新年を迎えたばかりの深夜。
夜闇の中に除夜の鐘の音が溶け込んでいる。
ぼおおおん、ぼおおおん。
戦が控えているからか、女忍として生きてきた性(さが)故なのか、年越しとはいえ浮かれるどころか、間の抜けた鐘の音を遠くに聞きながら、我ながら落ち着いた心持ちで忙しなく動く千鶴を見つめていた。

千鶴は厨房に立っていた。
夜中ということもあって隊士の目を気にしなくていいため、年越し蕎麦を拵える役を買って出たのだ。

酒に酔った民間人同士の小競り合いが相次いだせいで新撰組は忙しく、時間を取れた今となっては日付を跨いでしまったものの、嬉々とした横顔で蕎麦をよそっている千鶴を見ていると「もう寝ろ」とも言えず、戸口に寄り掛かってぼんやりとその様子を眺めていた。

足音が三つ、近付いてきた。
この歩行の癖は、藤堂、沖田、原田か。
あたりをつけて顔だけを廊下に巡らせれば、予想通りの顔が並んでいた。

「お、もう出来てんじゃん!」

藤堂が私の横をすり抜けて行く。
他の二人も続いた。

「もう皆もお腹を空かせているから、持っていくよ?」
「すみません!」

沖田が作業台に並んでいた器を盆に移し、まず厨房を出ようと振り返る。
そこで目が合った。

「わ! 何だ、いたの? 気配、消すのやめてよね」

沖田は初めて私に気付いたように目を見開いた。
続けて盆を持った藤堂と原田も同じような反応を示したのを見て、嘆息つく。
私は千鶴専用護衛として雇われた女忍である。

「千鶴のいる場所ならば、私もいるに決まっているだろう」
「そうかもしれないけどさあ。ほんと、君は女の子とは思えないよ」
「褒め言葉として受け取っておく」

それで沖田との会話は終いだった。
相変わらずの笑顔で流され、入って来た時と同様に私の横をすり抜けて行く。

「おつかれさん」
「アラシも来いよな!」

私の頭を撫でようとした原田の手を振り払って、藤堂の提案に曖昧に頷き、二人が厨房を出てから千鶴に意識を戻した。
最後の器に蕎麦を盛ったところで、満足そうに額の汗を拭っていた。

「行きましょう! 皆さんがお待ちですから」

千鶴のはち切れんばかりの笑顔を受け止めて、小走りで広間へ向かう小さな背中を追う。

広間には既に幹部が勢揃いしていた。
あの山南でさえも。
年が変わるとは、威力があるのだな、と顔布の中で鼻を鳴らした。

いつものごとく千鶴のすぐ後ろに正座をすると、土方の号令により食事が始まる。

ぼおおおん。
ぼおおおん。

除夜の鐘。
今は91回目の音だった。
意識しなくとも頭が勝手に打算するのだから便利なのだか、不便なのだかよくわからない。

「食わねえのか?」

土方の声に瞳をそちらに向けた。
目が合う。
どうやら話し掛けられているようだとわかるまで、数秒、要した。

土方は千鶴の隣に用意してある膳を目で指していた。

「それ、アラシの分だろう」
「私は千鶴と食事はしない。警戒に対する集中が欠ける」
「そうは言っても、見ろよ、この人数。今じゃ護衛が複数人いるのと同じか、それ以上だろう」
「しかし――」
「アラシさん」

