どうかしている。



ふらふらと宿舎の廊下を歩き回るゴーグルをしたチームメイトを見かけ、豪炎寺はため息をついた。別段どこかへ行こうとしているわけではないのだろう。鬼道の目的など、聞かずとも分かっていた。



「なまえなら他の女子達と軽食の仕込みだ……」



豪炎寺は再びため息をつき、呆れ気味に言い放った。豪炎寺の存在に全く気づいていなかった鬼道は、声がした方向に勢い良く振り返った。ゴーグルの奥で目が見開かれていることが容易に想像できる。多少なりと驚いているようだ。しかし、突然声をかけられたことに驚いているのではなかった。


「何故それを知ってる?」


どちらの意味だろうか。なまえの行方を何故知っているのかという意味か、それとも、鬼道の"目的"を分かっていたからか、返答に僅かばかり悩む。


「なまえのことなら、さっき本人から聞いたからだ。なまえの姿が見えないからといって宿舎を徘徊することもないだろう」


お前の行動がわかりやすいんだ、という揶揄をこめて豪炎寺は言った。鬼道は少しばかり眉根を寄せて豪炎寺を見返す。何かを思案した様子だったが、最終的にごまかせないことを悟ると、豪炎寺と同じようにため息をついて肩をすくめてみせた。



「情けない話だろう、姿が見えないと落ち着かないなんて」

「少なくとも、鬼道らしくはないな」

「……言ってくれるもんだ」


全くもって子供のようだ、と豪炎寺は思った。そうでなければ親鳥にちょこまかついていく雛鳥に似ている。普段目にしていた鬼道の様子からはかけ離れ過ぎている。なまえの一件以降、今まで豪炎寺が鬼道に抱いていた印象がすっかり変わってしまった。天才ゲームメーカとまで言われたチームメイトの頭の中に、なまえという存在がすっかりと刷り込まれてしまっているのだ。

いままで与えていたつもりで、逆に自分が与えられている。知らず知らずのうちに子供のように庇護され、彼女の真綿のような優しさにくるまれて現在に至る。

鬼道もそれを自覚していたが、その行動を自制しようとすればする程なまえが恋しくなって仕方がなくなっていた。誰と一緒に居て、何をしているのか。あの事件ーーーなまえの飛び降り未遂事件以降、ようやく心を通わすことが出来たと思ったが、本当の意味で"自由"になったなまえは、誰の想いにも答えず、ただ中立の笑顔を浮かべるばかりだった。
今度こそ本物の愛情で捕まえておきたいと思っても、それをするりと抜けてしまう。彼女のつかみ所がないあたりは変わっていなかった。



「…とにかく、食堂に行ってみる。すまなかったな」

「俺も行く」

「何故だ?」



さっさと食堂に足を向けようとする鬼道に、同行の意を伝えると、即座に拒絶とも懐疑ともとれる声色で疑問を呈された。そこまで警戒心をむき出しにせずともいいものの、と豪炎寺は苦笑した。鬼道にとって、豪炎寺は確かに警戒すべき存在ではあった。もちろん、なまえが関わる話に限ってだが。豪炎寺でなくとも、なまえに近づく異性は許し難いのかもしれない。

なまえが練習試合に初めて参加した日から、チームメイトのなまえに対する態度ががらりと変わった。今まで馬鹿だと散々言い、見下していたが、"チームの一員"として認められるようになったのだ。しかも好意つきで。彼女の現実離れした実力に圧倒されたのもあるが、なによりあの生き生きとした笑顔をみせられては態度も変わるだろう。なまえを憎からず想うチームメイトがじわじわと出てきていることも事実だった。

更に、それとは別に不動のこともあった。不動がなまえに好意を持っていることは明らかだった。彼女の諦観し切った心を融解したのは、不動の尽力もあったからだ。鬼道もさすがにそれは認めざるを得なかった。だからこそ余計ナーバスになっているのかもしれない。

豪炎寺は確かになまえに好意を寄せている。しかし、豪炎寺にとってそれは鬼道や不動の抱くそれとは違った。ある意味ではシンパシー、もしくは、親友同士の間にある友情に近い。鬼道が抱く好意が性愛であるなら、豪炎寺が抱く好意は親愛だ。



「軽食を取りに行くだけだ」


お前とはちがって正当な理由で食堂に行くんだ。と語外の意味を目線にのせた。


「そう、か………」


少し安堵したように鬼道は息を吐いた。そしてマントを翻して豪炎寺に背を向ける。
先ほどとは違う確かな足取りで、食堂へと向かっていた。豪炎寺もそれに習って食堂へと足を運ぶ。食堂に近づくにつれて、女子達の弾むような高い声が聞こえ始めた。
それに混じって、時折少し低めの声も聞こえてくる。女子の声でないことは明らかだった。


