1話 アイスの当たり棒は早めに引き換えるべし



大事なものはなんだろう?なくしたものはなんだろう?気付かなかったものはなんだろう?
この3つの質問の内、どれが答えにたどり着きやすいのだろう。たまに、思う。真っ先に思いつき、言葉に出来た答えこそ……存外どうでもいい物なのでは?と。大切なものほど、言葉を探して拾って捏ねて、聲となるまで時間が必要なのではないだろうか。
玩具箱のぬいぐるみ。黒ずんだ靴下。取っ手が折れたマグカップ。大事だったもので、なくしたものでもあり、気付かないものでもあった。
その時こそ大事にされていても、存在意義を見失い何処へも行けなくなってしまった物なんてごまんとあるだろう。はっと、何かの拍子でしか思い出せないのは鈍さの証か。みんな、時計の針が止まってから久しい。未来にも今にも、繋がることはない。かと言って、それらを見て過去の自分へ巻き戻れる訳でもない。ただ――閉塞で停滞している。ある視点からは、と呼べるかもしれない。そして、それはこの神忘村にも当てはまることだ。







神忘村はN県東部に位置する山村だ。県庁所在地に出るより、隣接しているM県M市に出かける方が早い。と、地元民の間では有名。人口2000人足らずの過疎地域であり、限界集落でもある。電車がない(バスは上り下りで一日数本)、コンビニない、娯楽施設ない。言葉通り、何もないド田舎だ。
生まれ育った東京を離れたのは、小学校6年生の春休み。父と母が離れ離れになったのも、同時期だった。
離婚の理由は「性格の不一致」とかなんとか。それ以外にも、理由はあるのだろうけど知って何か変わる訳でもない。
今時離婚なんて、珍しくない。なるようになる。お母さんの口から初めて告げられた時も、私は至って冷静だった。
「分かった」しか言えなかったのは、麻痺でもなんでもないのだ。返事の最適解が、分からなかっただけで。
私と妹はお母さんに引き取られて、お母さんの実家で暮らしている。おじいちゃんとおばあちゃんも一緒なので、お父さんがいた頃より家は賑やかで楽しい。悪いことばかりじゃない。大体どんな本を読んでも「物事は多面的に見なさい」と書いてある。
今では神忘村の人たちに、顔を覚えてもらっている。すれ違う度に挨拶されるのは未だ恥ずかしいけど、ここでの暮らしは大分と慣れた。そう、私の長所は「めげないところ」なのだ。
ただ、一つだけ悩み事はある。
「深見さんのお母さんがやってるパン屋、この間行ったんやけど。騒いどる程、美味しくなかったわぁ。なんて言うんかのう、東京者の格好つけた味って感じや〜」
寺尾 沙知代。悪口と噂話でご飯を食べているような女子だ。何かと他人のことが気になるようで、いつも目を光らせては自分の敷いたレールからはみ出している人間が居ないか監視している。
「そうだねえ。お母さん、頑固だからこう!って言ったら変えない人だしね〜」
「うっわ。そんなお母さん、やり辛そうやなあ。あ、やからお父さんも」
切り絵のような、気味の悪い笑顔を浮かべる寺尾さん(一応敬称はつけて差し上げる)。
・他人の両親を引き合いに出すとか卑怯だ!
・そもそも、寺尾さんに直接関係ある?
・寺尾さんのお母さんって、スナックのママだよね。下品そう!
どんな言い返し方をしても、相手の思うツボなのでにっこりと笑って肯くだけにしている。
心配そうに友達のタマちゃんこと、玉井 優花ちゃんがこちらを見て来た。寺尾さんの様子を伺うと同時に、隣の神田 菜摘さんの方にも視線を泳がせている。
私に意地悪を仕掛けても、面白くないことを学んだのか寺尾さんと神田さん二人で別の話題を話し始めた。
「た、大変やったのう……」
「あはは。いつものことだし」
タマちゃんの瞳が、翳った。項垂れるように下げられた頭を見て、思考が追いつかなかった。
「……え?」
「ごめんなあ。葵ちゃん。いくら寺尾さんとかが酷いこと言ってても、言い返せへんくて」
「タマちゃんが気にすることないよ。喧嘩しても、気分悪いだけだしさ。ね」
宥めるように、タマちゃんに言葉をかける。本当に優しくて素直で、他人のことが気遣えるいい子だ。私にはないものを沢山持っていて、憧れだったりする。
「葵ちゃんは、強くていい子やのう」
強い。いい子。ああ……正直そんな人間じゃないし、聞きたくない単語の一つだ。







