2話


僕たちはそれから桜の木の下に座る。上は芝生で簡単に座ることが出来た。
この場所は街より高い位置にあるため街を一望できる。そこで僕たちは並んで座って、話をしていた。
「あの、桜井さんって――」
「澪音でいいわよ」
……恥ずかしいからそう呼んだんだけどなぁ。
「……桜井さんってここに来たことあるの?」
澪音と呼べと言われたが、そこは羞恥心が勝つ。だから、そこは桜井さんと呼ばしてもらった。
「……」
「あの桜井さん……?」
「……」
ぷいっと顔を横に反らしてしまう。その仕草がなんか可愛い。
「……」
って考えている場合じゃない。もう桜井さんはだんまりを決め込んでしまっていた。こ、これは澪音と呼ばなければ返事をしないということか……。
「あ、あの澪音さん……?」
「澪音」
「…………」
「…………」
「……あの澪音ってここに来たことあるの?」
ついに僕の方が先に折れた。だって普通に無理でしょ。
「……多分ね」
「多分ってどういうこと?」
さっきも多分って言っていたけど、何か彼女にはあるのだろうか。
「わたしね、記憶がないの」
「え……」
「覚えてないの。3ヶ月前から先のことを覚えてないの。この足もその時にやっちゃったの」
そう言う彼女はとても悲しそうな顔をしていた。何も覚えてなくて、何も頼るものがなくてとても辛そうな顔をしていた。
何気なく聞いたことだけど、とても申し訳なく思った。
「……ごめん」
「どうして謝るの?」
「……だって、言いたくなかったでしょ」
「そんなことないよ。……もう慣れたし」
口ではそう言うものの、彼女の手は小刻みに震えていた。その手を握りしめたかったけど、今の僕にそんな資格はあるわけない。その資格があるのは、澪音のことを知っている人だけだ。初対面である僕にそんなことできる訳がない。




「ねぇ、悠はよくここに来るの?」
「うん。暇があればよくここに来るよ」
「ふーん。何か思い出でもあるの?」
「いや、特にないよ。ただ、始めて来たときに何か感じただけ」
「そっか」
その後、澪音は話しかけてこなかった。
だから、僕も無言でいた。
こうして、街を眺めていると世界が止まっているように感じた。実際に街に下りれば、止まっていないだろう。人は忙しく動いている事だろう。しかし、今の僕には世界は動いていないように感じる。それは僕が止まっているからだろうか。僕だけが取り残されているのだろうか。分からない。

隣にいる澪音はどうなんだろうか。彼女もまた止まったままなのだろうか。3ヶ月前、記憶を失ってからずっと止まったままなのだろうか。いや、少し違うかな。止まったままなのではなく、踏み出していないように感じる。回りには知らない世界が広がっている。それはまるで世界に独りぼっちのようだ。

「て、僕は何を考えてるんだ」

何でまだ出会ったばかりの彼女のことを考えているんだ。いくら考えたって、僕はまだ何も彼女のことを知らないのに。

「ん、何か言った?」
「いや、なんでもないよ。そういえば、さく――澪音はどの辺りに住んでるの?」
「病院よ」
……。
…………。
………………病院!?
病院ってあの病院?!……あぁ病院の娘ってことなのかな。
「なんか勘違いしてるような気がするけど、まだわたし入院中ってことだよ」
「そっちだったのか。……て、入院中なのに抜け出して来たの?!」
「うん」
「えぇ!?大丈夫なの、それって?!」
「ダメに決まってるじゃない」
「えぇ!じゃあすぐに戻ろうよ!」
「嫌よ」
「何故に!?」
そうしてる内に彼女はえへへ、と笑う。
「ウソよ。わたしは外出許可が出てるから平気なの。特にわたしの場合は何か思い出すかも知れないからね」
「な、なんだ……。よかった」
そういうとまた彼女はえへへ、と笑う。思っていたより明るい娘なんだな。本人にとっては不名誉かもしれないけど、もっと悲しげかなって思ってたけど予想をいい意味で裏切ってくれた。
それにしても、よく笑うなこの娘。
「ねぇ、悠はどこに住んでるの?」
「え〜と……」
この高台からなら見えると思うので探す。そして、その場所を指差す。
「あの辺だよ」
「ふーん、意外と近いのね」
「じゃなければ、ここまで歩いて来ないよ」
「それもそーだね」
「澪音の入院してるのは青葉病院?」
「うん。よく知ってるね」


その後、僕たちは取り留めない普通の話をした。なんかよく分からない話題に盛り上がり、普通に喋りあった。その間、彼女は楽しそうに笑っていたのが印象的だった。
しかし、その時間は有限でだんだんと日が傾いてきてこの時間に終わりが近づいてきた。
「……そろそろ帰ろうか」
「う、うん。これ以上は体に悪そうだしね」
「送っていこうか?」
「ううん、大丈夫」
「じゃあ神社のとこまで一緒に行こうか」
そう言うと、彼女は小さく微笑んで、じゃあお願いと言った。


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