暑い暑い夏だった。




例の試合が終わり、俺たちは無事に勝利する事ができた。
なまえに怪我をさせたヤツは当然レッドカードで退場となり、なまえの願いを叶える為に奮闘した俺たちに奴らはあっさりと負けた。

チーム全体がなまえの復帰を願っている。

尋常じゃない腫れと変色をしていたなまえの膝も、きっとすぐに治る。
皆がそう信じていた。いや、信じたかった。



あの後病院に運ばれた彼女は、すぐに手術をする事になったそうだ。
試合が終わってすぐ駆けつけたが、手術中のため面会する事は出来なかったのだ。

なまえの手術が終わって3日目。
もうそろそろ面会も赦されている頃だろうし、彼女の体力的にもそれが出来ると思い、なまえの入院している病院へと足を運んだ。





...本当は。


手術が終わった次の日にでもすぐに行けば良かったのに、
彼女に怪我をさせてしまった後ろめたさからなかなか足が進まなかったのだ。




(ちゃんと謝らねば...)



しかし、いつまでもぐずぐずしているわけには行かない。
病院に行って、なまえに会って謝らねば。
そして、一日でも早い復帰を願っていることを伝えなければいけない。
なまえのいないチームは、どことなく士気が下がっている。俺自身も、ムードメーカーだった彼女の存在の大きさを痛感していた。





コンコンーー


病室のドアをノックする。
彼女の家に行くときの要領で訪れたものの、病室の中からはなまえの声が聞こえてこない。
いつもならすぐにドアを開けてくれるのだが。



(寝ているのか...?)




足を怪我していたら動く事も出来ず、暇を持て余しているはずだ。
まだ正午過ぎだが、もしかしたら暇すぎて寝ているのかもしれない。

そっと、病室のドアをスライドさせて開けると、なまえがベッドの上に身を横たえていた。



「なまえ...?」



その時、窓の方に顔を向けていた彼女が、くるりとこちらを振り向いた。




「あ、有人...」

「なんだ、起きてるじゃないか。返事ぐらいしてくれよ」

「あ、ごめん..ノック、した?全然気づかなかった」

「いきなり入るなんて不躾な真似はしないぞ、俺は」

「あは..そうだね...」




いつも喋る時は相手を目を見てハキハキしゃべる彼女だが、今は俯いて目を反らしている。
明らかに様子がおかしい。
もしかして、怪我をさせた俺と会う事を気まずく思っているのだろうか。
会いたく、なかったのだろうか。


「...なまえ、」

「...今日、来てくれてありがとうね...暑い中、大変だったでしょ」

「...」


俺の考えを見透かす様に、見舞いにきた事を労る彼女の言葉。
なぜかそれが、俺の心に重く響いた。
本当に大変なのは、辛いのはなまえのはずなのに...
俺は、。



「なまえ」

「ん...?」

「その、なんていうか...すまない」

「...」

「本当なら、俺が守ってやるべきだったんだ。俺が、なまえの事を守れたら..お前は怪我せずに済んだ」

「や、やめてよ有人..有人のせいじゃないよ。わかってたじゃない。相手のチーム、ラフプレーが多かったから...試合する前に、誰が怪我するかわからないから覚悟しておけって、監督も言ってたし...」

「それでも!...それでも、お前に怪我をさせたのは事実だ。本当に...すまなかった...」

「...有人、」




謝る俺を、困ったように眉尻を下げて見詰めるなまえ。
困惑の色に染まっているその瞳を、ゴーグルを外してじっと見詰めた。
彼女は何か言い足そうに口を少し開いたが、噤んだ。
それを何度か繰り返したが、再び俯いて目を反らしてしまった。



「今度からは..もうこんな事がないように、俺がなまえを守る。何があっても、お前に怪我はさせない。...だから、早く戻ってきてくれ....。チームのみんなも、それを望んでる」

「ッ、」

「そうだ。そういえば報告してなかったな。あの後、勝ったんだ。お前を怪我させたヤツも退場になったし、みんな、怒ってた...俺たちにはなまえが必要なんだ。だから、治ったら早く―――」





「あのね、有人」





急になまえが俺の手を握り、言葉を遮った。
彼女の不安そうな瞳に厭な予感が過る。







「わたし、サッカーできなくなっちゃった....」






一瞬。


病室の外からけたたましく鳴いていた蝉が一斉に静まったような気がした。
シン...と、俺たちの周囲から音が消え去る。
その中で、彼女の言葉と表情だけが妙に現実に迫ってくる。

今、なまえは何と言った?
サッカーが、できない?