凛とした声と共に、千鶴が振り返った。
私に対して向き直り、正座をする。
改めて向き合うと、千鶴の小さな体がより際立つような気がした。

「いつも護ってくださってありがとうございます。お粗末ではありますが、お礼も兼ねて腕をふるいました。どうぞ、召し上がってください。今年もよろしくお願いします」

告げ、深々と頭を下げられてしまうと、困惑する。
「顔をあげてくれ」と懇願しても、千鶴は見た目には似合わない頑固さでそれをしてくれなかった。

「食えよ。今年もよろしくな」

原田が笑った。

「超うめえよ! 何だったら俺の椎茸やるからさあ!」

藤堂が笑った。

すると、とうとう困ってしまった。
返答に困りあぐねいていると、沖田が声をあげて笑った。

「君のその反応を見られただけでも、今年もいい年になりそうだよ」

皮肉はいつもと同じ。
こいつはどこまでも可愛いげのない奴だ、と睨み付ければ肩を竦めて返された。

頭を下げ続ける千鶴と、周りの視線に根負けしたのは私だった。

「わかったよ、私も頂くから、もう顔をあげてくれないか」

折れて言えば、千鶴がようやく顔をあげた。
にっこりとした笑み。
淡い蝋燭の明かりを背に浴びて、それは美しくもあった。

ぼおおおん。
ごおおおん。

音が変わった。

あとは体が勝手に動いてくれた。

千鶴を隣にいた藤堂に向かって押しやり、懐から苦無(くない)を取り出して投げ打つ。
ぱすん、という乾いた音と共に障子に一文字の切り傷が出来上がる。

そして間髪入れずに上座にいた土方へ移動し、土方を腕に抱いた。

呆気に取られたのはその場にいた全員だった。

「藤堂! 千鶴を連れて行け!」

私が怒鳴っても、まだ藤堂は訳がわからないという顔で、倒れ込んできた千鶴を抱いたままだった。
舌打ちをして、再び千鶴の前に立ちはだかって壁となる。

がん、がん。がん。

3つの音がしたのとほぼ同じくして左肩、右脇腹、左足に衝撃があった。

腹からむせ返る量の血が逆流してきて、粘着質な音と共に吐き出す。
幹部達が刀を抜く気配と音があった。

音。

私の世界では音が大きすぎる。
耳が痛い。

ぐらりと傾いていく体を何とか保とうとしたが、崩れ落ちる速度を緩やかにしただけだった。

障子の向こう。

鐘の音を遮蔽したであろう人物に向かって今一度、苦無を投げるのと、幹部が障子を開け放ったのは同時だった。

風間千景の刀によって振り落とされた苦無が虚しく中庭に落ちる。
その隣には銃口から煙をくゆらす不知火がいて、僅かに目を見開いている。不知火の左手には私が初めに放った苦無が刺さっていた。

それを見つめながら私は仰向けで倒れた。
天井を眺める。

背中にも痛みがあった。
反射で動いてくれた体は間違っていなかった。
やはり一発目の弾丸は土方を狙っていた。狙撃手は当たったという手応えを感じたからこそ、二発目から千鶴を選んだのだ。

千鶴を連れ帰ろうとしていたからか、急所を避けて撃ってくれたのは助かった。あるいは千鶴の治癒力に賭けたか。
どちらにせよ、死ぬほどではない。筈だ。

出血で体が冷えていくのを感じながらも、心臓が激しく拍動しているのがわかる。

「おいおい、どんな早業だよ。全弾、あの女に当たったってのか?」
「そのようだ。奇襲の結果としては、さして面白くもない」
「犬みてえな女だな」
「犬、か。犬を飼う趣味はないが、猟犬を従えるのも悪くないな。どけ、女を連れて行く」
「させるかよ!!」

鬼と幹部との会話が聞こえる。

どんどん音が離れていく。

瞼が重い。
千鶴はちゃんと藤堂に連れられて逃げただろうか。
藤堂なら、やってくれる筈だ。きっと。

次第に持ち上げられなくなってくる瞼を、いよいよ閉じたままにしてしまおうかというとき、視界に土方が入り込んで来た。

顔布を取られると土方の顔が歪んだ。
無理もない。顔の半分が吐血で汚れているだろうから。

「触るな」

汚れるぞ、とまでは言わせて貰えなかった。
抱えあげられ、天井が流れていく。

「おまえは優秀過ぎるんだよ…!」

褒め言葉なのか貶されているのか判断の難しい一言だった。

「千鶴は」
「避難した」
「そうか…ああ、蕎麦、忘れていた…千鶴に謝っておいてくれないか…厨房に余りがあっただろうか…食べてやらないと千鶴が悲しむ」
「うるせえな」
「ああ、あと千鶴に私は無事だと伝えて――」
「うるせえ! 怪我してんのはお前だろうが!」
「今は自分の呼吸に専念してください」

