日曜日の朝、コーヒーを淹れた後でなんとなく戦隊ヒーローものを見てしまったため、引きずられる形でそのあとの仮面ライダーシリーズも見ることになった。それらは私が同じ時間に子供の頃に見ていたものとは似ているようで違っていた。それもそのはずである。私が“子供”と呼ばれるに相応しい年齢をしていたのはもう10年は前のことなのだ。それだけの月日があればテレビや携帯電話は薄くなっていくし、ブルーレイに取って代わられたVHSは終焉を迎えるし、女の子たちの化粧も服装もことごとく変化するし、もちろん私たちも成長する。
 物事というものはただひたすら流動的であり、静止が許されない。そして本を読み終わったあと、ひとつひとつの言葉は覚えていられないのに受けた感銘は尾を引くように、過去を必要以上に美しく彩ってしまうように、あとには不確かな記憶といびつに増殖された強い思いだけが残るのだ。
 自分にしてはえらく感傷的だなあなどと思いながらコーヒーの最後の一口を啜っていた時玄関のベルが鳴った。少し身なりを整えてからドアを開けると、そこには振り子のように揺らせた車の鍵を左手に持った佐助がいた。

「これから旦那迎えに行くんだけどさ、一緒に行かない?」
「まあ、いいよ」
「よかった。渋滞してるだろうから、一人だと暇なんだよねえ」
「うん、そんなことだろうと思った」

 名前ちゃんってば優しい、と佐助は囃すように言った。私も私で暇だったので、特に考えもせずに彼の誘いに乗った。外は快晴であるし、世は日曜日である。ドライブをするにはうってつけのように思われる。ドライブというか、使い走りのような気がするところは置いておいて。

「じゃ行こっか」私はサンダルをつっかけてそのまま出ていこうとした。
「えっ、ちょっと名前ちゃん。そのまんま行くわけ?俺様女の子の身支度待つくらいの甲斐性はあるよ?」彼は本気で驚いているようである。
「だって車だし。いくら渋滞してるからって真田君の家までそんなにかかる距離じゃないでしょ」
「そうだけど。本当、名前ちゃんって変わんないね」
「嬉しいね」

 しかしそこでテレビをつけっぱなしだったことに気が付き、サンダルを脱いでリビングに引き返した。すでに朝のヒーローものは終わっており、薄いテレビの画面にはご長寿のニュース番組が映し出されていた。何年経っても変わらないその番組は私をいくらか安心させてくれる。スポーツの話題に出演者が何やら意見しているところで電源を落とした。そしてついでに財布や鍵を適当に拾い集めて再び彼のいる玄関に戻った。

「今見てたやつ、喝!ってするやつでしょ」
「そうそう。何年も変わんないよねえ」
「そこがいい」
「実に」示し合わせる女学生のように二人で笑った。

 彼は先に階段を降り、下に駐車してある車に乗り込んだ。続いて私もその助手席に座った。車内はこれでもかと言うくらい清潔で、きちんと整頓されている。カーナビですら、計算し尽くされたような角度でそこに誇らしげに備え付けられている。佐助の方こそ全く変わらない、と私は思った。
 鍵を回した彼はシートベルトを締める。それに倣って私もシートベルトを締めた。無意識に行ってしまったため違和感は感じなかったが、考えれば彼の車の助手席に乗るのは久しぶりだった。彼はアクセルを踏む。

「ラジオつけて」と前を見たままの彼が言った。
「うん」

 適当に返事をしたが、身体はやはり無意識に彼の好きな(あるいは好きだった)チャンネルをかける。これはいただけないな、と私は思った。それで別のチャンネルに合わせようかとも考えたが、馬鹿らしくなってやめた。私たちは黙ってラジオから流れる二昔くらい前の音楽を聞いた。

「覚えてくれてるんだ」彼はほんの少しだけ顔をこちらに向けて言った。
「何を?」私はわかっていながらそう返した。
「名前ちゃんとどっか行くときはいつもこの局だった」私に向けた顔を、わずかに微笑みながら右に傾けるのは彼の癖だ。
「そうだったかな」
「そうだよ」
「佐助、そこ左折」

 おっと、と顔をきっちり正面に戻した彼はハンドルを左に切った。相変わらず丁寧な運転だった。車内がほとんど揺れない。これが真田君だと、ブレーキを急に踏んだりするものだから、車に酔いやすい私には少々応える。

「“佐助”って名前ちゃんが言うの割と久々に聞いたな。学校じゃいつも猿飛君だし」
「佐助はいつも“名前ちゃん”だね」
「うん。俺様“名前ちゃん”って呼ぶの好きなんだ」
「へえ」
「ねえ、名前ちゃん」

 彼は運転に神経を集中させながらも器用に話をする。

「真田の旦那は、運転下手でしょ」
「下手だね。どう転んでも上手いとは言えない。この間電柱にぶつけそうになってた」私は爪を眺めた。いくぶん伸び始めている。
「ああ見えてすごく我が儘だし。唯我独尊っていうの?結婚したら絶対亭主関白だよ」
「それはいやだなあ」親指の爪の縁を人差し指の腹で撫でた。
「俺様、名前ちゃんだったら逆亭主関白でもいいな」
「なんだそれ」
「何でも言うこと聞くよ。おとなしくしてる。名前ちゃんのためならなんだってする」

 爪をいじるのをやめた。彼が今どんな顔をしているのか、見なくてもわかってしまう。助手席側の窓から空を眺めると、先程までの晴天が徐々に後退し雨雲が幅を効かせようとしているのがわかった。

「雨」
「ねえ……、名前ちゃん」
「雨降ってきたよ」嘘だ。まだ雨は降っていない。
「名前」

 彼は完全に俯いていた。渋滞していなかったら確実に事故を起こしているくらいに深く。

「“ちゃん”で呼ぶのが、好きなんじゃないの」
「どうして旦那なんだよ」

 掠れた弱々しい声だった。彼のそんな声は聞きたくなかった。私は彼の方を見ないようにするのに精一杯で、窓の外に本当に雨が降り出したことに気が付いたのは隣の車がワイパーを動かしているのを見たからだった。
 降り出した雨を無視することのできない几帳面で神経質な彼はすぐにワイパーを動かした。雨は彼の神経をより運転に集中させる要因となる。静かに前を向いて、注意深くハンドルを動かし始めた彼に向かって言った。

「佐助、私たちいい友達だよね」

 屋根を細かく打つ雨の音が我が物顔で沈黙を埋めた。私は頑なに正面を向き続けていた。ワイパーが均一な動作で行ったり来たりしている。彼が振り子のように揺らせながら持っていた車の鍵のように。
 彼は返事をする代わりに左手でラジオのチャンネルを変えた。その番組は流行りの曲を流していた。今の流行りとはどんなものだっただろう。昔とはどう違うのだろう。
 全ての物事は私たちを嘲笑うかのようにいとも簡単に通り過ぎていき、二度と戻っては来ない。けれどそれらが残していった名残は時折強烈に胸の内を焼け焦げさせ、締め上げ、いたぶる。それと上手く付き合う術を知ることができない私たちには、永遠を夢見るくらいしか救いの道がない。
120324


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