私は山南と対峙している。
羅刹と化した山南の腕力は凄まじく、山南の刀と私の苦無(くない)が鍔競り合い、軋み合う音が耳を打つ。
やや私が押されているか。
背には千鶴。
「頼む。退いてくれ、山南…!」
千鶴専用の護衛として任を仰せつかって、早くも1年。
幼少の頃からくノ一として鍛練に励み続けていたものの、こうして羅刹との力量差をまざまざと見せつけられると、己では役不足なのではないかと疑心を抱いてしまう。
情けない、不甲斐ない気持ちになった。
白髪と赤の瞳の鬼に睨まれ、とうとう分が悪いように思えてきた。
「千鶴、逃げてくれ」
「アラシさん、でも――」
「行け!!」
千鶴はびくりと肩を震わせて、脱兎のごとく走り出した。
ここは屯所内、誰かしらの幹部と出会えるはずだ。
血に飢えた山南とこの部屋にいるよりは、手傷を負わずに済む。
「血が、血が欲しいのです」
うわごとのように呟く山南に、私は悔恨を感じた。
純粋な山南はどこにいったのだろう。
総長として隊士を束ねていた彼はどこに行ってしまったのだろう。
いないのか。もうどこにも、お前はいないのか。
動かなくなったあの左腕がいけなかったのか。
それでも刀を振りたいと望む山南が儚すぎたのか。
志を貫こうとするこの新選組が、あまりにも頑固に過ぎるのか。
私にとってみれば、それら全てが山南を狂わした要因であるように思う。
同じ釜の飯を食べたではないか。
新選組のあり方について、あんなに熟慮していたではないか。
それなのになぜ、こうも飢餓に苦しめやる。
「山南…頼むから、もう退いてくれ」
苦無と刀の軋みはそのままに、私は片手で山南を抱き寄せた。
山南が息を呑む気配があった。
「お願いだ。山南、もう辞めよう」
己よりも体の大きな山南を抱き、赤子に諭すように囁く。
かちかちと、山南の柄が震えた。
刀から脱力していくのを感じて、今度は両手で山南を抱き締める。
しばらくして、山南が嗚咽混じりに涙を流し始めた。
いまだ白髪の山南は、それでも理性を取り戻したらしかった。
辛かろう。
力のあったものが力をなくすこと。
上に立っていたものが、もう戦えぬと嘲られること。
己の居場所をどんどんと失うこと。
己が人でなくなっていくこと。
辛かろう。
全て辛かろう。
「ころして、ください」
山南の懇願に、私は目を閉じた。
瞼の裏に、彼と笑い合ったあの日々が見える。
若い幹部を諌め、それでも微笑みを携えていたお前を忘れない。
辛辣な事の運びの中で、それでも新選組を案じていたお前を忘れない。
手本のごとく構えるお前の剣術を忘れない。
(荒くれものの中で、お前だけが中段の構えであったな。お前らしい)
どれも、忘れたりはしない。
「せめて、ひとであるうちに」
山南の手が追い討ちを掛けるように私の肩を掴んだ。
爪が食い込む。
また理性を失いかけている、半分だけ人の瞳で私を見た。
ああ、なんてお前は酷い願いを最後にしたのか。
私は苦無を山南の心の臓に突き刺した。
「ぐ…」
苦悶に歪む顔。
さらに深く苦無を差し込むと、山南の形のいい口から血が吐き出された。
山南を抱く。
これでもか。これでどうだと言わんばかりの力で山南を抱きすくめる。
そして山南も、私を抱いた。
心の臓を貫かれてもまだなお息をする刹那の修羅。
「ありがとう」
山南の最期の言葉が、人間が紡ぐ中で最も美しいものでよかった。
ああ本当によかった。
「…アラシ!?」
灰にまみれた私を見て、駆け付けた土方は全てを察したようだった。
土方の背後に丞がいて、はっとした表情で私に駆け寄る。
「…忍ともあろうものが…泣くな!」
咎められ、ようやく頬に触れる。
掌についた灰が濡れ、いつかぶりの涙を流していることに気付いた。
情けない。
お前は本当に、どこまでも私を貶めやる。
人間として逝こう
(地獄で待ちやれ。じきに私も逝く)