扨。皆様の学校には「スカートめくり」という文化はあっただろうか?いや、あれを文化と呼ぶには文化人に大変失礼だ。男子が性をちょっと考え出した頃の通過儀礼、とでも呼ぼう。
小学校3年生の頃の話だ。私のクラスで、スカートめくりが流行した。始めの内は笑って流せる器量のある女子か、やり返すことが出来る女子がスカートめくりの被害者だった。だけれど、一旦流行ってしまえば無差別攻撃と化す。元不登校児の女子も例に漏れず、スカートをめくられた。
当時は私も正義に燃えていて、卑劣さが許せなかった。その子ははらはらと泣いていて、教室内はみんな言いたい放題に意見し合っている。小学生国会、とでも言うべき状態であった。
「そんなに見たければ、一生顔に貼り付けてな!」
言葉と同時に、軌跡を描いて宙を舞ったパンツ。男子の額にクリーンヒットしたかと思えば、肩の上にちょんと乗った。スカートの中のブツがなくなり、非常に風通しが良かった。ええ。それはもう。
「うわぁあああああああんん!!!」
教室全域に響き渡る大声を上げて、泣き崩れた加害者男子。見たくて堪らなかったパンツをぶつけられて泣くとは、一体どういう了見だ。だったら始めから、スカートなんてめくらなければいいだろう!と、指摘をしたら更に泣き声が激しくなった。私はすぐ気付くべきだったのだ。たった先ほどまで、周りに居た女子が男子に寄り添っていることを。
「え?」
「やり過ぎじゃない?」
「性格キツいよね」
「佐藤君、大丈夫?」
そう。女子の間で「深見 葵が悪者」という化学変化が起きてしまったのだ。特に、男子へと声高らかに意見していた者程変わり身が早かった。そして、しっかり先生への通報も済ませてあったのだ。
一通り事情を聞いた先生も先生だった。
「……お前は、同年代に比べたら大人だと思っていたが子供らしくなくて、他の子供とは毛色が違う。確かに、スカートを捲った佐藤が悪いが何も泣かせるまでやり返すことはないだろう?周りと足並みを揃えろ。いいな?」
なんだそれは。なんなのだ。何故、公平な立場を取るべき教師が被害者を非難している?何よりも、大人にも「悪者扱い」されたのが悔しくて堪らなかったし、怒りも覚えた。
だけれど、魔法使いでもない私には人の心を動かすことなんて不可能だ。なので、生き方を変えることにした。人畜無害そうに、ニコニコして安心を与えて。勉強、運動はしっかりやって安全も完璧に!面倒事も快く引き受ける!誰から見ても、いい子になる!と。







「寺尾さんって、葵ちゃんに対抗意識でもあるんやろか」
「え?どうして?」
「ん〜と。小学校の頃は、相沢さんとよう喧嘩しとったんや」
「そうなんだ……」
察してはいたが、さも初耳かのように意外そうに瞳を開いた。
相沢さん。相沢 希さん。真っ直ぐな子、と言えば聞こえは良いが、言い方を変えれば曲がることが出来ない子だ。
一学年十人とちょっと、しか居ないこの中学校では感情や疑問をむき出しにして生きていくことは、自分の首を絞めることとなる。狭いコミュニティの中で、一人一人が注目されてしまうのでいかに「普通っぽく」「その場の空気を読む」かが重要なのだ。にも関わらず、相沢さんはそのスキルが極端に欠けているように思う。
確か中学校1年の夏頃のことだった。相沢さんの上履きに、裏の畑の土が山盛りに入れられていた。
犯人の女子二人は、クスクス。と笑って、相沢さんを見ていた。相沢さんは首を傾げて、土を裏の畑まで返却しに言ったのだ。何故、自分の上履きに土を入れられなければならないのか。原因を解明しないことには、感情の動かし方を決められない性分でもあるようでノートに思い当たる節をいくつか書いてはまた首を傾げていたのだ。そして今思えば、何故こんな奇妙な出来事が我が身に起きたのか。純粋な疑問を抱いていたようだった。
ノートに文字を綴る彼女の表情は何処か活き活きとしていて、まるで推理小説のトリック案を照合しているようにも見えた。登場人物のアリバイ、伏線、証拠、犯人と目ぼしき人間に結びつく決定的な証拠。本当に楽しそうに書いていたのだ。
「きもくない?」
「きもいわ」
寺尾さんと神田さんの悪口も、意味が分からなかったようで(彼女からしたら自分の行動の振り返りをしているだけに過ぎない)、何処が「気持ち悪いのか」質問していた。はっきり言って、その度胸は賞賛に値する。
潤いと艶を兼ね備えた黒髪も、きっちりと切りそろえた前髪から覗く氷細工のような瞳も。全てにおいて存在感がある上、この夢想家で理想主義者で完璧主義者。神忘中学校2年生の中でも目立たない訳がなかった。
「今まで寺尾さん、自分が一番やと思っとったのにのう。葵ちゃん来てから、葵ちゃんの方が成績良いし」
「えっ……相沢さんも成績良いでしょ?」
「相沢さんは、絵がほら……?」
「……あっ」
画伯だったよね。と、付け加えるとタマちゃんは首肯した。
「怒りやすいし、ワガママやし、命令もするからのう……先輩も後輩もあんまし、寺尾さんのこと好きちゃうしのう。でも、怒らすと怖いしみんな言わんのを勘違いしてはるんよ」
「そ、そうなのかなあ」
そうなのだ。みんな、不満はあるけど揉めたくない一心で、本心に鍵をかけて上手く回している。みんな道化師みたいなものだな、とも思えてくる。その点、思ったことを言える相沢さんは偉いと思う。相沢さんが言ったところで、寺尾さんが直る訳ないけれど。
でも、あそこまで真っ直ぐ生きられたら幸せだろうな。タマちゃんのことと言い、私はまたないものねだりをするのであった。




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