[ 1 / 1 ] 「え、なんで…?」 それはサンジの独り言のようにも聞こえたし、私に訊ねているようにも聞こえた。 サンジは私のすぐ傍に立っているのだろうと思う。 けど私には見えない。 神経毒にやられて、視力がゼロになってしまったのだ。 視界はどこもかしこも真っ暗闇で、奥行きも高さも幅も何もかもがわからない。墨汁の海に溺れていて、もがいても、もがいてもまだ濃淡の変化さえない同じ色の黒がずっと目の前にある。そんな感じ。 これは一時的なもので、時間が経てば治るらしい。 だから私は島について、護衛役をかって出てくれたゾロと船で留守番をしていた一方で、他の皆は食糧調達や、私のための薬草探しに行ってくれた。 私とゾロは巨大な虫に襲撃されながらも何とか逃げたのだけれど、そのあとで複数の猛獣に同時に襲われてしまった。 ゾロが応戦してくれたのだけど、何せ私という足手まといがいるので簡単にはいかず、ゾロもろとも大きな一撃を食らった訳だ。 運悪く、背負われていた私の背後から。 とどのつまり私の方が深手を負ってしまって、虫の息。 「ゾロが連れてきたんだ!」 チョッパーの声。 そう。どうやら負傷した私をゾロはそのまま背負ってチョッパーのもとへ連れて行ってくれたらしかった。自分だって怪我をしているくせに無理をするのだから本当に気を揉む性格である。 そしてチョッパーがその場で応急措置だけして、サニー号に戻ってきて、今に至る。 俯せに寝かされて、服を切られて、背中にあるらしい傷口に何かをされているけれどわからない。 感じるのは寒さと、指先が凍ったように冷たいことだ。寒い。 「助かる…?」 「助ける!」 そんな会話がなされている。 「痛い…?」 サンジの声。 これは問い掛けだろうか。 私は「大丈夫」とか「平気」とか「強いていえば寒いから、サンジの温かいご飯が食べたい」だとか、飄々といつもの調子で言ったつもりだったのに、苦労して持ち上げた唇の隙間から漏れたのは、か細い吐息だけだった。 それでもサンジには伝わったみたいだった。 「寒いんだね」 言って、私の左手に熱い感触があった。 握ってくれているのだ。 背中がいそいそと処置をされている中で、サンジの手はのんびりと私に温もりを与えた。 「ずっとここにいるよ」 見えない。 私は握り返せているのだろうか。 そういえばゾロは? ゾロの傷は? 「心配しないで。あいつなら、さっきから馬鹿みたいにずっとトレーニングしてる。多分、そうしてないと罪悪感で発狂しそうになるんだと思う」 サンジは何だかんだでゾロの心情をわかっているくせに、どうして仲悪く振る舞うのだろう。 喧嘩してたって窮地に立てば協力し合うし、緊急事態になれば互いを案ずるくせにそれを見せないのは二人の意地のようなものなのだろうか。 ゾロに伝えて欲しい。 ゾロがいなければ確実に死んでいたのに、ゾロがいてくれたからこうして息をしているのだから責任など感じないで欲しいと。 そんなことを考えていると、うとうととしてきた。 瞼が重い。 「眠らないで。あと少しだから、もうちょっと待って。ね?」 サンジの慌てた声に意識が引き戻される。 ぱっと目を開いて、けどまた瞼がずり落ちてきて、頬を軽く叩かれた。 「お願い、眠らないで。俺の声、聞いてて」 「どんどん話掛けてくれ! まだ意識を失われると危ない!」 「聞こえた? 眠っちゃ駄目だってチョッパーが言ってるよ。聞こえてる?」 聞こえてるよ。 でも、眠いんだよ。 「だめ、だめだめ、だめだよ。目を開けて」 体を小さく揺さぶられた。 開けても暗いのに。 世界が暗すぎるのに。何も見えないのに。 眠たい。 すごく眠たい。 「いやだ、お願いだから目を開けてて。お願い」 頬を撫でられ、頭を撫でられ、額に何かが触れた。 あたたかくて、柔らかいもの。煙草の香りがした。 「お願いだから、俺を見てて」 見えないんだよ。 何度も頭を撫でられて、今度は先よりも固い何かが額に触れた。 熱くて、固い。 髪の毛? 頬や睫毛に触れてくすぐったい。 すぐ近くでサンジの鼻を啜る音がした。サンジの吐息が唇を掠めていく。 「お願い」 その声は苦痛の中から絞り出したみたいに震えていて、か弱い声だった。 泣いてるの? 泣かないでよ。 涙を拭おうと腕をあげたのに動いたのは指だけで、それだけでひどく疲れてしまった。 深く息を吐くと、吐いたぶんだけ深く体が沈み込んだ気がした。 とうとう目を開けていられなくて、抗うことを諦めて私は目を閉じた。 「アラシちゃん、アラシちゃんアラシちゃん。ねえ起きて、寝ないで」 お願い、逝かないで。 サンジの声は弱すぎて聞こえなかった。 目を閉じても、やっぱりずっと暗いままだった。 血の味 (君が目覚めるまで生きた心地がしなかったよ) list haco top |