待ちぼうけというのは、どうも引き際が難しい。

タソガレドキの間者として男を装い忍術学園に潜入して、もうどれほどの月日が経っただろうか。
手に入れた情報や現況を報告するための雑渡さんとの定期連絡のために、待ち合わせ場所である丘の上の大樹に来たのは朝早くだった。
高かった日は傾き始めて、色も赤みを帯びている。烏が鳴きながら巣へと戻っていく様も、もう何度、見送ったのかもわからない。

もう、帰ったほうがいいのだろう。

おそらくタソガレドキに何かあって、雑渡さんが来られない状況にでもなったのだろう。あの人は優先順位の付け方がうまく、取捨択一に長けている人だから定期連絡よりも大切な何かを見付けたに違いない。

見捨てられたわけでは、ないのだろう。

きっと、違う。
あの人は冷静沈着だが、冷酷非道なわけではない。

大樹に背を預けていたのを少し身体をずらして、ぽすん、と仰向けに寝転んだ。
雑草が舞い上がった。
広い空を、枯れ始めた大樹の枝葉が遮っている。

見捨てられたわけでは、ないのだろう。
きっと、違う。

そうとわかっているのに、どうしてかこの弱々しい胸は不安に駆られてしまう。

私は今、誰でもない。

忍術学園の生徒としてもタソガレドキ忍者としても半端者だ。どちらにも片足ずつ突っ込んで、それでいて、どちらともつかない身分でいる。

自分の空虚な存在に、そこはかとない頼りなさを感じるのは勘違いではない。

私は誰なのか。
数々の訓練を積み重ねてきたくせに、潜入期間が長くなるにつれて心ががたがたと揺れていく。
仮面を付け続けることが不安になる種になるだなんて思いもよらなかった。

私は誰だ?

流れるな。
流れてくれるな。
まなじりから一滴垂れる涙を隠そうと腕で目を覆うと、ざっと風が吹いた。


「大丈夫ですか!?」
「……え?」


いきなり抱き上げられて、目を丸くした。
私を抱いた風の正体は、利吉さんだった。
利吉さんも私だとわかると、目を白黒させている。
互いに数秒、黙り込んでしまった。


「利吉さん? どうしました?」
「あ、いや、麓から足だけが見えて傷病人が倒れているのかと思ったんだ」
「ああ、なるほど。少し横になっていただけです。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「ああ…でも、どこか具合が悪いんだろう?」
「いえ、どこも? では、そろそろ忍術学園に帰るので失礼します」


立ち上がろうとして、でも出来なかった。
半ば強引に膝枕をさせられたからだ。


「もう少し寝ていなさい。五分でいい。私が送っていくから」
「いや、私、本当に」
「いいから。泣いている奴が強がるなよ」


ぐい、と額を押されて再び利吉さんの膝へと押し戻される。

ひとりで眺めていた夕暮れにいきなり利吉さんという一人の人間が現れて、唐突に『ああ、私、ここにいるんだ』と実感が湧いてきた。
タソガレドキであってタソガレドキでなく、忍術学園の生徒であって、忍術学園の生徒でない私はふよふよと浮いて飛び回る誰にも意識されない埃のように思っていたけれど、私は間違いなくここに存在して、利吉という男の膝の温もりを感じている。

不覚だった。

不覚にも最も苦手とする男のおかげで安堵して、最も苦手とする男のせいでまた泣いた。

とめどなく溢れてくる涙を利吉さんがぎょっとした顔で見下ろして来て、咄嗟に両腕で目元を隠した。

止まってほしいのに、噴出してくる涙が憎らしい。押し殺しているのに、しゃくりあげる嗚咽が惨たらしい。

なんと無情なことか。
この男の前で泣くとは。

利吉さんが少し戸惑ったように手をさ迷わせている気配があって、とうとう私の頭を撫でた。


「どうした」


優しい声が憎い。
慮るその声音が実に憎い。

私が首を振るだけでその配慮を拒絶すると、利吉さんが苦笑したのがわかった。


「何か、あったんだな。そうやっていつも涙を誰にも見せないで来たのか?」


うるさい。首を振ると、また利吉さんが苦笑した。


「仕方がない。今だけは私をアラシの好きにしていい」


そっと腕を下ろして見上げると、言い終えた利吉さんの顔は忍者の厳格で鋭いそれではなく、ひとりの人間としての柔らかな表情だった。
私は我慢出来ずに利吉さんの胸ぐらを掴んで引き寄せていた。

涙を見せたくはない。
でもここにいるのだという実感が欲しい。強く、欲しい。
世界の中で孤独だと思い込んでいる自分に、確かな居場所を見付けたかった。

利吉さんの胸に顔を押し付けて泣いた。
利吉さんが私の背に腕を回して、とんとん、と軽く叩いてくれると、余計に声が大きくなった。


「何があったのかは知らない。けど、泣き止むまで私が傍にいるよ」





束の間の安寧
(数分後、けろっとした私を見ても貴方は笑わずに共に歩き出してくれた)




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