山南の声もあった。
落ち着く、抑揚のない声だ。

「山南、いたのか」
「失礼な物言いですね」
「すまない、ちょっと今は視界が霞んでいる。許せ」
「そのようですね。朦朧としています。会話が出来ることのほうが不思議ですよ」

天井が止まった。
どこかの部屋に着いたらしく、冷たい床に下ろされた。

「悪いが脱がすぞ」
「私がそんなことを気にするとでも思うのか」

律儀に断りを入れた土方を鼻で笑ってやれば、強引に装束を破られた。
誰が何人いるのか四方八方から手が伸びてきて怪我の治療に当たってくれている。

歪んでいく視界の中で千鶴の泣き顔が見えた気がした。

「泣くなよ、千鶴」

そして手を伸ばした。
千鶴の頬に触れ、熱い涙を拭う。

「泣くなって。千鶴を護るのが私の仕事なのだから」

止めどなく流れる涙を拭うのは諦めた。
そのかわり千鶴は私の掌に頬を擦り寄せて「馬鹿野郎」とだけ呟いた。

「随分と口が悪くなったものだな。原田達のせいか…嗜めなければならないな」
「この、馬鹿が…!」
「アラシ、それは雪村君ではありませんよ」

山南の言葉に、次第に視界がはっきりとしていく。
弱々しく泣いていたのは千鶴ではなく鬼の副長、土方だった。
驚いて手を離そうとすると、逃がすまいと掴まれ、さらに頬を擦り寄せられる。

「アラシがここまで意識混濁するとは、さすが銃ですね」
「ほんとに、馬鹿野郎だ」

ぼおおおん。
108回目の鐘の音が遠くで聞こえた。



* * *



目を覚まして体を起こすと頭がぐらついた。
軽く頭を振って立ち上がろうとするが、足に力が入らずその場に崩れた。
頭の中は軽く混乱していたが、すぐに周囲にいた幹部が動く気配を感じ取った。

左から土方、藤堂、沖田、永倉、原田、斎藤、千鶴、山南、まさかの烝までいる。
皆は私が横たわっていた布団をぐるりと囲み、長くを過ごしたのかそれぞれの肩に凭れたり、壁に寄り掛かったりして眠っている。

千鶴は薄着で寒そうに見えた。

藤堂が抱え込んでいた羽織をそっと奪い取って千鶴の肩に掛ける。

すると俯いていた顔があがり、視線が交わる。
千鶴がぱちくりと瞬きをしたあと――。

「何で起きてるんですか!?」

諌められた。

その声に続いて幹部達も続々と目覚める。

「あー! 何で歩き回ってるんだよ!」
「寝てないと。いくら君が丈夫でもね」

藤堂に加勢する沖田。

???
頭はやはり疑問符で占領され、どう行動すればいいのかわからないでいると烝に脇を挟まれ、すっくと持ち上げられた。
転がされ、問答無用で布団を掛けられてしまう。
???
烝も、いつになく憔悴しきっていた。

「もう峠は越えたようですね。皆さん、安心して仕事に戻りましょう」

山南に嗜められ、ぞろぞろと部屋を出ていく皆の背を見ていると、最後に出た千鶴に「動いちゃ駄目ですからね!」とぴしゃりと言われてしまった。
???
護衛はどうするんだ、と起き上がろうとして、部屋に残った土方に額を叩かれる。

「寝てろ」
「しかし千鶴が――」
「山崎に任せてある。それなら心配ねえだろ」
「…烝なら大丈夫だとは思うのだが…私はもう動けるし、問題はない」
「出血多量で3日も寝込んでたのはどこのどいつだと思ってんだ」
「…そんなに時が経っているのか。尚更行かなくては。烝の業務に支障が」
「寝てろ」

