思った以上のプレイだった。
2年のブランクがある分だけ、多少なりと支障があるかと思っていたが、
それどころか怪我をしていることも感じさせない程の動きだ。
なまえの事情を知らないもの全てを圧倒させてしまった。
いや、事情を知っていた俺たちでさえも、その鮮やかなボールさばきを観て驚かない訳がなかったのだ。
自分のプレイが出来ればそれでよかった。だが、あいつをアシストしたことは、それ以上のなにか歓びに近いものを感じさせた。
ただひたすらにゴールを目指す。勝利を掴む。
それ以外の何者をも感じないプレイ。
自分本位のプレイを信条としていた俺にとって、何もかもが懐かしく、そして新鮮だった。
何かを楽しいと思う、とか
ましてや誰かを好きになることなど。
一体人間はどれほどの感情を押さえこむことが出来るのだろう。
泣きながら生まれてくるくせに、いつのまにか泣けなくなるように。
だが、押さえつけてほどんど忘れていた感情を呼び起こすように、
なまえの一つ一つが俺の心の中を揺さぶる。
練習で使われた用具を片付けながら眺めた空はもう真っ赤に染め上げられていた。
他の奴らは今日目の当たりにしたことを口に出すべきか出さぬべきか迷っているような、困惑の表情を浮かべながら黙々とグラウンドから出て行く。
選手でもマネージャーでもなく、ただ他の選手を慰めるだけの役割として連れてこられたなまえの不安は、どれほどのものだったかと思いを馳せる。
他の奴らに馬鹿にされながら...好きだったサッカーを眺めることは、鬼道が考えるよりもずっと苦しかったはずだ。
なまえ自身が他の選手の慰安になったとして、何がアイツへの慰みになったことだろう。
...俺のしたことは、正しかっただろうか。
ただ自分本意のプレイが出来れば...鬼道からアイツを奪うことが出来ればそれでよかった。
自分のことだけを、考えていればよかったはずだったのに。
いつの間にか、俺が、なまえに対して何をしてやれたかが気になって仕方がない。
痛みがなければ良い。重圧になってなければ良い。楽しんでくれれば良い。
普段の自分らしくもない想いが、全てなまえに向けられていた。
「....?」
夕日から目線を反らすと、宿舎の屋上になにか黒い影が見えた。
どちらかと言うと、黒い影がフェンスをから何かが引っかかっているように見える。
赤い空を背景に、逆光でよく姿が見えない。
改めて注視すると、徐々に輪郭がはっきりと見えて来た。
髪が、さらさらと地面側に向かって流れている。
「....!」
フェンスに引っかかっているように見えたそれは、半ば身を乗り出しているなまえの姿、だった。
髪に隠された顔からは表情を伺い知ることはできない。
重心がわずかに移動したのが見えた。
ゆったりとして気怠そうな動きだったが、それでも確実になまえの上半身は地面を向いている。
ようやく頭が状況に追いつくと、今度は心臓が跳ね上がった。
このままでは確実に、堕ちる。
瞬時に最悪の結果が頭の中をよぎった。
「ばっかやろ....!」
変なことなど考えるなと言ったはずだ。
しかし、現状は。
この場所から叫んで止める事も出来たが、ここで叫んだとしてもソレ(現在起こりかけている事象に名前をつけてしまうのが怖い)を助長しているようにも思えた。
仮に堕ちてきたとして、この位置から受け止めるだなんて、たとえスポーツをやっているとしても中学生には...いや、一人の人間には無理な話だ。
どうしたら確実になまえを助けることが出来る。
―――上からしか....
運んでいたコーンをその場に捨てて走り出した。
足の速さに自信がない訳じゃない。しかし、間に合うだろうか。
いや、間に合わせなければいけない。
絶対に。何があったとしても。
生きなければ。
生きなければ、何も続かない。
全力でグラウンドを抜けると、宿舎の出入り口付近に見慣れたマントが翻っていた。
....鬼道だ。
「来い!」
「なっ...!?」
強引に鬼道の腕をとってそのまま階段を駆け上がる。
なすがまま状態の鬼道を引っ張って走ったため、スピードはかなり下がった。
しかし、それでも鬼道を連れて行かなければならないと思った。
「なんだ...!?」
「屋上のフェンスからなまえが身を乗り出してた...!アイツの性格を考えりゃわかることだった....!!クソッ!」
「なまえが!?馬鹿な!あいつがそんな事するはずが...」
「現に今してんだよ!!!あ!?目ェ醒ませよ鬼道!テメェ一体なまえの何を見てきたんだ!!!!」
言葉に詰まる鬼道だったが、その瞬間に腕を引っ張る力が抜けた。
鬼道自身が走るスピードを上げたのだ。
お互いに余裕のない呼吸音で、今自分達が走っている場所の終わりを目指す。
しかし、走れども走れども、ちっとも目的地に到達しない気さえした。
「なまえ...!」
動機が早まる。
足がもつれる。
一刻も早く階段を昇りきらなければ。
あいつの手を、掴まなければ。
屋上の扉がここまで重く感じたのは、初めてだ。