んん?、と帝人は疑問符を飛ばす。
タタンタタン、と電車に揺られ新宿の文字を見た時から違和感は常にあったのだが。
せっかく捜してくれたのだから見るだけ見て、断るのはそれから…と心の中に疑問やら文句やらを押し込めていたが、明らかに次元が違うだろというマンションを見て違和感は確信に変わった。
おかしい。
ちら、と帝人が視線を向ければ臨也は先程から笑顔のまま。
「あの、臨也さん」
「んー?」
「僕できるだけ、低予算でって」
ピ、とカードキーの音がしてマンションの入口のドアが開いた。
監視カメラがついており、玄関ホールの床は大理石。
肌を冷たい風が撫で、クーラーまでもが設置されていることが知れた。
庶民の暮らしに慣れた帝人には全てが恐縮するものばかりだ。
十数万、何十万の世界ではないだろうか。
戸惑う帝人を引っ張り、臨也はどんどん進んでいく。エレベーターに乗せられ、部屋前に来るまでにも何度か帝人は口を出そうとしたが、臨也は笑顔を返すばかりだった。
「ついたよ」
手慣れた仕種で部屋の暗証番号を入力し、臨也は帝人を招き入れた。
並ぶ家具や生活感のある室内。
「ここが、俺の家…」
帝人は唖然とした。
背後でバタン、と戸の閉まる音を聞きながら。
「いや、俺達の家、かな」
大きくぬけた天井に、調度品はアンティークが主、数台のパソコンが並ぶデスク、見渡せば所狭しと本棚。情報に溢れているのに、綺麗に整えられた部屋には隙がない。部屋は人間性が出るというが、本当なのだろう。
「…どういう、事ですか」
「いい物件があるって言ったでしょ、ここがそうだよ。おいで」
腕を引かれて部屋の奥へ二人は入って行った。
「帝人君のために改装したんだ。まあ他にも色々してたんだけど。ここ数日、君に会えなかったのはそのせいだよ」
寂しかった?、と冗談めかして笑う臨也の横顔を見て帝人は見透かされたような気がして頬を淡く染めたが、『改装』という言葉に血の気が下がった。
「改装って!そんな、僕はそんな事、」
「これが君の部屋」
話を聞いていない。
いや、聞く気がないのか。
ノブをまわして開けば、ホテルの一室をそのまま切り取ったような部屋が現れた。
大きくくり抜かれた窓、そこから最上階であるため、見下ろすように町並みが広がる。黒くなり始めた町に、ぽつ、ぽつ、と宝石が散りばめられていく。
部屋の中の物をあげるが、シックなデスク、クローゼット、ソファー、テレビ…と、生活には事欠かないだろう。だがしかし、そこには寝具がない。
そこで暮らすつもりは毛頭ないにしても、帝人は首を傾げた。
「寝室はこっち」
ポンポンといっそ小気味よい程に事が進むものだ、と帝人は感心した。
一室の前に立ち、臨也はふふ、と含み笑いをする。
今まで綺麗な部屋ばかり見せられたので、帝人としては期待に胸を僅かばかり高鳴らせたが、
室内を見て声に鳴らない悲鳴をあげた。
臨也の手を振り払って、今まで来た道のりを逆走する。
「最低だ!」
帝人が部屋の中で見たのは、ピンクだった。
照明がピンク、シーツがピンク、枕はイエスノー。
耳元で囁かれた「俺達の寝室」の言葉に、帝人の身体中の毛が逆立った。
背後から冗談だって、と笑う声が追いかけてくるが帝人は気にせず玄関へと向かった。
内開きの玄関戸を引いたところで、後ろから伸びてきた手に戸をバタンと閉められる。
「帰ります!手退けてください!」
「あれは冗談だよ」
「だとしても、僕ここには住みませんから!」
「どうして?君、困ってるんでしょ」
君が心配する防犯も問題なし、と臨也は言う。
「家賃は請求しないし。予算必要なし」
どうだ、と言わんばかりに得意げに目を細められても。
反論する余地はあるのだろうが、帝人の頭にそれが浮かんでこない。臨也さんに悪いから、とかそこまで人に頼るわけには、と言えばいいのだろうが、どれも臨也に上手く言いくるめられそうだ。
焦りに冷静を欠いた頭では、駄目だと帝人は思った。
「一度、家に帰らせてください。よく考えたいですし、引っ越すにしてもアパートの家具や大家さんと話…」
「その必要もないよ」
向かい合うように身体を動かされ、帝人は背中にドアの冷たさを感じた。
目の前には何やら文字がびっしりと並んだ紙。
嫌な予感しかしないが、聞かずにはいられなかった。
「…なんですか、これ」
「君のアパートのあの部屋、解約しといたから」
「ええ!?ちょ、ちょっと待っ」
紙が臨也の懐に仕舞われるのと同時に、部屋にピンポーンとチャイムが鳴る。
恐慌状態に陥った帝人を尻目に、臨也は玄関口に設置されたインターホンで「入っていいよ」等と会話をした。
「ちゃんと話を」
「ちょっと帝人君どいてね」
臨也が玄関戸を開けると同時に、部屋にぞろぞろと段ボール箱を持った人がなだれ込んできた。
それぞれが着ている服は、見覚えのある引っ越し会社のものだ。
ここまでの流れを汲めば、中身はだいたい予想がつく。
「なっ、な…?!」
「奥から二つ目の部屋にお願い、右手のね」
「はいっ!」
「臨也さん…っ!」
先程まで強気に睨み上げていた帝人の目には、もはや何がなんだかわからないのか怒りや困惑やらがないまぜになって浮かび、目の端には涙まで溜まっている。
「嵌めたんですか!」
「嵌めた、なんて人聞きが悪いな」
「こんな…、酷いです…!」
「ふふ、狡くはあるかな」
にこ、と臨也は音がしそうなくらい軽やかに笑う。
そこには悪びれた様子もない。
帝人はこの人にこれ以上何を言っても無駄だとわかってしまった。
「今日からよろしくね、帝人くん」
本日二度目、帝人は声にならない悲鳴を上げたのだった。
二人のベクトル。
交わりそうもなかったそれが、臨也の手によって歪められた。
遠い延長線上、二人は結び付くところがあるのだろうか。
折原臨也は恋をしている。
『恋には下心がつきもの、ってね』
100801
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無駄に長くなりました