※緑川の過去を微妙に捏造














今までにないほど人を好きになった。




帰ってくるとなまえが眠っていてそれだけでほっとした。
ここはなまえの部屋だから、なまえが眠ってて当たり前なんだけど。




さああ、と薄暗い部屋に雨の音が響く。
静かななまえの寝息と、雨の音がとても心地よい。


まだ眠るには早い時間。

だけど、雨が降っていたからどこかに出かけようにも出かけられなかったし
特にすることも、学校の課題もなかったから眠ってしまったのだろう。
俺は雨でもやっぱり、サッカーの練習があったからなまえと一緒には居られなかった。
...雨が降ったら、なまえとずっと一緒にいられると思っていたのに。
こういうときは、大好きなはずのサッカーも少しだけ憎くなる。



"すき"。


大好きなサッカー。大好きな友達、仲間達。そして。
大好きななまえ。


このどちらも大好きだけど、それぞれは意味が少しずつちがう。
特になまえに大しての大好きは、前者二つとは全く違う意味を孕んでいる。





俺はすごく、すごく散々な理由でこのおひさま園に来て、なまえもきっと、すごい散々な理由でおひさま園に来た。
この施設に来た当初は、もう人を好きになることなんてないんじゃないかと思っていた。
色々な事が憎くて、怖くて。特に、普通なら『好きになるべき』対象が..そう、俺にとっては親が、とにかく憎くて、いつの間にかに楽しいとか、好きとかそういった気持ちを忘れていた。

おひさま園にいるみんなは、それぞれだけどやっぱり散々な理由でここに来ている。
苦しいこと。悲しかったこと。昔のこと。そんな、背負い切れないものに潰されかけ、引きずるようにして生きてきた...もしくは、今もそうやって生きている奴はいるかもしれない。

そういう気持ちに潰されずに、親を憎む気持ちすら自分の中で消化されていったのはやっぱりなまえのおかげだと思う。
俺がおひさま園にきてすぐ、誰とも馴染めずにいた時に一番に話しかけてくれたのはなまえだった。
なまえのおかげで俺の世界はずっと広がった。
なまえのおかげで友達ができて、サッカーを始めた。



なまえが俺の、歓びと、何かを好きになるという気持ちと、とにかく全ての善き物を教えてくれた。
なまえが俺の守りたいもの全部だ。




寝息を立てる口元が愛らしくて、思わずそこに口づけを落とす。
これほど愛おしいと思える人間がいたなんて。
そう、彼女が未知の生き物のようで、それこそエイリアンなんじゃないか、なんて思って少しだけ笑える。
もしなまえがエイリアンだとしても、そのときは俺もまたエイリアンになれば良いからなにも心配はいらない。



「ん...」

「あ、ごめん」

「リュウジ?」

「ただいま」

「...おかえり」




先ほどのキスのせいでなまえは目覚めてしまったらしい。
ゆっくりと開かれた眠たげな瞳が、俺をぼんやりと見詰める。




「今何時?」

「八時」

「まだ早いね、寝るのは....ん」

「いいよ、寝てて」

「リュウジと...すこし話がしたいの」



なまえがあくびを噛み締めながら言葉を紡ぐ。
それはとても柔らかく優しく、俺の鼓膜を揺らす。



「今日、練習どうだった?」

「雨の日だからね、室内で体力作りとかストレッチとか。あんまり楽しくなかったなあ」

「そうだよねー...わたしもする事なかった」

「なまえ、寝てたもんね」

「雨の音が気持ちよくってさ」




ベッドの中でうんと伸びをするなまえの横に、強引に自分の身体を押し込めた。
一人分のベッドの中に、子供(自分のことをあまり子供とはいいたくないけど)とはいえ、二人おしこめられるのはさすがに少し窮屈だった。
それでも、それは今の自分にとっては少し好都合だ。
なまえをぎゅっと抱きしめられる。二人で一緒に居られる。



「どしたの...?」

「別にー」

「あはは変なリュウジ」

「なまえが、すきなだけ」

「、」



少しだけ恥ずかしい台詞を吐けば、大人びて振る舞う君が恥ずかしがって押し黙ることも知っている。
なまえは俺よりもちょっと年上に見えて、振る舞いも俺よりも全然大人っぽくて、
なまえと一緒にいると俺はすこし子供っぽく見えるけれど
俺は何よりもなまえを知っているつもりでいるし、こうして彼女を恥ずかしがらせる方法も知っている。

