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よく晴れた夜。

海の上での夜はいい。
街とは違って明かりが一切ないから、純粋に星と月だけを眺めていられる。意外にもそれらの輝きは夜闇に目立つのだから不思議だ。甲板に寝転がりながら夜風に当たっていると、眠れずに起きてきたというのに別にこのまま起きていてもいいかとさえ思えてくる。

皆の寝静まった船は心地が良い。

静寂の中で目を閉じて波の音に耳を澄ませると、ひとつ、違う波の動きがあった。

「ん?」

気になって立ち上がり、音のする方へ歩み寄る。漆黒の水面がずっと広がっているように見えるけれど、やっぱり何かがそこにある。

私は背中にあるライフルを構えてスコープを覗いた。

と、拍子抜けした。
どうして私がスコープで覗くとわかったのか、音の根源は脱いだシルクハットをぶんぶんと振って合図をしている。

撃つのを辞めて、彼が近付いてくるのを待つ。
しばらくして彼は身のこなし軽やかに甲板に降り立った。

サボだ。

小型の手漕ぎボートに乗ってやって来た彼はシルクハットを被り直して私に向き直った。母船は見当たらないし、相当な距離を漕いできた筈なのに彼は息ひとつ切らしていない。


「撃たれなくて良かった」
「せめて火でも焚いてくれていればもっと安全でしたよ。火ならいくらでも出せるでしょうに」
「そんなことをしたら見張りにバレるだろ」


今の見張りはウソップだ。
展望室を見上げるけれど気が付いていないらしい。
サボに向き直る。


「ルフィ呼びます?」
「いや、アラシに会いに来たんだ」
「え、何で?」
「何となく」
「はあ。まあ座って下さいよ」


促すとサボは手摺を背にして座り込んだ。いなや、懐から酒瓶2本を取り出して、とん、と床に置く。
ラベルを私に自慢するように見せて来た。


「この前のお礼がまだだっただろ」
「ああ」


思い出した。
以前、サボと会ったときに海軍と対戦している彼を手助けしたのだった。


「ということで、乾杯」


受け取らない理由もないので、栓の開けられた瓶をカチンと鳴らして喉に流し込む。
甘いお酒だ。


「私が寝てたらどうしてたんですか」
「アラシなら起きてると思ったんだ。君は遠距離型狙撃手だ。遠くの敵を狙うのは並大抵の集中力じゃ出来ない。そんな君なら神経が過敏になっていて熟睡なんて滅多に出来ず、普段から夜更かししてるだろうと踏んだ」
「さすが参謀ですね、頭が回る」
「だろ」


また酒を煽る。


「ルフィは元気ですよ。相変わらず、あんな感じです」
「あんな感じか」
「はい」
「アラシは?」
「はい?」
「アラシは眠れなくて平気なのか?」


もっと眠りたいとは思う。
寝ていても遠くで足音が聞こえたり誰と誰が話しているかがわかったり、内容も把握していたりと完全には意識が手放せないのがもどかしい。
けれどそれは今に始まったことではないし、以前よりかはだいぶ深く長く寝ていられるようになった。

考えているとサボがしたり顔で呟いた。


「眠れる方法、教えようか」
「言うても酒もホットミルクもストレッチも試してみましたよ」
「もうひとつある」


言うと、サボはいっきに酒瓶を空にして、かと思うと私をいきなり抱き寄せた。
あまりにも唐突で、あまりにも予想外の行動に咄嗟に反応が出来なくて、気が付いたときにはサボの体にすっぽり包まれていた。

ぽすりとシルクハットが床に転がっていく。

夜風に少し癖のある金髪が揺れて、くすぐったい。


「人肌。人の温度は落ち着くらしい」


サボの少し低くなった声。
酒が彼を大胆にしたのだろうか。私は彼の行動を咎める気にはなれず、そのまま受け入れた。

彼の背中に腕を回せば、そこまでは彼も予想していなかったのかぴくりと体が反応した。


「君の素性を調べた」
「…そうですか」
「皆には言ったのか? 何故、君には賞金が掛からないのか」
「まだです」
「早く打ち明けた方がいい」
「…ですね」


さすがに参謀ともなると情報網が違う。
私は瞑目して、サボの体に自分の体を預けた。今は粗雑なことを考える気にはなれない。

男の人の体に凭れるのは実に久しぶりだった。男性らしい固い胸板が落ち着く。サボはそんな私をしっかりと抱きすくめてくれていて、確かに深い睡魔が湧き上がってくるようだった。

とくん、とくん。サボの鼓動が伝わる。


「でも俺はアラシが優しいことを知っている。俺の左目を見て大抵の人間は『どうして傷付いたのだろう』と考えるものだが、アラシは『痛そうだ』と思っただけだった。過去を詮索しないのは冷たいようで優しい。そんな君なら、全てを打ち明けても皆に拒絶なんてされはしないさ」
「買いかぶりすぎですよ」
「そんなことない。眠れそうかな?」
「多分」
「眠ってくれ」


でなきゃ、帰りたくなくなる。とサボは続けた。

私は意識が遠退くのを感じながらも、しばらくしてサボが私をそっと床に寝かせて上着を掛けていってくれたことを知っていた。

大海原には不釣り合いな、波を掻き分けるオールの音が離れていくのを聞きながら眠りにつく。

翌朝に目が覚めたときには、やっぱりサボはもういなかった。
空瓶が2本転がっているのと上着が残っているだけだ。


「誰と飲んだんだ?」


私を見付けたルフィが大欠伸をしながら訊ねて来た。
答えず、水平線を見詰めた。


「兄弟っていいね」
「んー?」


私の呟きにルフィは首を傾げただけだった。





おにいちゃん
(私にもいつか出来るだろうか。そんな、存在が)

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