「…アラシ。君、もしかして…」
汗が噴き出したのは、咄嗟に持ちうる全力を出してしまったからか、疑惑を抱かれているからか。
細めた目で私を見てくる利吉さんから、どうしてか目を逸らせない。
上がる息を整えながら鼻唇溝に溜まった汗を拭う。
どうしよう。
どう言い逃れをすればいいのだろう。
それまで失敗続きだった鉤縄を、突然あの技術で扱えるようになるのは私から見てもおかしい。疑われる材料としては充分だ。
雑渡さんに言われたばかりだったのに、反射的に助けてしまった。
「…考えるより、夢中でやったほうが上手くいきました」
乾いた笑いを添えて言ったが、厳しい言い訳であることには自覚があった。
案の定、利吉さんは表情をひとつも変えずに私に近付いてくる。
利吉さんに加え、六年生が二人、一年生が三人。
殺して離脱するには分が悪すぎる。
利吉さんは私の左肩を掴んで、顔を覗き込みながら言った。
「もしかして…脱臼してるんじゃないか?」
「…え?」
はたから見れば随分と間の抜けた顔だっただろう。
心配そうに眉尻を下げた利吉さんは、私の左肩をさすりながら「やっぱり脱臼してる。五人の体重がいっきに掛かったのだから当たり前か」などと独り言を言っている。
「…あ、無我夢中で…気付きませんでした」
事実だった。
言われるまで肩が外れている激痛さえ感じていなかった。
慌てて伊作が駆け寄ってくる。
「すまないアラシ、すぐに整復するからね」
「ありがとう」
座らせられたあとで、伊作が私の左肩を整復した。
骨の軋む音がして、左手の感覚が戻って来る。
「あとは三角巾で吊るして冷やさないと」
「いや、いい。整復してくれただけで充分だよ」
「何を言っているんだ、治療はしっかりしないと!」
「留三郎の言うとおりだよ」
「伊作、留三郎、ありがとう。でも、いいんだ」
「何か治療したくない理由でもあるのか?」
核心を突いてきたのは、やっぱり利吉さんだった。
思った通り、疑惑は脱臼に関してだけではなかったらしい。秘密があることを見抜かれた。
そんな理由なんてない。
と言い掛けたところで、少し離れた場所に仙蔵がいるのが見えた。
私をずっと見ているのに、唇をきゅっと引き結んで輪の中に入ってこようとしない。組んでいる腕が小刻みに震えてもいる。隠れて袖をぎゅっと握っているし、仙蔵の心境に予想がついた。
「本当に大丈夫だ。仙蔵、悪いが学園まで肩を貸してくれないか」
言えば仙蔵は二度、頷いた。
「わかった」と言う彼の声は掠れていて、聞き取りづらい。
引き留めようとする皆をあしらって、私は仙蔵に掴まってその場を後にした。
少し離れたところで、私が言った。
「心配させてすまない」
「…ああ」
仙蔵の、私の身体を支える腕に力がこもった。
震えは収まっていないらしい。
「少し、座ってもいいか?」
「ああ。痛むのか?」
適当な木を背凭れにして、腰を下ろす。
仙蔵は私の前に膝をついて、水の入った竹筒を差し出してきた。
受け取ろうとして、やめた。
「飲めない」
私の意図を汲み取ってくれたらしかった。
仙蔵は自分の口に水を含んで、口移しをしてくる。
用が済んでも、長い間、唇を合わせていた。
「頼むから、心配させるな」
「わかった」
「約束だぞ」
「うん」
そしてもう一度、口付けをする。
「すまない仙蔵」
「もういいんだ」
違う。
私は君を利用した。
利吉さんが尾行しているのに気付いていながら、私が持つ秘密は仙蔵との関係なのだと、そう思わせるために口移しをさせた。
すまない。
もう一度そう言うと、仙蔵は「アラシが無事なら、それで構わない」と、私の心に刃を立てた。
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