「今、なん――...」

「もう、サッカーできないの...」

「おい、いやな冗談はよせよ」

「冗談じゃないよ!」


普段激昂する事などないなまえが珍しく声を荒げた。
そのリアクションが切迫していて、彼女が嘘を付いていないことがわかる。
いや、そもそもなまえは冗談でもこんな事を言うはずがない。

我を取り戻したような彼女が、ばつの悪そうな顔で『ごめん』とつぶやいた。



信じたく、ない。



「リハビリすれば...歩けるようにも、なるって。少しなら...走れるって...でも、サッカーしちゃうと手術したところ...悪くなるから、もう...サッカーできな...!」


そう言い切る前に、彼女の大きな瞳から涙がぼろぼろと溢れ出した。

俺の前では決して泣いた事のないなまえ。
どんな状況でも弱音も吐かず、前を見て進んできた彼女が泣く姿に、俺は酷く困惑した。
強くて綺麗ななまえが、今日はとても弱々しく儚げに見えた。

それと同時に、俺の心の中に深い深い罪悪感が湧き出てくる。
なまえは、俺を庇って怪我をした。
もし俺があの時躊躇しなかったら。もっと素早い判断が出来たら。
なまえは怪我をせずに済んだだろう。今頃フィールド上を走り回っていただろう。

俺が、なまえからサッカーを奪った...?



湧き出てくる罪悪感と同じように俺の瞳からも涙が出てきた。
彼女と同じように頬を次から次へと涙が伝う。
二人の涙がシーツにこぼれ落ち、染みを作った。
蝉は相変わらず鳴き出さない。


握られたなまえの手を強く握り返す。
謝罪を繰り返そうとしても、声が出てこない。
口も喉もからからに乾いている。口を動かしてみても、空気が擦れるような音しか出てこず、到底言葉とは言えなかった。



「リハビリすれば...歩けるのに...、ちょっとなら走れるようにも、なるのに....!サッカー、出来ないなんて....。どうして、どうして神様は半端な希望を残したのかなあっ...!サッカーできないなら...足、要らないのに....!!!」

「やめろ、なまえ...やめろ...!そんな事、言うなっ...!」

「ッ...く...ぅっ...!」


なまえは突然俺の手を握っていない方の手で、ギブスで固定してある膝を殴り始めた。
当然手術したてのそこにはひどく響くだろう。
慌てて俺はもう片方の手でそれを止めさせ、なまえを抱きしめた。
何故そうしたのかはわからない。だが、そうしなければならないような気がした。



「ごめんな...!!!守ってやれなくてごめんなあっ...!!」

「有人のせいじゃないって...!...でも、悔しいよ...!もう有人と一緒に...サッカーできない...!」




そう言うと彼女は俺にしがみつくように、呼応するように俺の背中に手をまわした。
少しずつ、蝉の鳴き声が再び聞こえるようになった。
それでも静かな病室に、二人分の小さな嗚咽が響く。


「有人...さむい、さむいよ...」

「...っ!」


今は真夏で照りつけるような暑さの昼だ。
いくら病室に冷房が効いているからといって、寒さを感じるほどではない。
きっと彼女の寒気は、物理的な...身体的なものではない。

俺は更にキツく彼女の震える身体を抱きしめた。






暑い暑い夏の日に、初めて見た幼なじみの涙。
もうサッカーが出来なくなってしまったのなら、サッカーが出来ない虚空の時間に彼女が苦しまないように
出来る限り、なまえの望み全てを叶えようと決めた。



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