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※ギルド・テゾーロは映画フィルムゴールドに登場するキャラクターです。
 映画をご観賞なさった方にわかりやすい内容になっておりますので、予めご了承お願いいたします。



 * * *



世界最大級のカジノ、グラン・テゾーロに初めて足を踏み入れたのは、私が八歳の頃だった。

そのときは海軍の極秘暗殺部隊、通称「黒の海軍」の業務に従事し始めて一年も経っていない新人で、部隊の中で最年少、もちろん一番の下っ端だった。
だから法律の届かない独立国家でもあるグラン・テゾーロで先輩上司が遊ぶなか、私だけは仕事をしろと命令された。
無論、グラン・テゾーロで殺人は御法度である。「善悪関係なしに楽しもう」がモットーの無法カジノというブランドが崩れてしまう。それは経営者であるギルド・テゾーロの影響力を鑑みても避けなければならなかった。

だから私に言い渡された仕事は、テゾーロとの交渉だ。

少し多すぎるんじゃないかと思えるほどのテゾーロお抱えの護衛に囲まれて、応接室に通される。
入ると、大きな部屋の最奥にソファが置かれていて、そこにギルド・テゾーロが座っていた。
ピンクのスーツに黄金のアクセサリーをじゃらじゃらと付けた彼は、黒と赤ばかりを見て育った私には眩しすぎた。目がちかちかする。

玉座の御前に立たされた私は、隊長から持たされたアタッシェケースを抱え、蓋を開けて見せた。
札束がずらりと並んでいる。どれも新品で帯付きだ。


「2億あります。ですから我々が提示した人物がグラン・テゾーロに来た場合、その情報を教えていただきたいのです。もちろん、殺害実行はグラン・テゾーロを出てから行います。ミスター・テゾーロにご迷惑はお掛けしません」
「何だあ? 俺も舐められたもんだな。子供にお使いされるとは。ちゃんとした隊員を連れてこいよ」


テゾーロはゴールドシャンパンをグラスに注がせ、飲みながら言った。
私の傍らにいた部下にケースごとお金を奪われる。
私は被っていたフードを取った。


「私も隊員です」
「はあ? お前が? こんなチビッ子が海軍だとよ! 笑ってやれ!」


部屋を埋め尽くす部下達の汚い笑い声。
そんな渦の中でじっとテゾーロを見つめていると、テゾーロはすぐに笑い飽きたのか真顔になった。


「何だよ。お前も笑えよ。どうせ嘘なんだろ?」
「嘘じゃありません。隊員です」
「うるせえ! 俺が笑えって言ったら笑え!」
「笑い方がわかりません。笑えば情報をくれますか? あはははは。これでいいですか?」


テゾーロの目が、すっと細められた。
背凭れに預けていた体を前傾にして私を食い入るように観察する。


「……お前、いつから海軍にいる?」


質問の意味がわからなかった。


「いつから…? 始まりの記憶なんて、ありませんが」
「親に売られたのか」
「親。つまり受精卵の精子の持ち主と卵子の持ち主、十月十日の妊娠の結果、私を出産した女性のことなら記憶も情報もありません。育てたのは誰かというのであれば、部隊全員としか言いようがないです」
「海軍に奴隷として買われたのか」
「わかりません。ただ、生活には困っていません。そんなに悪い環境ではないかと」
「女子供まで殺してるのに、悪い環境じゃない?」
「はあ…」


何を言わんとしているのか、よくわからなかった。


「女子供だろうと仕事ですから。…この会話って契約と何か関係あります?」
「…もし、お前なら、ここにいる部下を全員殺すのに、何分掛かる?」


私は部屋をぐるりと見回した。
ざっと50人ほどの黒服に身を包んだ男達がいる。テゾーロの提案に男達は笑みを消して「本気か?」というような目で互いを見合わせていた。

ふむ。と算段してテゾーロに意識を戻す。


「20秒です」


テゾーロは「ほう?」と言ったあとで、口の前で手を組んでみせた。
そして低く、告げた。


「やってみろ」


その瞬間、私は銃を引き抜いた。



きっかり20秒後、部屋で生きているのは私とテゾーロだけになっていた。
これで契約してくれるだろうと振り返ると、いささか息の上がった私を見ながらテゾーロは面白がるでもなく、感心するでもなく、驚くでもなく、怒るでもなく、蔑むでもなく、

