何故だか寂しいと思った。
こんなに心から寂しいと思ったのは久しぶりだった。
(取り残された――...)
自分は忘れ去られたような気がした。
頭の中に浮かぶのは、愛しい妹の姿。
夜。
学校に忍び込んで、フェンスを越えてプールサイドに一人たたずむ。
誰もいない。誰もいないから寂しいのか?
いや、そうではない。
もはや誰かがいるかいないかには固執していない。
誰かがいても寂しいものだし、誰かがいなくなって、結局は寂しい。
つまり、どうあっても寂しいのだ。
月明かりに照らされて、水面に光が反射している。
夏の虫が密やかに音を鳴らしている。
(...)
好きな人が、...妹が大人になっていた。
二つ年下だというのに、彼女の方が大人になり、
自分のいるところから離れて行ってしまったような気がした。
それと言うのも。
それは朝の出来事だった。
いつも通り起きて洗面所に向かうと、珍しくナナシが先に洗面台の前に立っていた。
ばしゃばしゃと顔ではない何かを必死に洗っている。
「はよ」
「っ..!おはよ、お兄ちゃん」
「何洗ってんだ?」
「な、なんでもないよ...!お願い、ちょっと向こう行っててくれない?」
「なんでだよ」
「お願い!すぐ終わるから!」
あまりにもナナシが必死に自分を追い出そうとするものだから
仕方なく洗面所を後に使用とした。
その時の彼女の姿は少し長めのTシャツ一枚だった。
いつもはその下に見えるか見えないか程度のホットパンツを履いている。
今日もそうだろうと思った。
が、
「...!」
彼女の太ももに僅かな血が流れているのを見つけてしまった。
その元をたどるように見て行けば、Tシャツに隠れた、足の付け根から流れているようだった。
...見るべきじゃなかった....。
そう思ってももう遅い。
気がつけば彼女その足に流れる、赤い一筋の流れに目が釘付けになってしまっていた。
目を離したくても、離せない。
彼女は、大人になっていた。
少女が迎えるそれは女性への変化の証。
なんとか視線を離して、居間へ足を運ぶも
脳裏にあの赤とナナシの白い肌とのコントラストが焼き付いて離れない。
思わず居間のソファに、うつぶせになだれ込んでしまった。
(...ナナシ)
ずっと、一緒に居られると思っていた。
兄妹は仲が良いものだし、たまに喧嘩をすれどそれが当然だと思っていた。
だが、自分が連想していたのは『男と女』の関係ではなく
『子供のままの戯れ』が続く兄妹としての関係だった。
小さい頃から。
ずっと昔から一緒だった。
同じ施設で育った、唯一の肉親だった。
どちらもずっとこのまま、戯れられる年齢であると少なからず思っていた。
だが、明確な変化がナナシに現れた。
彼女が大人になった。
脳裏に焼き付いたあの血の流れは、『子供のまま』という自らの幻想をいとも簡単に打ち砕き、現実を突きつけたのだ。
つまり、大人になるということは"自分も"また大人になるということであり、
別々に好きな人を作り、別々に結婚し、兄妹が離別するということでもあった。
それが、晴矢には信じられなかった。
自分もナナシも、別々の道を歩む日が着実に近づいている。
寂しくて、たまらなかった。
「...滑稽だよな」
晴矢は、プールにうつった自分の姿をかがんで見つめた。
うつっているのは自分の姿なのに、頭の中に浮かぶのはナナシの姿だった。
よく似た兄妹であるのに、結局別の人生を歩む。
わかっていたはずなのに、ちっともわかっていない。
そっと、水面にうつる自分の首に手をのばす。
手を伸ばしてその首を絞めた。
だが、頭の中に描く幻想が感覚を生むはずもなく、握られるのは水ばかり。
もしかしたら自分は深い深い森の中に閉じ込められたのかもしれない、と晴矢は思った。
元々、森の奥深くにナナシと自分と二人で居たのに、
いつの間にか妹はその森を抜けようとしている。
そしていつしか自分は一人になり、夜な夜なこうして水に自分の姿を映し妹の姿を思い浮かべるのかもしれない。
(それでもいい)
いつの間にかにこの森に閉じ込められ、抜け出す事ができない。
いや、抜け出そうとしないのだ。