言葉を言葉とも聞き取れない時間の歪みに、長い間、身を置いていた。
全てが間抜けに延びた物音で、全てが静止している。どこかに変化もあったのかもしれないけれど、まるで気付かないくらいには遅すぎる変化速度だった。
喉はからからに渇いて、空腹で、瞬きをするのにも何百日も掛かった。
助けて。
その一言を発するのに何十年も掛かった。
僕はひとりぼっちだった。
何もかもが止まったままの世界に、意識だけが鮮烈に残る動けない玩具として投げ入れられて何百万年も過ごした。
代わり映えのない景色にはとうの昔に見飽きて、出来るなら殺して欲しいと願った。
温かな感触があったのはいつからだっただろう。
風を感じるのも、風が吹き終わってから何十年と経ってからだったのに、その温度だけは妙に早く感じた。
お湯だ。
体にお湯が掛けられている。
いいぞ。と思った。
僕の体が心臓を貫かれたくらいで死なないのは不幸にもわかっていた。あとは超人薬をどうにかすればいい。お湯で体温が上昇すれば代謝が上がる。どんどん薬を排出出来るぞ。
だが、あの場所にお湯なんてあっただろうか。
もしかして、このお湯は僕の見ている幻覚か?
僕はまだあそこに立っているのではないか?
「ご機嫌よう」
あの独特な濁りのある声が聞こえた。
僕は発狂して、起き上がった。
喉が渇いていた。
喉の粘膜が渇ききって、張り付いて、叫べば叫んだぶんだけ喉が引き裂かれそうだった。音を立てながら筋が入って、ぶつぶつと穴が開いていきそうだった。
叫び声は止まらなかった。
目をかっと見開いて、体を起こしても、まだ僕は叫んでいた。
「ザエルアポロ!?」
隣の部屋からアラシとグリムジョーがやってきた。
僕が眠っていたベッドの上にアラシが飛び乗って来て、手を握ったり、頭を撫でたり、頬を包んでくれたりする。
温かい。
ああ、温かい。
「歌って、歌ってくれ、早く、早く歌ってくれ」
「わかった、大丈夫。大丈夫だからね」
アラシが鼻歌を唄う。
それは孤独の世界に射した光だった。
僕の体から超人薬が薄まるたびに体感時間が早まる。すると言葉も聞き取れなかった中に、声が流れてきた。
ただの声が旋律に乗った音楽だとわかった頃には、その歌が希望に変わっていた。
戻ってきた。
僕の時間が戻ってきた。
歌を歌だとわかるだけで生きる気力が湧いた。
その歌こそ、アラシが傍で奏でていた鼻歌だった。
鼓膜を揺らすアラシの歌声に、叫びが止まる。
そう、この声だ。
ようやく、さっきのは悪夢だったのだと安心する。
「もう大丈夫。超人薬は切れてるよ。ほら」
アラシが僕の手を握る。
小さい、でもしっかりとした力だった。
「触ったのわかった? 時間差なんてないでしょ? ほら」
今度は頬に触れた。また「ほら」と言いながら僕とアラシの掌を合わせた。
「止まってないでしょ?」
涙が溢れた。
あの恐怖と絶望が終わらない、果てしない無限の地獄。
そして途方もない時が流れてから射した希望。
僕は戻ってきた。
あの世界から、戻ってきた。
アラシは、そう実感させてくれる唯一の人だった。
アラシの肩に額を押し当てて、口を手で覆って嗚咽を飲み込む。
怖くて堪らない。
どうしようもなく、ひたすら怖い。
「どこにも、行かないで」
気が狂いそうだと告げれば、アラシは僕の背中に手を回して頷いた。
しばらくすると、また歌声が聞こえ始めた。
呼吸が楽になった気がした。
新たなライバル出現
(これを人は依存という)
(2/2)
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