死神 | ナノ


其れがたる所以  


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「緊張しすぎ」


僕はアラシさんの背中に声を掛けた。

グラウンドに描かれた円形トラックの周囲を全校生徒が囲んでいる。
けれど僕達はそのトラックの中にいた。生徒達の大歓声に包まれながら自分の順番が来るのを待っている。

そう、クラス対抗リレー。

体育祭の今日、目玉ともいえるその競技種目に奇しくも僕とアラシさんがアンカーに選ばれた。

各クラス選ばれた男女の選手のそれぞれ2名ずつが交互に走る方式で、女子のアンカーがアラシさん、僕がアラシさんからバトンを受けてゴールを目指す本アンカー。

そうこうしているとピストルの乾いた音と共に第一走者の女子がスタートして、歓声はさらに猛々しくなった。

アラシさんはハチマキを手に持ちながら、一見すれば大袈裟なまでにぶるぶると震えている。


「ややややばいよ。なに、リレーって何。何で私ここにいるん。皆みたいに観戦組になりたい。何で、何で私ここにいるん」
「体育で100メートルのタイム計測したときに断トツで女子1位を取ったせいだよ。何人かの男子にも勝ってたしね」
「それはむしろ逃げ足のおかげといいますか。どうしよ、リレーって負けたら怒られる? 何で皆いつもみたいに放っておいてくれないん。めっちゃ見られてる怖い」
「怒らないよ。ほら、あそこにいるあの男子。あいつからバトンを貰ってトラックを一周する。そしたら僕に渡す。それで君の役目は終わりだから」
「マジかよ何だよこれ信じらんない人間怖い」
「動揺しすぎ。ハチマキ貸して」


アラシさんの手から強引に白色ハチマキを奪い取ると額に当てた。柔らかな髪を持ち上げ、首の後ろで結んであげてから前髪を整える。

空は快晴。あいにく天候悪化で中止になる可能性はゼロに近いから走る以外に選択肢はないのだと、そろそろ腹を括らなければならない。


「ほら次だよ、トラックに出て」
「無理無理無理。目立つの慣れてない怖い、期待されるの初めて本当に無理」
「まったく…じゃあ、ここは空だ」
「…え?」


大歓声の中、アラシさんがぽかんと口を開けて止まった。僕ら二人だけが違う世界に包まれて、他の音なんて聞こえない。無音。

砂のにおいに混じってアラシさんの香りが舞っている。


「どれでもいい、君の好きな空を選んで。誰もいない、大きな大きな空だ。その中を僕を目掛けて走る風になればいい。僕だけを目指せばいいから」


細い両肩に手を置いて諭せばしばらく見つめ合った後で、ぷ、と吹き出して笑われた。


「くっさい言い方!」
「人がせっかく…まあいいや。ほら、もう来るよ」


先に話題に出た男子が8クラス中4位の順序で最終コーナーを回ったところだった。僅差ではあるけれど、女子アンカーの中には短距離の陸上部がいる。
その情報は余計に緊張させるだろうから与えていない。

振り返ればアラシさんはもういなくて、スタートラインに向かっていた。


「嵐、吹かせますか」


そう一言を残したアラシさんはバトンを受け取った途端に追い抜いて追い抜いて、他のクラスの女子生徒を置いてけぼりにする。
陸上部の女子なんて名前が霞むくらいの速さで、全校生徒の注目がアラシさんに向けられて、わっと高まる歓声。

僕の方が呆気に取られてスタートラインに立つのを忘れていた。

慌てて立てばもうコーナーを回ったところだった。

アラシさんの目は僕だけを捉えていた。

僕だけを。

手を伸ばせばアラシさんも手を伸ばして、固いバトンが手渡される。


何の音も聞こえなかった。


僕とアラシさんの2人だけの世界で、僕らはバトンを引き継いだ。
トップで繋がれたバトンをそのままの順位でゴールして振り返ると、もうそこにアラシさんはいなかった。

きょろきょろと探して、誰にも話し掛けられないようにそそくさと手洗いの方へ向かっているアラシさんを見付けて追いかけた。


「アラシさん」
「ちゃんと走れてた?」
「うん。あの歓声が聞こえなかったのかい?」
「良かった良かった。これで怒られなくて済む。要らないって言われるのが一番キツイからさ」
「誰も言わないよ、そんなこと。誰に言われたんだい」


問うと、アラシさんは力なく笑った。答えたくないという意味なのだろう。

僕は話題を変えた。


「ねえ、さっき、嵐を吹かせるって言ったよね」
「うん、言った」
「それって、」


雨の空を想像してくれたってことなのかな。

数ある空の中で彼女が大好きな青空ではなくて、僕の名前にある雨を想像してくれたのだとしたら、彼女が走っていたあの数秒間だけは彼女の頭は僕だけを考えてくれたのだということなのだろう。
それは言葉には出来ないけれど、どうしてか、たまらなく歓喜してしまいそうになる。

けれどそんな僕の問いに答えはなく、ぶわりと僕らの間に風が吹いただけだった。

そのときの君の照れたような小さな笑顔を僕はきっとずっと、絶対忘れない。

僕が結んであげたハチマキが眩しいくらいに陽光を反射していた。





晴れの日の雨
(僕らだけに降った雨を生まれた絆だと思っていいのだろうか、いや思わせて欲しい)
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