また額を叩かれた。

「普段のお前なら触れることも出来ねえのに山崎に抱えられたあげく、俺に二度も叩かれてんだ。今のお前じゃ護衛どころじゃねえだろ」

なるほど確かに、と納得して体を横たえた。
千鶴を護れなければ本末転倒もいいところである。

部屋に沈黙が生まれた。

天井を見上げながら瞬きをする。
音が何も聞こえない。相当に体が参っているらしい。

「…悪かった」

ふいに呟かれた。
土方が頭を下げているのが見えて、ぎょっとした。

「どうした、急に」
「俺の盾になった初撃が脊髄に近く、一番厄介な怪我だったらしい。俺のせいで、悪かった」

???
また、よくわからない。
土方はさらに続けた。

「お前に護られても尚、体が動かなかった。お前に抱かれても、何が起きたのかわかるのに苦労した。お前に付いていけていなかった。そのせいで4発も被弾した。俺のせいだ」
「よく、わからないな」
「…だから」

私は土方の言葉を遮った。

「私の仕事は千鶴の護衛で、土方を護ることではない。千鶴を藤堂へ押しやることで、取り敢えずの攻撃の軌道から逸らせたものの私は千鶴の傍から離れた。責められることはあるにすれ、謝られる事由はひとつもない」
「なら聞いてやる。何で俺を護った?」
「なに?」
「持ち場を離れて、どうして俺を庇ったりなんかしたんだ?」
「…そうだな。それも、よく、わからない」

よくよく考えてみなくとも妙な話だった。
千鶴を護るためだけに此処にいるのに、どうして土方の盾になったのか?
明確な答えが見つからず、土方を見つめていると、土方がおもむろに赤面をし始めた。
掌で口許を隠し、モゴモゴと副長らしからぬ口調で話し始める。

「お前、まさか、俺のことを…?」
「は? 何だ? よく聞こえない」
「だから、その、なんだ、お、お、お前は、もしかして俺に対して特別な感情があるのか、ってことをだな」
「その手のせいで聞こえないんだ。どけろ」

私が土方の口を覆っていた手を掴んでどけると、土方は口ごもってしまった。
痺れを切らして促す。

「で、何が言いたかったんだ?」
「俺は、お前なら貰ってやっても、いい」

今度は私が瞬きをする番だった。

土方を見つめ、土方は目を俯かせて畳を見ている。
考えを巡らせて、合点がいった。

「ああ、なるほど。それならば忍の本部に相談してみよう。今すぐにでも行ってきてやる」
「いや、今は急すぎるだろ!? こういうのは順序ってもんがなあ! 俺はまず近藤さんに話をつけなきゃいけねえし! 幹部にも知らせなきゃならねえ! それに本部には俺も行くのが道理ってもんだろう!」
「…いや、しかし本部の場所は機密中の機密。知られる訳にはいかない。私が一言添えてくれば簡単に許してくれる筈だ。そもそも私は此処に長く居すぎて戦力外のようなものだからな、必要なときにでも呼び出して貰う形にすれば本部も困るまい。さて、では行ってくるとしよう」
「待て待て! 結納はどうするのかもまだ決まってねえんだぞ! 婚儀も何も話してねえだろ!」
「結納…?」
「…え?」
「土方、何の話をしている? 私を新撰組で正式に雇う話ではないのか?」
「俺の嫁になるんじゃねえのか?」
「は?」

私達はしばらく見つめ合ってから、言葉が見付からなかったのか、土方が立ち上がって襖に手を掛けた。

そっと開けると、そこには出て行った筈の幹部達が全員勢揃いして聞き耳を立てていて、突然開いた襖に仰天していた。

「てめえらぁ!」

土方が怒鳴ると蹴散らされた蟻のように皆が逃げていく。
土方もすぐ去るのかと思いきやその場にとどまって――。

「今の話、俺は現実になってもいいと思ってる」

と、背中越しに言い放って、部屋を出た。

ひとりになった部屋で、改めて考えた。

めおと。
夫婦。
縁遠い話であると思っていたのに、いきなり目の前に据え置かれてしまった。

想像もつかない未来に、ふっと鼻で笑ってしまった。





年始は波乱万丈
(そういう未来もあってもいいか)
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