台所では明王が買って来たチョコレートを溶かしている。
俗に言うテンパリングという行為らしいが、あいにく私は料理には明るくないのでよくは知らない。


今日はなぜか強引に明王の家に連れてこられた。
明王の家には来慣れているから特に違和感や緊張感は感じないが。



「私は明王の彼女になる気はないよ」



と、言うのも、近頃明王が妙に私に彼女になれと五月蝿いのだ。
考えてみれば最近という程最近でもないかもしれない。
昔からなにかにつけて明王はあたかも私を『自分のもの』であるかのように振る舞って来た。
私もさして抵抗は示さなかったから、周囲からはよく『付き合っている』と誤認されることも多い。


考えてみれば長い時間を明王と一緒にすごしてきたし、女友達よりも明王の方が仲が良い。
居心地が善いというのも、確かにある。



「今のままじゃどうして駄目なの」

「お前も俺が好きで、俺もお前が好きならなるもんは彼女彼氏だろうがよ」

「私はその思考に辿りつけないなあ」



ソファに身を横たえながら私は買って来た安物のチョコレートをかじった。
甘い。甘く、チョコレートだからやはりチョコレートの香りがする。
それはあまりにも当然のことだ。
チョコレートをかじってキムチの匂いがしたらそれはもうチョコレートではなく、チョコレートの名を借りた何かだろう。



人間関係もまた、しかり。






「明王はいいお嫁さんになれるね」

「婿だろ」

「嫁だよ」

「...てめーが嫁に来い」

「断る」



何度目かのプロポーズらしきものを即座に断る。
明王が鼻で笑う音と、ボウルの中でがしゃがしゃとチョコレートをかき混ぜる音が聞こえた。
形のあるものをもう一度溶かして再度形にする。
味は同じなのに、再整形をしたがる意味が私にはいまいちわからない。
どうせなら買ったままの方が手間がかからないし、楽なのに、と思う。

それはまるで今の私たちのようだ。
私は買ったままの原型のチョコレートのままでいいのに、明王は新しいものを作ろうとする。


なぜだ。なぜ彼氏彼女という代名詞にならないといけないのか。
固有名詞を持ってるのに。
なぜだ。なぜ思いやって寄り添うだけでは不満なのか。
それだけで万事円滑なのに。

すこし難しいけどシンプルなものよりも簡単だけどややこしいものを選びたいものなのか。

今のままの関係とか、新しい関係とか。





世の中の女の子たちは、よくやるな。







「おい、あんま食うなよ。コレ食えなくなるだろ」

「はーい」



ちらりと目配せして私にそう言う明王は、嫁というよりお母さんに近いものを感じた。
父、ではなく母。不思議な事に。
あの不動明王からは最もかけはなれたような、母親というイメージだ。






「おいしいチョコレートと高級なチョコレートというものは必ずしもイコールでは結ばれないよね」

「...テメェが何を考えてるかは分かり兼ねるけどよォ、そういう事もあんだろ」

「明王は高級じゃないけど、素敵な人間だと思うってこと」

「高級じゃなくて悪かったな」

「褒めてるんだよ?」

「解ってる」




チョコレートを冷やしている間、明王は私が沈んでいるソファへとやってきて、多いかぶさるようにして私の上に乗った。
正直重いけれども、そんなことを言ったらソファから蹴り落とされそうなので言わないでおく。


じっと明王の顔を見上げると、急にキスが降って来た。
チョコを食べたばかりの口に、舌が侵入してくる。
まるで何かを絡め捕られるように。




「んん、」

「甘ェ」

「チョコ食べてたから」



明王は気にすることなく、私の口腔を貪り続ける。



「お前からは貰えそうにねェからなァ」

「...?」

「バレンタインの」

「あー...」



コレをチョコってことにしといてやるよ、と、明王は笑って私から退いた。
冷蔵庫に向かい、チョコの具合を確かめた。
どうやら冷えていたらしいその一つを、私に投げてよこす。




「食ってみ」

「ありがと」



冷えたそれを口に放りこんで噛んでみると、それは予想外に柔らかかった。
所謂生チョコというものなのかもしれない。
明王は本当に器用で、こういうお菓子類ですらあっさりと作ってしまう。
私は作り方さえもしらないけれど。



「おいしい...」

「そうかよ」


チョコレートならばみな同じものだと思っていた節が、私にはあった。
けれどそれが思い込みであると実感させられて、予想外のことに驚いている。
それぐらい明王が作ったチョコはおいしかった。


「私チョコ侮ってたみたい。溶かしてもっかい固めるだけで、それに何の意味があるのかなって思ってた...」

「んなワケあるか。まーただ形だけオリジナルにするって奴もいるだろうけどな」

「人間関係も、そうかと思ってたんだよね」

「あ?」

「今のままでいるのも、違う関係に名前が変わるのも、ただ溶かして形をもう一度作るだけ、みたいな...本質は変わらないのに、なんか面倒な工程を踏むだけだと思ってたの」

「それで?」

「ん?」



明王は今度は、冷えた生チョコ全てを持ってこちらにやってきた。
彼自身も、自分の作った作品に満足げだ。
その時に質問されたことに私は言葉を返せないでいる。
それで、と言われたものの何に対しての『それで』なのか。



「チョコに関する観点が変わって、お前はコレからどうすんの?」

「ん??ん????」

「だから、人間関係もチョコと同じだったらよォ、本質は同じでも味は違うものになったりするだろ?ただ溶かして形を作り直すだけじゃねェ」

「...」

「ちなみにこのチョコも元はお前が今食ってた安いヤツと同じだ」

「まじっすか」

「答えを決めな」







「来年はチョコレート作り教えて」





一緒につくろう、と言うと明王は満足げな顔で『上等な答えだ』と笑った。








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