「なんだ……??」


鬼道が怪訝そうにして足を早めた。豪炎寺は鬼道が纏う不穏な空気を感じ、意図的に鬼道から2歩ほど下がって歩いた。嫌な予感がしないでもなかった。

勢い良くがらりと食堂の戸を引くと、そこには音無や久遠たちと共に野菜やらをパンに挟むなまえと―――不動の姿があった。女子にまぎれて不動がサンドイッチを作る。その違和感に、豪炎寺は咄嗟に吹き出しそうになった。
しかし、鬼道はそうではなかったようで、不動の姿を見るなり、鬼道の眉間にこれ以上ない程強く皺が寄せられた。


「な に を し て る ん だ!」


突然怒鳴るような口調で話しかける鬼道に、不動以外の女子達が一斉にこちらを見た。
春奈に至っては兄の不機嫌さに戸惑っているようだった。


「別に?」


強い語調で尋ねる鬼道には目もくれず、不動は飄々と返してみせた。手にされた包丁はぶれることなく、キュウリを薄く輪切りにしていた。
いつだか女優がそんな発言をしてやり玉に挙げられていたことがあったな、と豪炎寺は場違いにも頭の片隅でそう思った。傍若無人なその態度が、いかにも不動らしい。


「サンドイッチを作ってるんだよ」


そんな不動をフォローするようになまえが答えた。春奈も冬花もそれに同意するように首を縦に振った。二人とも鬼道が何故そんなに怒っているのかわからない、といったような表情をしている。そんな二人をよそに、食べる?となまえがいくつか出来上がったサンドウィッチが載っているプレートを豪炎寺と鬼道の前に差し出した。


「ああ、ちょうど少し腹が空いていたんだ」

「あ、ホント?それはよかった」


なまえが差し出すプレートから、豪炎寺が一切れのサンドウィッチを受け取った。野菜と炒めたベーコンが挟まっている。一口ずつ食みながら他のサンドウィッチにも目を向ける。ベーコンサラダの他にも色々な具材が入っているようだ。


「有人は?」

「いや……いい」

「そっか」


なまえは淡白にそう言うと、キッチンテーブルの向こう側から伸ばしていた白い腕を下げた。皿に乗せられたサンドウィッチたちは、鬼道の手に渡ることなく再び台所の上に行儀良く収まる。
なまえは鬼道がほとんど怒鳴るように話しかけてきたことなど気にもとめていないようだった。彼女の細い指先が次々に具を端のとれた白いパンに並べて挟んでゆく。
マイペースに躱された鬼道は、少し脱力したようにその場に立ち尽くした。




「モテない男の僻みはみにくいねェ」


そんな鬼道の様子を一瞥し、不動は鼻で笑った。相変わらずキュウリを切る手は作業を止めなかった。
嘲笑するような不動の一言に、鬼道は再び眉根を寄せ、低く警戒するような声で「なんだと」と言った。
不動は再び鼻で笑う。


「なまえが傍に居ねェと探しまわって、他のヤツと一緒に居たら嫉妬心むき出しか?あァ、あァ、馬鹿馬鹿しい。お前なまえのなんなんだよ」


カルガモの親子みてェ、と不動は吐き捨てた。想像することは、案外皆同じなのかもしれない。先ほど渡されたサンドウィッチを食みながら、豪炎寺はその様子を思い浮かべて危うく吹き出しそうになり、なんどか嚥下をする。


―――今にも一触即発、といった所だろうか。



当の鬼道本人は、怒りを隠そうともせずに不動を睨みつけた。


「お前がなまえの近くに居るから、警戒しているだけだ。第一なんでお前が手伝ってる!」

「俺も信用ねぇなァ。料理は馴れてるって言ったら手伝ってくれって言ったの、なまえなんだけど?」

「何っ‥‥!?」


慌ててなまえに振り返る鬼道に、なまえはニッコリと笑って「そうだよ」と答えた。なまえこそ何でもないように振る舞っているが、春奈と冬花はこの雰囲気の悪さにすっかり身を固くしてしまっていた。特に春奈は、兄のあまりの変貌に驚愕しているようだ。確かに鬼道は普段理性的で冷静だし、めったやたらなことでここまで感情的になったりはしなかった。けれど今はどうだろうか。たかだかサンドウィッチの手伝い一つで、こんなに怒ったり焦ったりするような人物だったか、と思考を巡らせた。



