死神 | ナノ


其れがたる所以  


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※関連小説「私の死を望む人」



 * * *



どうして織姫のところは嫌なんだろう。
負傷したウルキオラ様と出会って、グリムジョーと協力して現世に運ぼうとしたら「あの女だけは嫌だ、あの女だけは」とウルキオラ様がしきりに譫言のように呟くから、仕方なくザエルアポロの宮の手術室に連れてきた。
もちろん執刀はザエルアポロなのだけれど、ザエルアポロは助手を欲しがり、手の小さな私が選ばれた。
だから今はウルキオラ様の手術中。
切り開かれたウルキオラ様の体内は艶かしく、血の匂いが強い。


「もっと術野を広げてくれ」


と、ザエルアポロ。
つまり、もっとウルキオラ様のお腹を左右に開けというのだ。
私は名前もわからない鋏の形状をした器具を掴んで、精一杯、広げる。


「まだだ。もっと」
「え、もっと?」
「そう、もっと」


壊れてしまわないだろうか。
彼のこの薄い体をこんなにも広げてしまっても大丈夫なのだろうか。皮膚が裂けて、もっとたくさんの血が出てしまったりしないのだろうか。


「大丈夫。問題ないよ」


私の疑問をわかっていたのか、ザエルアポロは諭すように言ってくれた。
私はその言葉を信じて、全力で術野を確保する。


「血を吸引。その後、水で洗ってくれ」
「わかった」


指示通りに動いて、いざ傷口の修復に入る。
複数の臓器が損傷を受けているみたいで、ザエルアポロはじっくりと体内を観察している。優先順位を決めているのだろう。最適な方法はザエルアポロが見つけてくれる。
私はそれに従えばいい。

ウルキオラ様には本来、再生能力があった。
けれど今はその機能が弱まっているらしく、再生は期待出来ない。ザエルアポロ特有の滋強剤もあるのだけど、逆にそれはウルキオラ様の体には合わないみたいだった。

私はザエルアポロの指示に従えばいい。


「…手が震えてる」


ザエルアポロに言われて、初めて気が付いた。
器具を持つ私の手は小刻みに揺れていて、手術なんて緻密な作業をするには危険すぎた。
持っている器具がかたかたと音を立てている。


「ご、ごめん。や、やっぱりグリムジョーを呼んできたほうが…」
「駄目だ。グリムジョーはウルキオラを嫌ってる。十刃の会議では喧嘩ばかりしていた。気性の荒さも手術向きじゃない」
「じゃ、じゃあ、テスラ──」
「駄目だ。テスラもノイトラも見えるのは片目だけだ。遠近感が狂っている。戦闘においてはそのセンスで完璧に補っているけれど、こんな米粒に針を通すような細かい作業は任せられない」


そう、私しかいない。
なのに一体何を怖がっているというのか。
一体、何を?

急にマユリの顔がちらついた。

私は以前、マユリに誘拐されて研究という名の手術を受けた。そのときのマユリの顔が忘れられない。
この手術室みたいに無影灯があって、燦々と注ぐ光に照らされて、器具がたくさんあって、ひどく静かで、にやにやとマユリが笑っている。辞めてくれと頼んでも辞めてくれない。


「君がやるしかないんだ、アラシ。出来るかい?」


そう、私しかいない。
私しか──。

そのとき、ザエルアポロが手を握ってくれた。
腰を屈めて目を覗き込んで、静かに言ってくれる。


「大丈夫。いざとなれば、すぐに現世の女のところに行けるようにグリムジョー達が待機してる。アラシだけに背負わせるつもりなんてない」


そうか。
私の後ろにはいつも皆がいる。
私だけじゃない。

そこかしこで自由に歩き回っていた記憶の中のマユリが霧のように消え去って、ザエルアポロの桃色の瞳が見えた。


「出来るね?」


そう優しく訊ねられて、私は大きく息を吸って頷いた。
私はひとりじゃない。


「大丈夫、出来るよ」


ザエルアポロの首肯がいつもより優しかった。

それからしばらくして、ようやく縫合になった。
時間の感覚などなかったけれど、壁掛け時計を見て七時間も経っていることに気が付いて驚いた。
ザエルアポロが手早く閉腹すると、私もほっと息をつく。これから痛み止めと栄養が点滴されるらしいから、私はウルキオラ様が見えるところにいればいいか。何かあればザエルアポロを呼べばいい。

