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一歩、後ずさる。

一階下の甲板ではルフィとチョッパーとウソップが駆け回って笑い、ゾロはトレーニングで汗を掻き、サンジはナミとロビンに午後のお茶を出し、ブルックは陽気に音楽を奏で、フランキーは物作りをする。
彼らは心から充実している表情で、はつらつと生きていた。
私はそんな皆を二階の手摺に手をついて眺めている。

怖じ気付いた。
戦慄した。
臆した。

私は彼らのように喜びながら日々を過ごせない。何をしていいのかもわからず、ただ時間が過ぎ行くのを待つ。肉を魚を草を食らい、消化するまでじっとする。そしてまた空腹になって、命を食らう。

私には彼らのように何かを生み出す力がない。
奪うだけだ。
一方的に奪って、生きながらえてはまた奪う。何も与えられはしない。
こんな私は果たして、生きている意味があるのだろうか。

眩しい仲間達の命を見せ付けられて、よろめきながら後退する。

何かしないと。
生きている実感の得られる何かを。何か。何か。

一歩、また一歩と下がると、背中に何かがあった。壁よりは柔らかいそれに驚いて振り返ると、ロー先生がいた。

そうだ今朝からハートの海賊団と行動を共にしているのだった。忘れていた。

先生は冷ややかな目で私を見下ろしている。
目が泳いだのは私だった。まともに先生を見ていられず、胸元へと視線を落とす。


「どうした」


叱責とは違う鋭い声だった。


「い、いえ…ちょっと気分が悪くて寝ようかと。いや、本でも読もうかな。部屋の掃除とか、生け簀の魚に餌をあげるとか…そういえば最近、体が鈍ってきたからトレーニングとか」


自分に出来る範囲の考えうる選択肢を列挙していくと、余計に自分という存在に疑問が湧いた。私にはこれしか行動を起こせない。

いなくてもいいんじゃないか?

私がいなくても、麦藁もハートの海賊団も世界も、何の滞りもなく回っていくのじゃないだろうか。

恐ろしくなって、またぐるぐると考えた。

何か、ないだろうか。
皆の役に立てること。私がいなくなると惜しいと思ってくれそうなこと。悲しんでくれる特別な力みたいなもの。
ナミみたいな航海術とか、ロビンみたいな博識さ、チョッパーみたいな医術、ブルックみたいな心に響く演奏、フランキーみたいな修理する技量、サンジみたいな料理、ルフィみたいなリーダーシップ、ゾロみたいな強さと冷静さ。
私にも何か。何か。

無意識に腰のホルスターにあるハンドガンを握っていたらしかった。私には、これしかないのだと知っているからだ。

先生は眉ひとつ動かさず、私のその手に手を重ねて銃把から外した。


「俺の部屋、行かねえか」


脈絡もなく言われ、振り仰ぐと相変わらず先生の無表情がそこにあった。


「溜まってんだ。一時間、いや二時間。…やっぱり夕飯まで。俺に付き合え」
「あ、で、でも」


何かをしないと。何か。何か。
そう考えていると先生の指が私の顎を摘まんだ。
そして間髪入れずに触れるだけのキスをされる。


「うるせえ。来い」


断れるはずがなかった。



 * * *



私と先生はいつもキスをする。
抱き締め合って、唇が腫れて、時には血が滲むほど激しくキスをする。それ以上はしない。
先生は決して私の体の中心を求めなかった。
私には、それがいつも疑問だった。

ごろごろとベッドの上で入れ換わりながらキスをして、どれほどか経った。
今は私が下で、先生が覆い被さっている。汗の滲む先生の頬に触れるとキスの雨が止んで、見つめ合った。
互いの荒い吐息が混ざる。

先生が「何だ」とでも言いたげに眉をひそめた。


「セックス、しなくていいんですか」
「またその話かよ。しなくていいって前に言っただろ」
「何でですか? よく、わからないんですけど」
「わからなくていい」
「この関係、意味あります?」
「ある」


そうしてまたキスをして来ようとする先生に抵抗をしてみせた。先生の厚い胸板を押し返せば、また眉間に深い皺が刻まれる。


「何だよ」
「どうしてですか? この関係、先生に何の利益もないのにどうして続けるんですか? ただキスして、さよなら。それだけですよ?」


先生は興が削がれたのか、はあ、と息を吐いて私の横に寝そべった。かと思うと私を抱いて、首に柔らかくキスをする。
少し沈黙が続いた。

だから先生の呟きを聞き取れなかった。


「お前が欲しい」


瞬きをして、聞き返す。
「え?」
そしたら先生はもう一度、言ってくれた。


「お前が欲しくて堪らない」


どくん、と心臓が跳ねた。
何を言い出すのだろうか、この人は。
いつだって私の女の部分を手に入れられる状況で、むしろ手中に納めることを拒んできたのは彼本人であるのに、一体、何を言い出すのだろう。


「傍にいて欲しい。呼んだら振り返って欲しいし、返事をして欲しい。手を伸ばしたら触れる距離にいて欲しいし、それ以上、遠くに行って欲しくねえ。つまり、いつでも手の届く範囲にいて欲しい」
「…先生?」
「俺は『欲しい』ばかりだ。お前に対して、何も与えてやれねえ」
「そんなこと――」


先まで私が考えていたことと同じ言葉だった。何も与えられない、搾取するだけの一方的な存在。


「愛してる」


かっと体が熱くなった。
驚いて先生を見ようとすると顎を鷲掴みにされて、ぐいっとそっぽを向かされてしまう。壁に嵌まった出入口の扉だけが見えて、でも視界が滲み始めていた。


「愛してる。そう言ったら、信じてくれるのか? 俺が体を求めても、お前は俺の心を信じられるか?」


無理だ。
所詮、体が目当てなのだろうと。男にはない、もうひとつの穴が目的なのだろうと。あるいは膨らんだ二つの胸、あるいは支配欲。それらを満たして飽きれば、他に行ってしまうのだろうと、確信している。

私は先生が何を言わんとしているのかがわかって、涙が溢れた。


「信じられないだろ」


こくり。
頷くと、先生が苦笑した気配があった。


「だから俺は、お前の体だけは『欲しがらない』。俺がお前に何も与えられないなら、せめて最後のひとつだけは残しておく」
「先生、それは――」


私が必要ということですか。
何の技術もない私だけれど、私に自分の愛を否定されるくらいならば求めたい体すら欲しくないと跳ね除けて、そうまでしてでも私を傍に置いておきたいという、そういうことですか。
私、いていいんですか。
ここで何の役にも立たずに寝そべっているだけで、息をして、心臓を動かして、生きているだけでいいんですか。

先生の傍にいるだけで、価値があるんですか。

途切れ途切れになりながらもそう問えば、私を抱く先生の力が強くなった。


「お前は、自分を何だと思ってやがんだ」


こんなに、お前がいないと生きていけない体にしたくせに。


私の肌に爪を立てるほど強く抱いて、恨み節のように言った先生の言葉が嬉しくて堪らなかった。

私という存在を認めてくれた先生の言葉が、私という存在を求めてくれた先生の腕が声が、私が生きていていい何よりの証拠だった。


「愛してる」


私も先生の傍にいたいです。
そう答えると、先生はいつもより強く私の肌に吸い付いた。





共依存
(キスで繋ぎ止める心の安寧)

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