「死ぬのか」




ぽつりと吐き出した言葉に、フェンスをから上半身を乗り出していたみょうじの身体がピクリと反応した。




『医務室に行く』というのはやはり嘘だったのだろう。

プレイこそ素晴らしかったが、彼女の脚への負担と、
何よりも「大丈夫」と苦しげな笑顔で告げた事を考えると、
弱みを見せないみょうじならきっと、一人になりたかったはずだと思った。





試合が終わってすぐ探しに来てよかった。
もし寸分遅ければ、最悪の事態になっていたかもしれない。










「....」






夕焼けの空を背景に、逆光で映る彼女は沈黙を守ったまま何も言わない。




試合を終えて、みょうじはこんな形で自分に決着をつけようとしているのだろうか。





俺とみょうじとの間には一定の距離が保たれていた。
もしこの距離を少しでも壊してしまったら、彼女の命そのものが壊れてしまうかもしれない。
あと僅かでも重心をずらしてしまえば、真っ逆さまに堕ちてしまうだろうみょうじ。
しかしなぜか、穏やかな気持ちで彼女の傾いた身体を眺めている自分がいた。





みょうじは、死なない。
そういった根拠のない確信があったからかもしれない。






「もう、諦めてるのか?」

「...っ!」

「今日は楽しかったか?」




背中越しに僅かな動揺を見せる彼女に、畳み掛けるように言葉を投げかける。
彼女の身体は、妙なバランスを保ったまま地面の方向への傾きを止めた。




「俺は、」




地上の方でカターンと、何かが取り落とされたような音がした。
恐らく用具を片付けていた誰かが、それを落としたのだろう。




「お前が、手を抜いて試合をしていたとは思わない。」




此岸からゆっくりと脚を離そうとしているみょうじをつなぎ止めるようにして言葉を紡ぐ。
もし真っ赤に染まった空がみょうじの事を連れて行こうとしているのならば、それを止めるのが今の俺の役目だ。



「痛みをこらえて全力で試合に臨んでいた。シュートだって二回も決めた。円堂は、まぐれで二回もシュートを決められるようなヤツじゃないって、みょうじも分かっているだろう。お前の実力が本物だから円堂はボールを捕れなかったんだ。みょうじは、自分に言い訳しなかった。怪我を理由に、逃げなかった。だから全力で試合が出来たんだ。俺は全力で試合をしたヤツが甘えてたとか、何もできないヤツだなんて思わない」







次第に小さく震えだすみょうじの背中。
その背中は、試合中に見たそれよりもずっと小さく、か弱そうに見えた。
この小さな背中で、どれだけのものを背負い込み、どれだけのことを耐えて来たのだろうか。
彼女は、誰とでも寝る馬鹿な女などではない。
普通の、みょうじなまえというすこしだけ大人びた少女なのだ。





「豪炎寺く...、わ..、わたしっ...!!」




沈黙を破ってようやく届いたみょうじの言葉は、嗚咽によって途切れ途切れになっていた。
気を抜くと聞き漏らしてしまう程の小さな声のそれを、耳を澄まし、取りこぼさないように拾う。




「でぎてた...?ちゃんと、できでた...? わだしっ...サッ、がー、すきでも、いいの...??」




普段の彼女の振る舞い方からは到底想像できない、余裕のない台詞だった。
これほどまで追いつめられていたのかと思うと心苦しくなる。








「好きなら、好きで良いんだ。好きだから嫌いになれるんだ。みょうじの目は、ずっとサッカーに向いていたじゃないか」







泣いているであろうみょうじと自分との距離をゆっくりと詰めてゆく。
そういえば、昨日もこうしてみょうじとの距離を縮めようとした時があったな、と思い出して少しだけ笑えた。
もしかしたら、こうして泣く(恐らく自己否定しているであろう)彼女を抱きとめるのが俺の役目なのかもしれない。







「今日のお前が、」



ようやく捕まえたその背中を、両腕で抱きとめながら彼女の身体をフェンスから離した。
意外にも抵抗なくフェンスから身体が離れた代わりに、それを掴んでいたみょうじの両手は彼女の目顔半分へとあてがわれた。
指と指のから、透明なものがぽろりぽろりと地に落ちる。



「お前の全てだ」




苦しそうに笑うよりも、苦しくて涙を流す方がどれだけ楽なことか。
今のみょうじからはあの綺麗な笑顔を見る事はできないけれど、好きなものを好きと...やりたいことをやりたいと言えないみょうじよりは遥かに良い。

みょうじの姿に、幾ばくかサッカーを続けることを悩んだ自分の姿を重ねて、想う。




「お前が...、みょうじが諦めない限り、俺も諦めないさ」





夕日を浴びて、抱きとめられながら彼女は静かに泣きじゃくっていた。
決して大声をあげることもなく、ただ静かに。
赤い光を遮るようにして覆われたみょうじの瞳は、掌の内側でつやつやと輝いていることだろう。









「...あいつらもな」





クス、と笑みをこぼすとみょうじは顔を上げて、不思議そうな表情で俺を見詰めた。
顎で扉の方を差すと同時に、その内側でドタバタとせわしなく階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
その音はだんだん近づき、大きくなってゆく。
涙で濡れた瞳を丸くして彼女は扉をじっと見詰めた。












「なまえーーーーーーー!!!」











彼岸と此岸の間の曖昧な空間と現実を結ぶ扉が、開く。






- ナノ -