死神 | ナノ


其れがたる所以  


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※関連小説「癖になりそうだよ」


***


始まりは騒がしく、終わりは静か。
大概のことは、そうだと言える。
出産の産声は高らかに、けれど死んでしまうときは息を吸うみたいに閑寂に。
旅行の始まりはうきうきわくわく楽しく、帰り支度は疲れてしまって、名残惜しくて、少し物憂げに。
そんなふうに、終わりはいつだって侘しい。

グリムジョーとの関係の終焉も、想像よりも遥かに、呆気なかった。


*** 


「ザエルアポロってば…どこに行っちゃったの…!」

大きな大きな宮をずっと歩き続けている。さっきから同じような光景がいつまでも続いて、ぐるぐると周回している気にさえなってきた。ドーナツ型の廊下を延々と歩かされているみたいだ。ザエルアポロの姿を求めて何度も開閉しているドアの数々も、歯車に組み込まれた扉のひとつで、同じ部屋を繰り返し改めているのではないかと疑うほどだ。

この宮に部屋はいくつあったっけ。

もう二十を超える扉を開け閉めした気がするのに、全てを網羅するには程遠い。


喉が猛烈に乾いていた。


灼熱の砂漠を何十日も旅してきた遭難者よろしく、唇も喉も干からびて大きな声を張り上げるのも叶わない。こういうときこそ霊圧を感知できれば便利だというのに、体の枯渇は六感の全てを欲求に塗り替える凄まじい威力があった。

喉に流れる水を、いやザエルアポロの血を想像してしまって上手く霊圧を感じられない。
蜃気楼でザエルアポロが見えたり、陽炎が幻影のザエルアポロを微笑ませたりする。

なのに、不思議と涙は流れていく。

つまり体には潤沢な水分が蓄えられている証拠だった。
では、私が欲しているのは何なのか。
その問いは不毛に過ぎて答えを出せずにいる。


「ザエルアポロ…ぉ…!」


人はどうしようもなくなると、その場に蹲ってしまいたくなるらしかった。
強靭な精神を持ち合わせているわけでもない私ももちろん例外ではなく、開けた部屋に誰もいないとわかると膝から崩れ落ちてしまった。
床に額を押し付けながら顔に爪を立て、頭皮をバリバリと掻き毟り、おんおんと唸る。

辛い。
きつい。
水が欲しい。
水。
水が。
とにかく、たくさんの水が。

蛇口を捻れば流れる水では癒やされないこの渇きを私に与えたのはザエルアポロ本人に他ならないのに、いま渇望しているのもザエルアポロなのだから現実とは残酷で皮肉なものである。


「ザエ…ア、ロ…! たすけ──!」


そのとき、ふわりと頭を撫でる掌があった。

はっとして顔を上げれば、そこには、ザエルアポロがいる。

本物か。偽物か。幻か。陽炎か。

縋り付くと、彼自身の体で受け止めてくれた。
この温かさ、清廉潔白なシャツと香りは本物のザエルアポロだ。
限界状態の私とは相反して、ザエルアポロは眉尻を少し下げて眼鏡の位置を整えている。憐れむような、同情するような、それでいて、実に満足そうな微笑だった。


「ザエルアポロ…! 喉が…!」
「大丈夫かい? 随分と探し回ってくれたんだね。ごめんよ。ウルキオラのところに行っていたんだ」


ああ、そうかウルキオラ様のお部屋か。
すっかり忘れてしまっていて、自分が冷静でないことを再度痛感する。
ザエルアポロは自分の胸に抱きつく私の頭を飽きもせず何度も撫でていてくれて、けれど私はそれだけでは少しも満足することは出来なかった。

抱き締めてくれながら、耳元でザエルアポロが囁いた。


「グリムジョー達は現世かい?」


うんうんと頷く。


「じゃあ、戻ってくる前に済ませちゃおうか。ね?」


うんうん。
それからは、どちらともなく抱き寄せてキスをした。
私といえばザエルアポロの胸倉をほとんど鷲掴みにしていた。
触れる瞬間から唇を噛み合って、どろりとした血液を互いに嚥下していく。
喉をすとんと落ちていく感触に、鳥肌が立つほど興奮した。
激しい興奮とは違う。空をふわふわと浮遊したり、花畑に寝転んだり、眠りに落ちる寸前の朦朧に近い幸福感だった。
喉が上下するたびに満たされていって、最後の一杯を飲み込むと、もう胸焼けがしそうなほどだ。
どれほどの量を飲んだだろう。
腹も胸も満杯になると、私は、もういいとザエルアポロの胸板を押して距離を取ろうとした。