ただ静かに泣いていた。

驚いたのは私だった。


「…え? やってみろって、言いましたよね。殺しちゃいけなかったですか? どれです? これ?」


近くに倒れている男の人を足で突いてみる。当然だが動きはしない。死んでいるのだから。
テゾーロは何も言わずに、流れる涙を拭いもせずに私を見ていた。


「心肺蘇生しましょうか。銃弾は体内に残ってますし、難しいと思いますけど。あ、それとも、こっち?」


隣に倒れている男を指す。
他に死を惜しむほどの優秀そうな男はいるだろうかと視線を泳がすが、目ぼしい人物はいない。
そこでようやくテゾーロが首を振った。


「違う」
「あ、じゃあそっちに転がってるのですか?」
「違う」


うーん、と考え込んでしまう。
まあ、どうせ今さら胸骨圧迫をやったところで生き返りはしないだろうけども、やってみせる姿勢が大切なのだろう。
誠意というものを好む人間が多いから。
けれどテゾーロは予想外のことを言った。


「…お前は、人を人とも教わらなかったんだな」
「はい?」
「これ、それ。人をそうやって数えるような育てられ方をしたんだろ。その歳で、ただ殺すやり方だけを教わり続けて、人を愛することも、愛されることも、未来を夢見ることさえも、なかったんだろ」


この人は難しい話をするなあ、と思った。
数え方とか、夢とか、何だか意味不明な単語を並べて勝手に泣いている。
聞いていた話と随分と違う印象を受けた。
もっと冷酷非道な暴君だと思っていたのに、むしろ熱情的だ。
替え玉だろうかとさえ、疑いたくなる。


「お前、名前は」
「アラシと言います」
「よし、契約してやる。毎年2億払い続ける限り、情報は渡す」
「ありがとうございます」
「ただし、条件がある」


テゾーロは立ち上がって、私の前までやってきた。
そこで私は察した。


「ああ、お相手ならいつでもと隊長から命令を受けています」


服を脱ごうとすると、その手を掴まれて制された。
テゾーロは近くにいると、見上げるほど大きな背の持ち主だった。
けれどテゾーロはわざわざその長い膝を折り曲げて、私に視線の高さを合わせてきた。
脱ぎかけていた服を整えてさえくれる。女好きだとも聞いていたのだけれど、また誤情報だったらしい。それともロリコンの趣味はないのだろうか。


「条件は、毎年の金を持ってくるのはお前だけ。俺が情報を渡すのも、お前だけ。俺が渡した情報で受けた手柄も、お前だけのもの。この条件が守れるなら情報をくれてやる」


妙な条件を出すなあと思った。
その条件を呑んだところで私には何の痛みもないし、部隊にとっても損はない。ましてやテゾーロには利益にもならないのに、奇妙な条件だった。

私達はいつの間にか黄金の壁に守られて、小さな密室にいるみたいになっていた。
黄金で作った、かまくらみたいだ。


「可哀想な奴だなあ…」


テゾーロは私を抱き締めた。
彼の体の至るところにあるイヤリングや指輪、ネックレスが当たって少し痛い。けれど契約者として、無下には扱えない。
じっとしていると、テゾーロは私の頭を撫でさえした。


「可哀想に。俺にもう一度、チャンスをくれたのか。今度こそ、助けてやるからな」


ステラ。
そう囁いた彼に対して、危うく引き金を引きそうになったとは言えなかった。


それから私が麦藁の一味になるまで、テゾーロは私の相棒ともいえるほどに尽力してくれた。彼なくして私は部隊の隊長にはなれなかっただろうし、彼なくして、殺害が苦しいものだとも気付けなかっただろうし、彼なくしては、暗殺部隊から脱出しようとも思わなかった。

彼は痛みを教えてくれた初めての人だった。


 * * *


グラン・テゾーロが破壊され、海軍に逮捕、拘置されていたギルドが脱獄したニュースを新聞で読んで、私は思わず笑ってしまった。
周囲にいたゾロやナミ達が不思議そうに私を見ているけれど、構わなかった。

そうか、逃げたか。


「今度こそ、夢に向けて走り出すのかな」


そんなことを思っていた。





星に出会った夜
(それからギルドが船にやってきて、二人で奴隷商を壊滅させるまでそう時間は掛からなかった)

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