そんな小さな事に優越感を覚える俺をなまえはどう思うだろう。




「俺、すごくなまえに感謝してるんだよ?」

「...何で?本当にどしたの、急に...」

「うーん...なんていうか。今日は練習あんまり面白くなかったけど、それはサッカーの楽しさを知ってるから、面白くなかったって思えるわけでしょ?そのサッカーの面白さを教えてくれたのはなまえだし、考えてみれば、なまえに沢山のものをもらってるなあって」

「それを言ったら、わたしだって...そうだよ」



なまえは照れくさそうに、掛け布団で顔を覆ってしまった。
普段感じてはいても、相手に声にだして伝えるのは少し恥ずかしいものがある。
でも、感謝する気持ちや、それがすこし照れくさいものだということを教えてくれたのもやっぱりなまえだ。
もし、それが俺だけが貰った...一方的なものではなくて、なまえも感じてくれていたらとても嬉しいことだと思う。



「帰ってきて、なまえがいてちょっとホッとした」

「うん、当然ここわたしの部屋だしね」



照れ隠しを継続して、布団から顔を出さずに素っ気なく応える彼女に苦笑する。


昔は男子も女子も、同じように育っていたのに、成長するにつれてだんだん分けられていく。
それと同時に、なまえに対して抱いていた気持ちの意味を知った。

ああこれは。
サッカーや、友人達に向ける大好きとは違うものなんだ、と。






「...夜八時以降は男女の部屋の行き来は禁止だよね...?」

「そんなことを今更気にするような俺たちじゃないじゃん」

「そうだけど...わ!」



ルールを楯にするなまえに、すこしだけいたずらをしてやろうと思って、
彼女と同じようにベッドにもぐりこんだ。
驚いている隙に、彼女の首もとに顔を埋める。
なまえの髪からほのかにシャンプーの香りがした。
俺も同じ物を使っているはずなのに、なぜか彼女が使うと別のもののように思える。
この香りが、大好きだ。

なまえはびっくりして身体を硬直させていたが、すぐに俺の頭を包むようにして抱きしめ返してくれた。


ずっとこうしていたかったし、ずっとこうしていたい。
同じ時間を共有するというのはなんてすごい事なんだろう。
何かをしているわけじゃないけれど、こうして時を過ごすことはこの上ない贅沢のように思えた。



「リュウジ」

「何?」

「がんばったね」




なまえは必ず、がんばったね、と言ってくれる。
それは、練習がんばったね、であったり、がんばって生きてきたね、であったり。
他の人たちはいつも(たとえそれが傷つききっていたり、疲れ切っているときであっても)『がんばれ』と言うけれども、
彼女だけはいつも労いの言葉をくれるのだ。



「...俺がなまえを好きになるのは、すごく自然の摂理に合っている気がする」

「なんかよくわかんないけど、今日のリュウジは恥ずかしいことを沢山言うんだね」

「こう言ってしまうと変だけど、全然特別なことじゃないってこと。呼吸するように、人間が進化したように。...そうだな、当然とか、なるべくして、とかそういう言葉が合うかもしれない。なまえを好きになって当たり前だったんだよ」

「....」

「なまえ、苦し」

「もう何も喋らないで。ついでにわたしの顔見ないで」



ぎゅうと俺の頭を強く抱きしめているなまえの顔はきっと真っ赤なことだろう。
彼女は恥ずかしさが限界を越えると黙る。黙って、すこしだけ反抗するような態度を取るのだ。



(かわいいなあ)



その行動の全てが、俺を煽るだけのことだということをなまえは知らない。
何気ない行動。仕草。その全て。



何も特別なことじゃない。
特別なことじゃなくていい。
何かを嫌いになるのも、好きになるのも、憎むのも許すのも不安になるのも安心するのもすべて普通のことだ。
何かに感謝するのも、労うのも、その普通を、彼女は俺に教えてくれるし、その普通を、なまえはやすやすとやってのける。
俺はこの普通のことができて嬉しい。
なまえと共有できて嬉しい。




「なまえが大好き」




照れが限度を越えたなまえに、そろそろベッドから追い出されるかもしれない。
それでもただ。








君がすきだよ













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