「も、もういい…お腹いっぱい…」
「僕が足りない」

けれど、ザエルアポロは許してくれない。拒否を続ける。

「なら腕とか首にして…疲れた…」
「嫌だ。アラシの唇の感触が堪らないのだから、キスがいい」
「無理だよ…ほんとに、眠い…」


お腹が満足すれば眠くなってしまうのは当然で、半ば私は眠り始めていた。瞼は半分以上開けられないし、体に力も入らない。文字通り、ぐったりとしていた。
極限まで上り詰めた感覚は、今度はどん底まで沈黙の殻に閉じこもろうとする。恐ろしいくらいの反動は、回を重ねるごとに深くなっている自覚はあった。

どうしようも出来なかったけれど。


「ベッドに連れて行ってあげる。ゆっくり眠って。今度、発作を抑えるために僕の血液の成分に似せた薬を作ってあげるから」
「うん」
「辛そうな姿を見るのは、こんなに頻回じゃなくてもいいからね」


ということは、少しは辛そうな姿を見たいということか。
ひどい男だ、と思ったのが最後だった。
急速に夢の中へと沈んでいく。


「アラシ、頭を撫でてくれる?」


言いながら、彼は私の手を自分の頭へと持って行った。私は無意識に形のいいザエルアポロの頭に掌を滑らせる。
ザエルアポロの喘ぐような溜息が漏れ聞こえた。


「最後に、もう一度だけキスをしてもいいかい?」


返事はしなかった。
けれど、微かに自分で顎を引いたような感覚があって、次に唇に触れる柔らかな感触と、頬を撫でる桃色の髪と、鼻に当たる眼鏡の冷たさが肌を刺す。
口内に広がる甘い血の味。
ぐるんと睡魔のせいで回る眼球。
ほとんど見えない視界で見えたのは、不幸なほど美しい青だった。


「…何してる?」


声が聞こえた。
ああ、この声は誰だったっけ。
とても大切で大好きな声。


「…あれ、もう帰ってきたんだ」


ザエルアポロの声。
ぱたりと彼の頭から落ちる私の腕。けれど意識は既に半分以上は手放していて、自分のものじゃないような重さがあった。

誰?
誰と話をしているの?

胸がざわめくのに、睡魔に勝てない。


「今すぐここでぶっ殺してやる。俺の女から離れろ」
「人聞きの悪い言い方はよしてくれ」
「どうでもいい。とにかくアラシから離れろ。加減する気はねえんだ」
「待ってくれ。求めてきたのはアラシからだよ?」
「ふざけんな。アラシがそんなことするはずねえだろ。テメェが薬でも飲ませて無理やり襲った。違うか?」
「半分はご名答、でも半分は違う。正真正銘、僕を求めてるのは彼女だ。これまでも、ずっとそうだった」
「…これまでも…?」


ザエルアポロが鼻で笑う音が聞こえた。


「まさか、これが初めてだとでも思ってるのかい? 六番の称号を貰っておきながら、とんでもなく楽観的な男なんだな。呆れるよ。もうずっと前から僕達はこういう関係だ」
「嘘ついてんじゃねえぞクズか」
「嘘じゃないさ。証拠を見せてあげる」


ふわりと体が浮いた気がした。
ザエルアポロに抱き寄せられているのだった。顎を摘まれ、瞳を覗き込まれるけれど焦点が合わない。


「アラシ。アラシ。よく聞いて。もう一度だけ、もう一度だけキスしてもいい? どうしても足りないんだ」
「…むり…首…くびにして…」
「ごめんよ、アラシ。唇がいいんだよ。ね。お願い」

首を振る。

「今日はこれを最後にするから。そしたらもう眠っていいから」


眠りたい。眠い。

もう、何もかも、どうでもいい。





わかった
(その一言で、青空が背を向けて離れていくのが見えた気がしたの)
次話へ続く
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