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あー。ほら、何ていうかさ。
わざとじゃないと思うんだ、多分。

私、遭難しております。
海にぷかぷかと浮きながら漂流しております。

全て、この大雨のせいですよ。
風がないから波もそこまで荒れていないけれど、顔に当たる雨足は重いし冷たいし大粒。飲み水としては貴重なのだろうけど、同時に体温を奪っていく厄介者でもある。

この雨のせいでサニー号の地下にあるチャンネルドッグが壊れたらしくて、フランキーの指示のもと、ウソップと一緒に三人で修理に当たっていた。
とりあえずドッグ内に保管してあるものを移動させて、内壁を直そうと私が降り立った瞬間、ウソップが間違えて船外排出のボタンを押しちゃってねえ。

海に放り出された訳ですよ。そして今に至る、と。
皆も探してくれてるのだろうけど、いかんせん視界がめちゃくちゃ悪いせいで一人になってしまった。

あー、まずい。
どうしよう。照明弾とか持ってなかったかな。服をまさぐってみるけれど、都合よく持っているはずもなく、またぷかぷかと浮く。そもそも船の修理のために特技である拳銃の類は保管庫に収めてきたのだ。

朝であるはずなのに空が暗い。雨粒が痛くて顔をしかめた。

と、波の方向が変わった。

風向きは変わっていないのに?

そんなはずはない。
肌に当たる波の変化に集中すると、わかった。
波の向きが変わったんじゃない。
何かが浮き上がってくるんだ。


「マジかーい」


鯨?
鮫?
海王類?
あー、もっとやばいのだったらどうしよう。泳いで逃げるか、じっとして無視してくれるのを祈るか。迷っていると浮上してきた何かに、ぐいっと体を持ち上げられた。

思いの外に硬い感触に驚いて首だけを巡らせると、それは潜水艦の鼻先だった。
ちょうど船首に引っ掛かるようにして引き揚げられる。落ちそうになるのを船体に貼り付いて何とか耐えた。
甲板から手柵の隙間をざあざあと海水が流れ落ちていき、落ち着いたかと思うとハッチが開いて男の人がおもむろに出て来た。
控えめに言っても相当に悪い目付きで私を睨む。帽子を被った背の高い人だ。

弁解しとくか、とりあえず。


「あ、えっと、怪しい者じゃなくてですね。たまたま漂流してたら、あなた様の潜水艦に引っ掛かっただけでしてね。妙な縁ではあるんですけど、あわよくば温かい飲み物と照明弾を頂ければ…」
「お前のために浮上してきたんだ。遭難してどのくらいだ」
「んー、二時間くらいですかね? わからんけど」
「低体温症になる。俺は医者だ。付いて来い」
「あ、はい。あの、引っ張って貰えると嬉しい…なんて」
「平熱は?」
「35度ちょい。あの、そろそろ限界で…」
「平熱からして低いな。温生食の点滴してやってもいいが、ひとまず湯を沸かしてやるから浸かっておけ」
「へるぷ!」
「診てはやるが助けてはやらねえ。早く上がって来い」
「くそ、善人だか悪人だかわかんない人だな」


よっこいせ、と。柵を掴もうとして掴み損ねなた。雨と海水で掌も柵も濡れていたのと、体力が思った以上に失われていたせいだろう。


「うぎゃっ!」


つるつる滑る船体に堪える場所なんぞなくて、滑り台のごとく、ずり落ちていく。
と、柵から身を乗り出した先の男の人が手首をがっしりと掴んでくれた。


「ありがとうございま――」
「離すまであと3秒。3、2、1」
「わたたたたたっ! のぼった! のぼりましたぁっ!」



 * * *



お風呂に浸かって10分程すると、シャワーカーテンが無遠慮に引き開けられた。
さっきの人だ。私の顔を見て、小さく頷く。


「顔色は良くなった。点滴は要らねえな」
「むしろ暑い。もう出てもいいですかね?」
「ああ」


ざぱっと湯船から立ち上がると軽い目眩がした。
投げ渡されたタオルでがしがし体を拭いて、用意してもらった服を着る。男物のシャツとデニムだ。デニムなんぞ手で支えていないと簡単に落ちるくらいに大きい。汚れていた服を洗ってもらったうえに乾かしてさえくれているので文句は言えないけど、ベルトが欲しいとは思う。
デニムを支えながら、冷たい床をぺちぺちと歩く。

水を渡された。
一気に飲み干すと、さらに注いでくれた。また飲み干す。
丸椅子に座るよう促され、従った。男の人は向かいにあるデスクチェアに座る。診察室なのか?
チョッパーの医務室に似ているけれど、それよりももっと広い。

男の人はリンパの腫れを触診し始めている。耳の下、顎の関節の下あたりをぐりぐりやられる。


「売られたのか?」
「え?」
「首。両手。両足」


指摘されて、ああ、と合点が言った。
いま言われた部位はぐるりと囲むように紐状の傷がある。拘束痕だ。人身売買ではよくある特徴的な痕跡で有名で、私にもくっきりと残っている。


