ゆっくりと言葉を選びながら口を開く。


「ナマエがいると、安心するんだ」


小さな黒猫は、ナマエの手をぎゅっと握りしめてまっすぐな瞳で彼女を見詰める。


「それが何故だかは僕はしらない。けれど、なんとなく、ナマエと居ると落ち着くし、ナマエがいるなら、大丈夫だって気になるんだ」

「ほらな。それに、変わったのはミストフェリーズだけじゃない。シラバブだって、コリコパットだって、もっと言えばディミータだって。…俺自身だって、そうだ」



マンカストラップの言葉にミストフェリーズが相槌を打った。
自分より遥かに長い付き合いの二人がそう言うのならば、そうかも知れないとナマエは思う。
ただ、自分がもたらしたであろう変化に、彼女は純粋に驚いていた。
このジャンクヤードに、誇り高く生きる猫達に自分はこれほどまでに干渉していただろうか。
なにしろジェリクルキャッツたちは個性豊かなのだ。何者にも感化されない、時には頑固とも言えるかもしれない信念を持って生きている。
多かれ少なかれ、それの猫達が感化されるほど、自分に影響力があるとは、彼女には思えなかったのだ。




「…まだ部外者でいるつもりなのか?」

「え?」




マンカストラップの言葉に、思わずナマエの身体が硬直した。
黙るナマエの顔を、二匹が覗き込む。
何も言わない彼女の内面をじっと探るように、綺麗な色の二対の目玉が、ナマエの目玉を見詰めて離さなかった。
しかし、彼女は慌てるでもなく、二匹の瞳を見返した。
無言の時が、しばらく続く。



「…ナマエはいつも、自分のことを僕たちには話してくれないけど、」



ミストフェリーズの手が更に強くナマエの手を握った。
人間よりも高い、暖かな猫の体温が手に伝わってくるのをナマエは感じた。




「僕たちはもう、ナマエを大切な仲間だと思ってるよ」





そうだ、と言わんばかりに大きく頷くマンカストラップ。
真剣な二人の表情を見てナマエは「ありがとう」と口元だけで微笑んだ。



(――――でも、私は)



「あ、ようやくナマエ来たのね!待ってたわよ!」

「もう俺お腹ぺこぺこだよぉ〜〜〜」



色々なことを思い返すように深い表情をするナマエの思考を遮ったのは、他の猫達の声だった。明るい黄色の、綺麗な毛並みのジェリーロラムに、若い雄の三毛猫、コリコパット。
二人を皮切りに、ぞくぞくと他の猫達もやってきてジェニエニドッツが作った料理の山を囲んでいく。



「さあみんな!ねぼすけさんも起きてきたところだし、じゃんじゃんたべちゃいなさいよぉ!」


ジェニエニドッツの張りのある声が響いた。
ナマエの先ほどの表情を見て不安げなミストフェリーズとマンカストラップをよそに、
食事は今か今かと待ち望まれている。


「とりあえず、食うか」

「そう、だね」





マンカストラップに促され、黒猫がぎこちなく答えた。
ナマエは先ほどの深い表情を変え、もうもとのナマエの顔にもどっていた。


「おいしそうだなあ」


ナマエの目の前に広がっているのは、ありふれているが、しかし豪勢な、ナマエにとっても大切な日々の欠片であった。



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