そう考えながら、持ったままだった器具を置こうとした。


けど、急に手を掴まれた。

見れば、麻酔で眠っているはずのウルキオラ様が目覚めて、私の手首を握っている。


「う、ウルキオラ様、目が──」


次の瞬間、目の前にあったのはメスの鋭い切っ先だった。
眼球すれすれまで迫った刃に、無意識に息を止めていた。刃がするすると離れていったのを認めて、ようやく呼吸を再開する。

誰が刃を向けたのか、見えなかった。

それはザエルアポロの大きな手が私の目の前にあったからで、つまり、メスはザエルアポロの手の甲を貫いていて、ザエルアポロはそうまでして私を守ってくれたことになる。


「やれやれ。さすが4番。速いね。でもここは僕の宮だ。研究したことのある対象なら、どんなスピードにも対応出来る」


ザエルアポロが私とウルキオラ様の間にぐっと体を入れて、私を背に回してくれる。ザエルアポロの背と左腕に隠されながら、私は緊張で冷たい汗を掻いていた。

やっぱりウルキオラ様は私を殺したがっている。


「どうしてアラシを傷付けようとする。彼女は君を助けたんだぞ」


ザエルアポロの背に護られているおかげでウルキオラ様の顔は見えない。
けれど、荒い息遣いは聞こえた。


「助けた…? あの出来損ないは汚点でしかない。重荷だ。消したほうが破面のためになる。そんな奴に助けられるはずが──待て、ここはどこだ…? 俺はどうして…藍染様は…」


ザエルアポロが鼻で笑った。


「記憶が混乱しているみたいだ。まあ、無理もない。戦いが終わってから半年以上も経っている。どうやって塵からそこまで肉体が回復したのかはわからないが、再生に力を注いだせいで記憶が曖昧になっているのだろう。部屋を移す。それまで寝ていたまえ」


そして、ザエルアポロが何かを注射する気配があってウルキオラ様の声は聞こえなくなった。
間髪入れずに手を引かれて手術室を出て、ウルキオラ様の血で汚れた手術着と手袋を捨てて、手を洗う。
排水口に血が流れてきて、ザエルアポロも手を怪我したことを思い出した。


「ザエルアポロ、手の傷、大丈夫? ごめん、私、スピードに付いていけなかった」
「いいんだ。ウルキオラは4番だ。ノイトラとグリムジョーでも敵わない。僕も彼のデータがなければ、そしてここが僕の宮でなければ間に合わなかった」
「傷、どうすればいい? 滋強剤があるんだっけ。取ってくるよ」
「いや、大丈夫」
「でも血が止まってないし、放置はしないほうが」
「うん。そうだね」


と、言いつつもザエルアポロは手を洗い続けていて、真っ赤な血が私のほうへ流れている。

ザエルアポロが手を拭き始めると得意気に言った。


「僕のことをひとつ、教えてあげる」
「うん?」


穴の空いた自分の手を見つめながら、目を細めている。


「僕は傷付いたとき、以前は従属官を食らうことで回復が出来ていた。そういう体にしていたんだ、研究でね」
「うん。けど、もう従属官はひとりも…」
「そう、いない。だから新しく僕の力になってくれる人のデータを取り入れておいた」


そしてザエルアポロはゆっくりと近付いてきて、顔を私に寄せてきた。
かと思うと、私の頬を唇から目元へと舐め上げる。
びっくりしていると、今度は反対の頬にも舌が這う。ずるりと長い舌がザエルアポロの口の中に収まって、ごくん、と喉が上下した。


「これで十分だ」


不敵に笑ったザエルアポロの手は、確かに、もう傷痕ひとつ残らず回復していた。

私は舐められた頬を手で押さえ、驚きの声を上げた。


「え、私?」
「そう。僕が傷付かないことを願ったほうがいい。食べてしまうよ」


そう言って、ザエルアポロはまた私の手を引いた。





君の涙で事足りる
(自分が泣いていること、気付いていなかったようだから)
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