もう日が沈み切って、各々の部屋に戻った頃。
廊下には明かりがついて居たが、もう誰かがいる気配はなかった。

それもそうかもしれない。
今日は監督直々に『明日は試合形式にする』とわざわざ予告があったせいだろう。
試合形式など別段珍しいものではないが、監督が言うのだから何かあるのかもしれない。
恐らく選手達の殆どが自主練に励んでいるはずだ。

それは俺も例外ではなく、グラウンドに出てこれから個人練習をしようと思っていたところだった。



しかし...




人が居るはずのない倉庫代わりに使われている部屋の中から、人の気配を感じた。
僅かに聞こえる切れ切れの呼吸のような音と、何かが動いている音。



(誰かいるのか...?)



その部屋の中を一度だけ見た事があるが、学校の用具入れのような場所でになっていて、
物が乱雑に置いてあったため何かをするスペースはなかったはずだ。
ましてや練習に使えそうなものは殆どなく、その中で活動するということは考えにくかった。



(...?)





不審に思ってドアをノックしようとした瞬間だった。




「お...」

「染岡...!」

「なんだ豪炎寺かよ。あの馬鹿に用でもあるのか?今日はもうアイツは使い物になんねーよ」




足腰立たねーからな、とニヤリと笑う染岡の額にはうっすらと汗が滲んでいた。
そして、部屋の奥から聞こえる僅かに乱れた小さな呼吸音。
嫌でも何をしていたかを連想させるその姿と音に、吹雪と風丸の会話がフラッシュバックするように頭にちらついた。











『あいつ、身体売ってるんだぜ』






風丸も吹雪も、みょうじのことを『馬鹿』と呼んだ。
そして染岡は何と言った?







『あの馬鹿に用でもあるのか?』







この部屋の奥にいるのは。







『このチームについてくためにフーゾク嬢まがいのことしてるってこと。』








みょうじ。





「おい、豪炎寺?顔色悪いぜ?」

「っ...!」

「体調悪いんだったらさっさと寝とけ。明日も練習なんだからよ」





じゃあな、と行って去っていった染岡の姿を確認することが出来なかった。
染岡の声はなんとか頭の中に入っていたが、何と言っていたかを整理することもままならなかった。
石のように固く、重くなってしまった足を漸く動かす。
早くこの場所から去りたいという気持ちがあったのに、なぜか足は部屋の中を目指す。
最初からその中にいた人物の元に向かおうとするように。





「....みょうじ...!」




埃っぽいその部屋に居たのはまぎれもなくみょうじだった。
だが、いつもの笑顔は何処にもなかった。ただ弱々しく呼吸をして乱れた服で踞っていた。






「ご...えんじくん?」






暗がりでぼんやり見えた彼女の目元は布で覆われていた。
目隠しをされた彼女は床に手を付き、ほぼ這いつくばるように自分から離れようとしていた。



「来ないで...来ないでぇ...」




強姦されたの後の様な姿を晒す彼女と、その傍に寄ろうとする自分の足。
近寄るだけ離れようとする彼女。


まるで犯人と被害者だ。



あの飄々とした態度で微笑むあの綺麗なみょうじは、目の前の震える少女と本当に同じ人物なのだろうか。





「いや...豪炎寺くんにはこんな姿見られたくない...」

「...大丈夫だ、みょうじ」

「...いや...やめて...来ないで....」





段ボールが積み上がった壁際までたどりつくと、彼女は自分を守るようにぎゅっと身を丸めた。
後退できなくなったためにゆっくりと詰まってゆく彼女と自分の距離。
とうとう手を伸ばせば届く距離になり、髪に触れられる距離になり、肩を抱ける程の距離になった。
肩を包むように、震えるみょうじを壊さぬようにそっと抱くと、彼女の身体がビクリと震えた。
そして彼女の目元を覆っていた布を外してやると、今にも涙をいっぱいに溜めた彼女の瞳が露になる。


じっと俺を見詰める彼女の二つの瞳。
やがて、そこから大粒の涙がぼろぼろと溢れ出してきた。




「見られたくなかったなぁ....」





泣きながらみょうじは、ぐしゃりと不器用に笑った。
涙で頬を濡らしながら、いつもの用に笑おうと努めていたようだった。


見られちゃったなあ、と言いながら尚も泣く彼女の頬を拭えど涙は止まらない。



「サッカーやってたヤツが、こんなになっちゃう姿...豪炎寺くんには見られたくなかったのに」


えへへ、と眉を八の字に垂らして困ったように泣き笑いをするみょうじに僅かな幼さが見えた。
普段の彼女からは到底想像できないようなこの表情を見たくなくて、今度はみょうじの顔を見ないように強く抱きしめる。






「豪炎寺くん...馬鹿かなあ、わたし馬鹿かなあ...」

「ああ馬鹿だ、お前は大馬鹿だ...!泣く程苦しいなら、何故拒まない!?何故こんなことをする....!」

「わからない...わからないよ...なんでこんなになっちゃったのかな...!」




今まで声を殺すように泣いていた彼女が、今度は感情をそのまま溢れ出させるように声を上げて泣いた。
みょうじを抱きしめる力を強くすると、彼女も俺の背中で服を握るようにして抱き返してきた。




- ナノ -