「昔ですけどね。助けられたんで未遂で終わりましたけど」
「見せろ」


返事をする前に、顎をつまみ上げられる。首にある痕をじっと見つめた。
この人は多分、人見知りの部類に入ると思う。人と距離を置く、懐に人を入り込ませない一定の線を引いている。
けれど診察となると違うのか、思いのほか顔が近い。小さな瞳で私の首をゆっくりと辿る。指の腹で痕に触れさえもした。
一通り見終わると次に手首。そして最後に足。


「足が酷いな。ワイヤーか?」
「針金みたいなのでしたかねー。よくわかりません」
「痛んだだろうな」


男の人は、私の右足首の傷痕に視線を落としながら、痕をなぞった。
その瞳と声音が、先とは打って変わって気落ちしているように見えて、私が戸惑ってしまう。
まるで自分にも痛みがあるかのような、過去の経験を、私を通して思い返しているようなそんな声と顔だ。


「先生も、どこか痛いんですか?」
「…いや、痛みはない」


随分と長いこと傷痕を撫でられていて、引き際に迷う。

男の人の膝に足を乗せているのも慣れないし、やけに丁寧に左手をふくらはぎに添えられて、右手の親指で優しく撫でられると正直なところ反応に困る。
くすぐったいとも、放してくれとも言いづらい。

けど男の人が先に口を開いて沈黙を破ってくれた。


「消してやろうか」
「この傷痕を? いや、別にいいです。そこまで気にしてない」
「無頓着な奴だな」
「先生もね。目のクマ。眠れてなさそう」
「お前にもあるだろう」
「あー、眠り浅いんですよねー。潜水艦はいいですね。よく眠れそう」
「なぜ」
「敵から見つかりにくいから。気、あまり張らなくていいでしょ」


会話をしながらも白目の色を見られたり、指先、足先の動き、爪の色まで確認してくれている。
強面で愛想はないけれど仕事には責任を持っているようだった。


「それにしても本当に近くに仲間がいるのか? 照明弾を撃っても、一隻も反応しないが」
「遠くには行かないと思うんですけどね」
「人助けは趣味じゃない。1日待っても仲間が来なかったら最寄りの島で降ろす。あとは自分でどうにかしろ」
「おっけーい」


答えると、男の人は少し不思議そうに眉をひそめた。


「媚びないのか」
「助けてください、降ろさないでください! って? しないですよ。来ますから、仲間」


この信頼をどう受け取ったのか、男の人は口許を歪めて不遜な笑顔を浮かべた。
私の背後を顎で指す。


「後ろにあるベッドなら使ってもいい」
「これ手術台じゃね?」
「文句あるのか?」
「ないでーす」


立ち上がってベッドに向かおうとすると、つい支えるのを忘れてデニムが足元に落ちた。


「あ」


やばい、やばいと呟きつつ、まあシャツが大きすぎて見えてはいないだろうと踏みつつ、履き直して、今度こそ手術台にダイブした。

俯せになると、途端に瞼が重くなる。
潜水艦、マジでいい。深く潜れば水圧で砲弾とか届かないらしいしマジで羨ましい。
そう考えると、安心してしまって余計に眠気に拍車が掛かった。


「さっきから言おうと思ってたんだが、仮にも知らない男だらけの船で、知らない男がいる前で、むやみやたらに裸を晒すな。男兄弟の中で育ったのか」
「さーせん」
「髪を乾かせ。容態が悪化する」
「めんどい」
「毛布を掛けろ」
「めんどい」


舌打ちをしつつも、医者の良心が放っておくことを拒否したのか毛布を掛けてくれ、ドライヤーを持ってきて髪を乾かし始めた。
代わりに私は急速に眠りに落ちていく。
温かい風と、遠慮の「え」の字もない強い指が心地よい。


「助かりましたわー。あのまま浮かんでたら死にかけてました」
「悪魔の実の能力者じゃなくて助かったな」
「確かに。落ちたのがルフィじゃなくて良かったー」
「…ルフィ? お前の仲間って、もしかして麦わら屋――」


そのとき、がくん、と大きく船体が揺れた。

はっと意識が冴えるのと、体が傾いて台から落ちるのはほぼ同時で、何かにしがみつこうと無意味に手を伸ばした。

でも落ちなかった。

私は男の人の服に掴まることが出来たし、男の人も咄嗟にドライヤーを投げ捨てて私の体を抱いてくれた。

おかげで、かろうじて台の上にいる。

ただ、俯せから仰向けになっていて、私が押し倒されているような状況になってしまったのは誤算だった。
さらには私も落ちないように必死こいて全力で掴んだ服を引き寄せてしまったものだから、男の人の体勢が崩れて顔がやたら近い。

しばらく互いに固まってしまった。

瞬きすら出来ないほど息を忘れて、互いの目を見つめ合う。
男の人の帽子が床に落ちた小さな音で我に返った。


「あー、ありがとうございます。どうも」
「あ、ああ」


気まずい。
離れたら離れたで静寂が非常に重くて、話題を見つけるのに苦労した。


「あー…寝不足同士、先生も寝ます?」
「寝ない」
「…んーと、帽子ない方がイケメンですね?」
「…うるせえ」
「…えーっと、身長、高いですね?」
「俺に構うな」


とか言いつつ、部屋を出て行こうとはせず、椅子に座って瞑目した。


「先生、ツンデレって言われません?」
「黙って寝ろ」





新しい昼寝仲間
(そういえば名前知らん)

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