今日は月がよく見えない。
心なしか、雲が多いような気がする。
むろん、天気が悪いという訳ではないのだけれど、どうも月は隠れたがっているらしい。
あたしは紅茶の入ったペットボトルを無意味に転がしていた。
場所はアパートの屋根。
トタンの冷たく、硬い感触がおしりにある。
虫をも眠るこの時間になると、あたしは決まってこの屋根に登った。
グリムジョーを待つためだ。
随分と前に、戦いのためにあたしを置いて行ってしまったグリムジョー。
けれど全てが終わったら、来てくれると言っていた。
あたしはその言葉を信じて、毎日グリムジョーを待つ。
嵐が来ても雪が降っても、傘とレインコートで雨風を凌いだし、雷はさすがに怖かったけれどゴムマットにくるまったりしてとにかく毎日ここに来た。
見付けやすいように。
少しでも早くあたしを見付けてくれるように。
何やってんだ馬鹿。と罵りながら頭を小突いてくれればいい。
笑ってくれればいい。
満足するまで馬鹿にしてくれていい。
傍にいてくれるなら、ただそれでよかったのに。
グリムジョーのためなら、盾にだって喜んでなるのに。
盾になったがゆえに命を落とすことになっても、それでグリムジョーが数秒でも長く生きられるのなら何にだってなるのに。
どうして置いて行ったの。
残される方が辛いと知りながら。
「おめえも物好きだな」
声にはっとして振り返ると、そこには見知った顔があった。
「…ノイトラ」
ノイトラは片眼であたしを睨み付けていた。
グリムジョーと行動を共にするあたしを見て、生け簀かないと感じていたらしく、幾度も去れと警告されていた。
グリムジョーではなかった期待外れな気持ち。
落胆しつつ、あたしは警戒する。
突如現れた、かつての敵。
警戒なんて、したところで、ノイトラに敵うはずもないのだけれど。
ノイトラはポケットに両手を突っ込みながら、屋根に立っていた。
長身ゆえ、座るあたしを見下ろすノイトラの眼は、口調とは裏腹にひどく優しげである。
憂い、同情、哀れみ。
あるいはそれらに近い、いずれかの感情がそこにはあって、あたしは意図を汲み取ることが出来ない。
「諦めろ。あいつは、おめえを迎えには来ねえ」
もしかしたらそういう事実もあるかもしれないと、薄々感じてはいた。
けれど実際に言葉として言われてしまうと、なかなかどうして傷付いてしまう。
あたしは膝をぎゅっと抱いて、ちっぽけな膝小僧を見つめる。
ノイトラに、何と言えば伝わるだろうか。
待つしか出来ないのだと。
迎えに来てくれないと、たとえばここでグリムジョーに言われたとしてもあたしはきっとずっとグリムジョーを待ち続けると思う。
あたしはグリムジョーに居場所を与えて貰ったから、グリムジョー以外の居場所を知らない。
だから、グリムジョーがいなくなったらグリムジョーを待つことしか出来ない。
それがわかるだろうか。
他のどこにも居場所がないのだとすれば、在ったはずの居場所にしかすがることしか叶わない。
その弱さを、ノイトラはわかってくれるのだろうか。
「拾ってやる。って言ったら、おめえはどうする」
その言葉に驚いて、反射的にノイトラを降り仰いだ。
ノイトラは、真っ直ぐ眼差しを向けてきた。
「…嘘だ」
「嘘じゃねえ。俺と来い。おめえの居場所くらい、作ってやるよ」
首を振る。
「嘘だ。信じない。グリムジョー以外、あたしを拾ってくれなかった。これからもずっと、グリムジョー以外拾ってくれない」
「おめえが勝手に思い込んでるだけだろうが」
もう一度、首を振った。
さらにもう一度、首を振った。
信じられないというよりは、信じてはいけないと自身に言い聞かせていた。
棄てられる。
結局はまた待つ羽目になる。
信じるな。
きっとまた、孤独になる。
グリムジョー。
どうしてあなたはあたしを拾ったのか。
どうせ棄てるくらいなら最初から拾わないでくれたほうがよかった。
そうすればこんなにも居場所のあった過去に捕らわれて期待なんてしなかったのに。
期待があるから辛いのだと、あなたは知っていたくせに。
ノイトラの言葉に揺れてしまう自分が憎い。
恩人であるグリムジョーを待つと決めたのにそれしかできないのに孤独に耐えかねて折れてしまいそうになる。
言葉に靡いてしまいそうになる。
そんなの駄目だ。
膝に顔を埋めて、駄目だ駄目だと、何度も呟く。
その中で、いいじゃないか、と囁く自分もいた。
「しかたねえな」
言いながら、ノイトラはあたしを抱き締めた。
あたしを包み込むように後ろに座って、小さく縮んだ体を抱き締めてくれている。
長い足と長い手に抱きすくめられて、いつかぶりの体温に体が溶けてしまいそうになる。
いや、少しだけ溶けて、頬をつたった。
「ならせめて時々、一緒に待ってやる。おめえが独りで月なんざ捜さなくてもいいように、俺が傍にいてやる。それならいいだろうが。この頑固者」
ノイトラの耳に響く吐息と声が優しくて、あたしは頷くことしか出来なかった。
頷くと、あたしとノイトラの隙間なんてないみたいにぐっとノイトラはあたしを引き寄せて、あたしの肩に顔を埋めてきた。
抱きすくめて、ひとつになろうとでも懇願するかのように力を込めて。
そこでようやくわかった。
彼もまた、孤独に苛まれている。
どうして彼がこんなあたしを抱き締めているかというよりも、その事実の方が混乱を招いていた。
「ノイトラ」
「…んだよ」
「ひとりじゃない、よね」
言うと、これでもかとノイトラの怪力で抱き締められた。
「知るかボケ」
ノイトラの吐息が熱くなった気がした。
奪うことすら躊躇する
(かよわい君をただ笑顔にしたかっただけ)
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