不動も不動だ、と豪炎寺は思う。確かに鬼道も冷静さを欠いているところがあるが、そこにわざわざ神経を逆なでするようなことを言ってくる。そこがまた不動らしいといえばそうなのだが、こういう時ぐらいなんとかならないものだろうか。……二人がなまえを好きだ、ということを差し引いたとしても。
しかも話題の中心人物は全く動じず、淡々とサンドウィッチを作っていく。春奈たちの手が動きを止めても尚、なまえの指は、もともとサンドウィッチを作るためにある手のように次々とサンドウィッチを作り出していった。
台風の目は穏やかだと言うが、まさにこれがそうなのかもしれない。



「じゃあ、有人も手伝ってくれる?」

「「は!?」」


今回ばかりは、と鬼道と不動の声が重なる。驚愕とも反論ともとれれる素っ頓狂な声色でなまえを見返った。そう言い放ったなまえは黙々とサンドウィッチを作ることに集中して、二人を見返すこともしない。


「私が有人を誘わなかったのはね、有人って今は生活するのに困らないような大きなお家に住んでるでしょう。だからお料理とか、こういうことはあんまりしないかなと思ってさ」

「そ……!!そんなことはない!」


なまえが言うことも最もだった。中学生男子で、しかも家政婦が雇えるような自宅に住んでいて家事をするなんてことは考えにくい。なまえが考えていることは、殆ど正解だ。しかし、鬼道は少々見栄を張った。なまえに包丁の一つも扱えないと思われたくないし、何より、不動よりも劣っていると目されることは耐えられなかったからだ。


「そう?じゃあ、もしよければ手伝ってくれる?」

「なまえが言うなら……仕方ないな」

「ありがとう」


なまえは再びにっこりと笑って鬼道の分の包丁とまな板を取り出した。なまえの笑顔に多少照れながら鬼道はそれを受け取る。



「あとは俺たちでやるから、春奈たちは休んでいてくれ」

「あ、うん……」




半ば強引に追い出される形になりながら、春奈と冬花が台所から退出した。春奈は困惑気味に、冬花は苦笑をしながら食堂の椅子に腰をかけた。台所からは相変わらず騒がしいやりとりが聞こえてくる。



「けっ!何が仕方ない、だ。ってか、鬼道お前包丁使えんのかよ」

「使えないことはない」

「あーあーこれだから金持ちの坊ちゃんは困るんだ」

「うるさい!」



「腹減ったー!」

豪快に戸をあけて入ってきたのは円堂だった。きょろきょろとあたりを見回し、椅子に腰掛けている春奈と冬花を見つけて尋ねる。


「なー、なんか食べるものないかー?軽くでいいから何か食いたくて」

「あ、今台所にサンドウィッチがあるんだけど……」

「ホントか!?やった!腹減ってたしちょうど良かった」




円堂は、目当てのものがおいてある台所へと向かった。そこにはもちろん自分の食欲を満たすサンドウィッチもあったが、どういうわけだか三人のチームメイトもいた。
一人は、ぶつかることもあったが長いことチームの中心的人物として共に過ごした鬼道でもう一人はようやくチームに打ち解けてきたとおぼしき不動。そしてその間には、つい最近、見事なプレイをすると発覚した女子の、なまえだ。
事情に疎い円堂にとっては、珍妙な組み合わせの三人組だと感じられた。しかもその三人が、なにやら騒ぎながら目的の食べ物を作っている。



「ほら、なまえ、包丁はいい。お前はレタスでも千切っていてくれ」

「えっ、でもトマト切らないと」

「切り口がったがたの鬼道クンに言われても、なまえだって納得しねぇと思うけど?」

「うるさい。こんな危ないもの、なまえに持たせられない」

「ハァ……」



鬼道はそう言って、自分の分の包丁があるにもかかわらずなまえの手から包丁を奪い取ってしまった。そんな鬼道の様子に、不動はわざとらしくため息を付いた。





「あいつらは何をしてるんだ?」

「……気にするな」


豪炎寺は疲れたように円堂に答えた。目線の先にはモヒカンの男とゴーグルの男に挟まれたなまえが困ったような顔で手持ち無沙汰気味に、ちらちらと両隣の男の様子を伺っている。こうなってしまってはもう止められないだろう。自分にも、なまえにも、もちろん、本人たちにも。


それもいいかもしれない。


こうして些細なことでぶつかっても、最後はきっとなまえの笑顔で終わる。
そんな日々を実は彼らも願っていたのだろう。


いつの間にか台所はあの三人に占拠されていて、騒がしい。
窓から差し込む西日が食堂を照らし出す。その光景のあまりのまぶしさに、豪炎寺は目を細めた。




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