落忍 | ナノ


その音を聞いたのは、雑渡さんとの待ち合わせ場所に向かっている最中だった。

昼間の散歩の帰り道に、仙蔵から、さりげなく聞き出した学園の情報を雑渡さんに報告しようとしていたのだ。
皆が寝静まった丑の刻。
夕方頃から降り始めた雨の中を颯爽と走る。

そのとき、金属がぶつかり合う音を聞いた。
視界が悪い闇の中に、僅かに閃光が見える。

雑渡さんか?

そう思って方向を改め、木々を分けて近寄ると、諸泉が見えた。
久しぶりの雑渡さん以外のタソガレドキの仲間を見つけて、心が躍る。
けれど、すぐに冷静さを取り戻した。

誰かと戦っているらしい。

ここは関わらずに退却したほうが、諸泉にとっても私にとっても良いと思った。
踵を返そうとして、けれど諸泉の呻きが聞こえた。

刀を弾かれたのだ。
相手の方が一枚うわてということか。

しかし相手は辞めようとはせず、まだ距離を詰めて、とどめを刺そうとしている。

諸泉を助けるために、咄嗟に間に入ったのが間違いだった。
久しぶりに会えた仲間だったからか、判断を誤った。
私は忍者失格だ。
苦無を片手に仲裁に入って、刃を合わせた相手は――。


「アラシ…?」
「り、利吉さん…」


あろうことか利吉さんだった。
思わず眉間に皺が寄る。
舌打ちをしたくなったが、堪えた。


「アラシさん、どうしてここにいらっしゃるんですか!?」


諸泉の馬鹿野郎。
咄嗟に、戦闘を目撃して間に入ったという言い訳が浮かんだが、諸泉が私の名を呼んだことでその言い訳も使えなくなった。
この状況を打破する弁解が何も思い付かない。

雑渡さんには事後報告になるが、仕方ない。
このまま忍術学園を離脱しよう。


「諸泉、行っていいよ」
「え、え…? でも」
「早く」
「は、はい!」


諸泉が走り去って行くのが聞こえる。
利吉さんの顔は戸惑いから、確かな敵意へと変わっていた。


「…やっぱり。アラシ、君はプロの忍者だったんだね。しかもタソガレドキか。今の彼が敬語を使っていたところから見て、なかなか上の立場の人間みたいだね。何のために忍術学園に潜入を?」
「忍者が言うとでも思うんですか」
「言わせてあげようか。私は負けないよ」
「戦うつもりはありません」
「…なに?」


私は懐から目潰しの砂を撒き散らした。
利吉さんは目がくらんで、距離を取る。
その隙に駆け出した。

利吉さんの力量を考えれば、逃げたほうが理にかなっている。


雑渡さんの待ち合わせ場所に向かった。
かつて密会した大樹の下で、雑渡さんは既に待っていた。
息があがりながら、挨拶もせずに本題に入る。

雑渡さんは濡れた葉をくるくると回しながら、弄んでいた。


「雑渡さん、すみません山田利吉に正体が知れました」
「あらら。忍術学園の情報は?」
「はい。立花仙蔵からの情報ですが――」


私は仙蔵からの情報だけでなく、観察して手に入れた全ての情報を伝えた。
雑渡さんは「うんうん」と大きく頷いて、「よくやった」と私の頭と頬を撫でた。
睫毛の雨滴を親指で拭ってくれる。
冷たくて硬い皮膚だった。


「わかった。なかなか有意義な情報だ」
「光栄です。では学園を離脱します」
「うん。そうだね、それがいい」


雑渡さんとタソガレドキに向かおうとして、急に「あ」と雑渡さんが何かを思い出した。
声に合わせて足を止めると、雑渡さんに抱き締められた。
ふんわりと。
絹の羽衣を抱くように、真綿を抱くように、雑渡さんの胸に顔が押し付けられる。
懐かしい香りがした。


「そうだそうだ。忘れてた」


抱き締められながら、耳元で雑渡さんが笑う。
くつくつと、いつもの笑い声が鼓膜を揺らした。

私は腹部の鈍痛に気が付きながら、恐ろしくて瞳を動かすことが出来なかった。

痺れを切らした雑渡さんが少し離れて、私と目を合わせたとき、すっと私の腹に刺した短刀を抜いた。
腹からは湧き水のように血が溢れてくる。
色の濃いはずの鮮血は、雨に滲んですぐに掌から滴り落ちていった。

反射的に傷口を押さえた。


「……え…ざ、雑渡さん…?」
「言い忘れてたけど、もうタソガレドキにアラシの居場所はないよ」
「…え…? あ、あの…どういう…?」
「正体を知られた隠密専門の忍者が、戻って来る場所なんてないってこと」


正論だ。有無を言わせない正論だ。
私はぐっと唇を噛んで、一歩、後ずさった。

雑渡さんは目尻を下げて、一歩を詰めて来る。


「アラシ、愛してるよ。ずっと前から、これからも、ずっとずっと愛してる。お前以外に女はいらない。でも、さようなら」


雑渡さんが短刀を構えたのと同時に私は逃げ出した。

走って走って、左肩の鬱陶しい包帯をも捨てて、ただひたすら走った。

昼間に打った膝も、動きの鈍い左肩も、刺された腹の痛みも、何も感じないほどに胸が痛かった。


ああ、私、雑渡さんを信じていたんだ。


どこまで本心かわからないと言っておきながら、心からあの人の全てを信じていたんだ。
そして慕っていた。
男性として、慕っていた。
だから、こんなに苦しいんだ。

逃げないと。
生きるために、逃げないと。



どこに?



私は一体、どこに行くというのだろう。
雨音が強くなった気がした。

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