死神 | ナノ


其れがたる所以  


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「頼んだもんと違ぇよ!!」


どんがらがっしゃーん。
盛大にドリアの入った熱い耐熱皿を投げ付けられて、胸に熱々のドリアが直撃した。落ちていくお皿を追ってドリアがぼとりと床を汚す。

レストラン内はしんと静まり返り、注目を浴びる。
目の前のソファ席には禿げ散らかしたサラリーマンとおぼしき中年男。しかもデブ。

どうやら彼はラザニアを頼んだつもりなのにドリアを運び込まれたものだから癇癪を起こしたらしく、しかもそれが正当な行いだと信じてやまないといった雰囲気で腕を組んだ。

ここは現世。
暇潰しにアルバイトをしてみている。

過去にグリムジョーから離れて現世で暮らすことがあって、そのときもバイトをして生計を立てていたのだけれど、まだ接客というものをしたことがなかったので試したくなった。
レストランの厨房や居酒屋の厨房等でつまみ食いをしつつ金を貰っていたあの時期が遠い昔のようだ。今となっては接客なんざしなくて良かったと本当に心から思う。

このクソ男め。
そんなに怒ることかよ。注文取ったの誰だよ。

まだトレイの上に残っていた注文表を見て、眉間に皺が寄る。

これはこれは私の御主人様のグリムジョーの名前が記されているではあーりませんか。
くっそ、あの野郎。適当こきやがって。
とは口が裂けても言えないので客にただ頭を下げておく。

当のグリムジョーといえば、フロアの対角線上にいて私を、というかこの男をじとりと睨み付けている。

私が絶対に問題を起こしてくれるなと頼み込んでいるからか、怒りを抑えてくれているようだ。
先から他の客からオーダーを求むベルがそこかしこで鳴っているけれど、制服に身を包んだグリムジョーはちっとも動く気配なし。それどころか柱に凭れ掛かって、かつてないくらい苛ついたように右足の爪先でリズムを踏んでいる。

まあ注文ミスしたのは貴方でございますが、やりたくもない私の暇潰しに付き合ってくれたのだから目を瞑ってやろう。
(一緒にやろうなんて頼んでもないけどな、一言も!)

むしろグリムジョーは組んだ腕の人差し指でも、とんとんとんとん、とあからさまにその感情を表してらっしゃる。

白ワイシャツにネクタイ、チェックのスラックスに黒の前掛け、黒革靴姿、御馳走様です。見事です、美麗です。

その怒りに染まりきった表情がなければの話だがな。
周囲のお客さんドン引きしておりますがな。
と思考を巡らせている間にも男は何事かを叫んでいたみたいで「聞いてんのか!?」と問われてしまった。


「あ、申し訳ないです。いまラザニアを持って来ますんで」
「まずその言葉遣いがなってねえよ! どこで教育受けて来てんだ? どこの学校出てんだよ?」
「あの、その」
「聞こえねえよ!」


そうしてテーブル上にあったコップの中の水を浴びせられた。
冷たい。
一瞬瞑ってしまった目を開けてびっくり。
わお。グリムジョーが男の胸ぐらを掴み上げて宙にぶらぶらと浮かばせてらっしゃる。

グリムジョーはあの悪い笑顔をしているけれど目はこれっぽっちも笑っていなくて洒落にならん事態になったと直感した。


「言っとくが完全にブチギレたぜ」
「グリムジョー、あの、この世界での殺人は中々の罪でして」
「殺しはしねえよ。殺された方がマシだったと思う程度に済ましてやる」
「んー…それはいいのか?」
「お、おい! 客に何してんだ! 客は神様だろ!?」

「あァ?」


グリムジョーの目がきらりと光ったように見えた。
禁句を言ったのは男の方だから仕方がないが無知は言い訳にならないとは、まさにこのことか。


「神様だあ? 何の神だよ。この国には神が八百万(やおろず)もいんだろ? 金銭の神か? 勝利か? それとも死か? なら都合がいい。俺も死とは縁が深ぇからなあ」


グリムジョーは今度は両手で男の胸ぐらを締め上げた。
さらに加速して男の顔は真っ赤になっていく。
異変を察した他の従業員と客が騒ぎ始めるのを見て、私は諦めて結い上げていた髪をほどいた。

こうなってしまうと、ただではグリムジョーは収まらない。
私が普通に宥めても「黙れ」の一言で一蹴されるのが目に見えている。
仕方ない、一肌脱ぎますか。


「決着つけようぜ、死神よお」


ガチで虚閃を撃とうとしたので私は汚れたワイシャツを脱ぎ捨ててグリムジョーに抱き付いた。

ちらりと私を見たグリムジョーは下着姿を目の当たりにして、あのグリムジョーが目を見開くくらい驚いたようだった。掌に集まりつつあった光が消えて、男を解放する。
(というより、びっくりしてそのまま手を離して床に落とした)


「火傷した。痛い。帰ろ」


ぱちくりとグリムジョーが何度も瞬きをした。珍しく動揺しているらしく「あ、ああ」という気の抜けた応えが返ってきて、一瞬の間を置いてから私達は虚圏の宮に戻ってきた。



 * * * * *



グリムジョーは私をソファに座らせて、自身の着ていたワイシャツを肩から羽織らせてくれた。
もちろん私に火傷なんかなくて、全部グリムジョーを止めるための行為だったとグリムジョーも今になってはわかりきっている。

グリムジョーは膝をついて、私を抱き締めてくれた。


「止めんじゃねえよ」
「だって殺しちゃうじゃん。平気だよ、人間なんてあんなものだから」
「あんなカスしかいねえのか」
「結構多い」
「そんなところで、暮らしてたのか」


グリムジョーと離れて現世で過ごしたのは、グリムジョーが戦闘に行くからだった。弱い私は戦えないから現世に置いて行かれた。
おくびにも顔に出さないけれど、もしかして責任を感じているのかもしれない。

大きな胸板が苦しいくらい私を支えてくれる。


「大丈夫だよ。グリムジョーが迎えに来てくれたから。それだけで嫌な思い出なんて全部消えた」


グリムジョーを抱き締め返すと、私の肩にグリムジョーの額が乗せられ、そして小さく「悪かった」と呟かれた。


どうして謝るのだろう。


彼が私を置いて行くと決めたのは私が戦いに巻き込まれないためで、つまりは私を護るためにしてくれたことなのに。謝る必要なんてどこにもないのに。

小さく震えるグリムジョーの体なんて嫌だ。

震えを抑えるように強く強く抱き締めればグリムジョーも同じように強く強く抱いてくれた。
「悪かった」
もう一度、そう呟かれた。


「謝ることなんてない。どんなグリムジョーも大好きだけど、やっぱり俺様至上主義のグリムジョーが一番好きだよ」


そう諭して数秒。

沈黙。

かと思いきや、ばっといきなり立ち上がったグリムジョー。
振り仰ぐと、いつものグリムジョーに戻っていて口許には笑みさえ浮かんでいる。


「言ったな? んじゃ、さくっとあのデブ殺してくるわ」
「待て待て待て待て」





君主の本心
(貴方のしてくれること全てが私の為だと知っているよ)
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