いつになれば終わるのだろうかと、考えることこそが無駄な時間だとはわかっている。私は自分のこれまでの選択を変えられはしないし、誰かと人生を交換するのも叶わない。なればこそ、後悔などせずに生きていかねばならない。
だというのに──。
私が思いを馳せるのは、今とは違った生き方だ。
大樹の枝に腰掛け、幹に背を預ける。
裏山を駆ける風が草木を揺らしていて、波音に似ている。そんな音に耳を傾けながら、私は忍術学園に戻れずにいた。
早く戻ったほうがいいのだろう。
同室である留三郎と伊作はほんの少しの心配で私を探しにきてしまうから、さっさと立ち上がったほうがいい。
けれど、どうやら私の体から根が張ったようだ。
動けない。
瞼を下ろした。
思い描く理想を生きている自分を想像して、怖くなってやめた。理想に近付けようと、現実を捻じ曲げてしまいそうだった。生きていかねばならぬというのに。
立ち上がると、高かった視界が殊更に高くなった。見渡す限りの自然をゆっくりと目に焼き付ける。
しばらくそうして、枝から飛び降りた。
「誰かと思えば、アラシじゃないか」
白けてしまう。
せっかく前向きになって忍術学園に帰ろうとしているのに、出鼻を挫かれた気分だ。
振り返らずとも、声の主は私の隣に着地する。どこの樹から飛び降りてきたのかは知らないけれど、真の手練ともなると気配を感じにくくて仕方がない。
「これから忍術学園に戻るのかい? 随分と遅いじゃないか」
利吉さんは陽の傾きを見上げながら言った。
どちらともなく歩き出す。どうやら二人で行こうということらしい。
「少し、実習に手間取りまして」
「実習はだんだんと難易度が上がるからね。ところでアラシは参加しないのかい?」
「……参加って?」
「だって、また学園長先生の思いつきで暑気払いをするんだろう? そのせいで父上が帰れなくなって、母上はいつもどおり不機嫌になったんだよ」
「暑気払い……」
そんな話、出ていただろうか。
そもそも暑気払いとは何をするのか。酒を飲むのか。あの土井先生や山田先生が一年生達をそんな会に参加させるとも思えないのだが。
「なんでも、肝試しをやるらしいよ。上級生が驚かす役で、下級生が術を駆使してゴールを目指す。そんな感じだったと思うな」
なるほど。用具委員の留三郎が今頃大忙しで準備をしているに違いない。
「幽霊っていると思う?」
「いきなり頓狂な質問ですね」
「信じるか、信じないかで肝試しの怖さって大きく変わるから、アラシはどうなのかと思って」
「信じないですね」
「へえ。そうなんだ」
それからしばらく沈黙が続いた。
時折、二人が踏み締める小枝や葉の音が聞こえてくるだけで他は風も止んでしまったみたいに静かだった。
妙な悪寒が背中を走ったのは、それからすぐだった。
見えてきた忍術学園の前に立つ人物。
山田利吉。
紛れもなく、門の前に立つのは山田利吉だ。
では、今、私の隣を歩くこの男は?
この男は、一体誰なのだ。
はっとして振り返るのと、口付けをされるのは同時だった。
雲に触れたみたいに、儚い口付けだった。
そこにはもう誰もいなくて、口付けの名残だけが唇にある。
けれど、私の肌は覚えていた。
あの、唇に残る微かな火傷の感触を。
止んでいた風が私の頬を撫でる。その風に乗って、あの人の香りが運ばれてくる。
なにが、幽霊だ。
あなたは実在するじゃないですか。と、笑いたくなったけれど相手が隠れてしまったのだから仕方ない。
「おーい! アラシ! 遅かったじゃないか! これから肝試しだぞ!」
ひょっこりと門から顔をだした留三郎が手を振ってくる。その片手に金槌があって、思わず吹き出してしまいそうになった。
「わかった、わかった。幽霊を信じますよ」
そう言い残して、皆のところへ駆け出した。
わたしの命がとけたあの日
(いつになっても、助けられてばかり)
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