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「まだ走るの?」
「誰のせいだと思ってんだ!」
「はいスイマセン」


ゾロに背負われ続けて早くも二時間が経とうとしている。
もちろん私は走れる。足や腕を怪我した訳じゃないのだ。存分に元気である。


「いま何時くらい?」
「知らねえよ!」
「お腹空いたわー激しく腹減ったわー」
「こ、の! テメエが目なんざ怪我しやがるから、こんなことになってんじゃねえか!」
「はいスイマセン」


その通り。
怪我したのは四肢ではなく、大切な両目だった。
拳銃使いの私が視力を奪われたのは相当に痛い。戦闘能力がゼロになったといっても過言ではない。しかし一生、見えないのかというと、そうではなくて一時的に神経毒にやられて見えなくなってしまった訳だ。
自分ではわからないけれど、目のまわりが赤く腫れて、ただれているらしい。だから治療のための薬草を求めてジャングルに入り、皆が散り散りになったのは随分と前だ。

護衛役のゾロと船で留守番をしていたのだけれど、何かに襲撃を受けたらしかった。
そしておんぶされて、逃げて、今に至る。


「ねー。何が追って来てるん?」
「見たこともねえ虫だ!」
「虫かー。どんな?」
「あ? 全身が赤黒くて長い手足が何本もついてて、粘っこい液体撒き散らしてて腹に大量に卵がくっついてて――」
「辞めて。マジ辞めて。聞いた私が馬鹿だった想像して吐きそう」
「しかも液体が酸みてえに物を溶かしちまう。刀じゃどうしようもねえ! くっそ、銃が一番いいのに何でよりによって!」
「スイマセン」
「やべえ、追い付かれる!」
「逃げて。マジ逃げて。虫とか卵とか勘弁してほしい。口に出すのもおぞましいわ」
「だから逃げてやってんだろうがぁっ!」


ゾロが一際、力強く踏み込んだかと思うと、ふわりと浮遊感があった。
目が見えなくて、視界が暗闇に染まっているけれど何とはなしにゾロの必死さは伝わってくる。

着地。
そしてまた走り出してくれる。


「虫が嫌いなものって何だ!」
「殺虫剤とか?」
「ねえよ!」
「あとはー…水じゃない? さすがに泳げないでしょ」


よし! と呟いたゾロが方向を変えた。遠心力が掛かって首が仰け反る。
意外にも今回に限って方向音痴は発揮されなかったらしい。
あるいは海を目指すなら島のどこへ向かって走っても構わないと考えたのかもしれない。島をぐるりと囲む海に足を向けたようだ。


「海に潜るからな!」
「おっけ」
「泳ぐから支えてやれねえ、絶対離れんなよ!」
「おっけ」


ゾロの首に回した手にぎゅっと力を込めた。


「あ、着水する寸前に教えてくれると息を止めやすいんだけど――」


どっぽーん。



 * * *



「ぜーはーぜーはーっ……!」
「大丈夫か?」
「せめて『行くぞ』くらいの掛け声プリーズ! もろに海水吸ったわ鼻で! うげっほ! げっほ、おえっ!」
「きったねえな、鼻水出てんぞ」


ゾロの泳ぎのおかげで私達は何とか虫から逃れて船の上に戻って来ていた。
女といえど、服をぐっしょり濡らした私は重くなっている筈なのに、毛頭も感じさせずに陸に上がってくるのだからゾロの筋力も本当に常人離れしておる。


「おら、拭いてやるから大人しくしろ」
「あい」


ごっしごし、顔を拭われる。布か何かで拭ってくれたのだろう。
しかし力が有り余っているのか、痛い。


「口の中がしょっぱい。水を、水をくれ」
「お前、覚えとけよ。明日になったら丸一日コキ使ってやるからな」
「鬼か、貴様。これは不可抗力だぞ」


言いながらも、何だかんだで水を取りに行ってくれたらしくゾロの気配が消える。
静寂。
先までの喧騒が嘘のように静まり返ってしまった。
甲板に座り込んでいる私は、床に手をついてそこが芝生の上であるとようやくわかる。それだけだ、わかるのは。

風に揺れる葉の音や、遠くで鳴く鳥の声。そのくらいしか情報が得られない。
自分の目の状態さえも。


「おーい、ゾロー?」


ゾロを探して宙に手をさ迷わせる。

盲目は怖い。

世界がどんな風になっているのか、まるでわからない。
体内時間も狂ってしまったのか、長い間ひとりになったような気がした。


「ゾロー。いないー? 戻って来てー」


這いつくばって歩き進める。
どっちが船首でどっちが食堂だ?
それさえも掴めず、とうとう歩くのを辞めた。
手を伸ばす。

不安になったのだ。

ひとりが怖い。初めての恐怖だった。


「ゾロー。もう水いいから戻って来てくれー」


静寂。
世界の中でひとりぼっちのような、静寂。
不安に掻き立てられて、立ち上がろうとした。


「ゾロー」
「何だよ、うるせえな」


悪態つきながらも、宙をさ迷っていた私の手を握ってくれたゾロは本当に天のじゃくだと思う。優しいくせに。
安心して、ほっと息をつくと、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。
優しいくせに。

コップを握らしてくれ、そのまま口元に運ぶ。
少しだけ傾けたつもりだったのに、勢いがつきすぎて溢した。濡れていた顔がさらに濡れる。


「テメエ……わざとやってんだろ」
「断じて違う。…難しいな」


再度挑戦しようと、おそるおそるコップを口に運ぶ。


「貸せ」


強引にコップを引ったくられたかと思うと、次の瞬間、柔らかな感触が唇に当たった。
少し温くなった水が流れ込んでくる。
ごくん、と喉をならして飲み込んだ。


「ありがとう」
「まだ飲むか?」
「助かります」


再び当たる柔らかな何か。
それが何なのかは、わからなかった。


「あざす。助かりました」
「もう一杯くらい飲んどけよ」
「えー」


そしてまた柔らかな何かに触れて、飲まされる。ごくごく。


「も、もういい。お腹いっぱい」
「足らねえだろ」
「足りた。超足りた」
「文句言うな」


また塞がれた唇。
今度は水は入ってこなくて、しばらくそのまま触れ合っていたかと思うと、ゆっくりと離れていった。
ゆっくり、本当にゆっくり。


何でだろう。

いつまでもゾロの気配がすぐ近くにある。





出来れば、もう一度
(次はもっと深く求めたい)

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