結城中佐は執務机に肘をつき何でもないようにこう述べた。
「休暇を取れ」
ドイツでの任務中、偶然遭遇した鉄道事故をほとんど奇跡的に回避した僕はその後無事に当該任務を終えた。そして委細報告のために機関本部の在する大東亜文化協会を訪れている。そこで上司である結城中佐に次の行動を指示され、それについて少々面食らっているところである。
「休暇ですか」僕はその言葉に、此度の任務に対しての叱責の意味合いを感じた。
「違うな、三好」
僕の疑念を晴らすように彼は薄く笑い、椅子に深く腰掛ける体制を取った。
「帰郷でもしろ。貴様の故郷では紫陽花が見頃と聞く」
「紫陽花」
「眺めるもよし、味わうもよし。お前の好きにするといい」
彼の背の窓から差し込む控えめな光のせいで、中佐の表情を読み取ることは難しい。声からも当然のように感情の色を感じることはできない。それは彼の平素の話し方である。
しかし、去り際に垣間見た彼の薄い口の端が持ち上がっているのを、僕は見逃さなかった。
僕の故郷はこれといった取柄もない田舎だ。帝都、東京が目覚ましい進歩を遂げているのに対してここは昔から変わらずひどくつまらない場所であり、おそらくこれからもそういう風にあり続けるのだろう。汽車から降りて簡素にまとめた荷物を持ち上げる。言い渡された休暇のぶんだけここに居座るつもりはなかった。ただ、顔を見たい人物がひとりいるだけだった。
このあたりはタクシーはおろか無論バスも走らない。僕の実家は駅から離れ、周囲にほとんど何もない野原のような場所に位置するため、家の者に迎えに来てもらうよう事前に電報を打っていた。車はまだ来ていないようだ。僕は駅前のベンチに座って煙草を吸った。風に乗ってどこからか紫陽花の匂いがするような気がした。
五分ほどすると、フォードのセダンが遠くからやってくるのが見えた。黒塗り、一九三九年型。電話を引くこともできないくせにこういう部分には金をかける。このあたりでフォードなんかに乗るのはかつては富豪と言ってよかった僕の家くらいのものだ。汽車が去り、駅の周囲には誰一人いない。そんな、ある種荒廃の気配すら感じられるこの土地に黒塗りの高級車はあまりにも異質で、不適当だ。僕は煙草を地面に投げて足で踏み潰した。
「坊ちゃま、お久しゅうございます」
車から降り、帽子を胸に掲げて礼をする老人は僕の家の執事だった。彼は僕が生まれたときから家にいる執事頭だ。かつては後ろにまとめられた豊かな黒髪も今ではすべて白に成り代わり、生え際もだいぶ後退している。僕が最後に彼を見たときよりも更に、彼の老いは形を取って表面に現れていた。
「やあ。久しぶり。悪かったね、こんな仕事をさせて」
「もう少し若ければきちんと定刻どおり着くことができたのですが。近頃は外に出られる方もおりませんで、どうも運転に慎重になりすぎてしまいました」
「あなたのほかに運転できる者はいないのか?」
「私の他には男手がないのです。女どもに車の運転はできません」
「庭師がいただろう」
「残念ながら、彼の仕事は不必要な枝を剪定するだけでありまして」
「それは大変だ。すまないな」
「坊ちゃまがお謝りになられることではありません」
彼はしわがくっきりと刻まれた顔で微笑みながら僕を車の後部座席に案内した。ビロード張りの座席は、使用していないにしてはよく手入れが効いている。社内の清潔さには彼の性格が良く出ていた。彼は丁重に扉を閉め、運転席につき車を発進させた。
「お仕事の方は如何ですか」
「そうだな、先達てソ連と条約を締結したこともあって、同僚などはそちらへ飛ばされたよ」僕はマッチで煙草に火を点けた。
「目の回る忙しさでしょうな、坊っちゃまの貿易商というご職業は」
「そうだな、ロシア語に通じていれば僕もそちらへ飛ばされるところだった」
「大陸の方はどうにも、恐ろしゅうございます。どうかお気を付けて」
中国とはすでに開戦していることやノモンハンのこともあり、ここのところ軍部は一層殺伐としている。そしてその目は太平洋に向けられていた。あまりに馬鹿げていて笑う気すら起きない。僕たちが収集した情報を適切に利用することのできない能無し共の知性は、ほとんど猿並みかそれ以下だ。
僕は備え付けの灰皿に煙草を押し付けて長く息を吐いた。開け放った窓から煙が細く横に流れていった。
「父上はどうされている」
「旦那様は昨年病院に入られて、ほとんどお見えになりません」
「義姉上や義兄上は」
「お義兄様は関西の方でお仕事をされていまして、大変お忙しいご様子です。お義姉様は数年前に満州へ行かれました」
「満州?」
「はい。お義姉様の旦那様に連れ立たれた形になります」
「ふうん」
緩慢に流れていく車外の景色を眺めながら、僕はその至極どうでもいい会話を続けた。異母兄弟の彼らの行く末がどうなろうと僕にとってはまったく関係がないし、興味などまるでない。ただ、この手の話はしないことには不自然だし、本当に聞きたいことに繋げるまでの前書きとしては必要なものだった。窓の外にはどこまでも平坦な田園が広がっている。僕はその変わり映えしないのっぺりとした景色を見るふりをしながら老執事に尋ねた。
「姉さんは、どうしている?」
「名前様は」彼がハンドルに力をこめたのがわかった。
「お身体を悪くされまして、お屋敷で養生なさっています」
僕はやや上ずった声でもう一度真偽を確かめるような返答をした。彼は彼女の容態について事細かに伝えてくれたが、それは既知の事実だった。僕はその情報を聞くにあたり乗り出していた身を座席に戻し、額を手で覆った。これらは演技ではあったが、本当に顔を覆いたくなる気分であることは変えようのない真実だった。
僕には姉がひとりある。血のつながった、正真正銘の実姉である。僕たちの父は親から譲り受けた土地で威勢を張る片田舎の哀れな富豪であり、若い頃はその空の頭を持ちながらも財という力でどうすることもできたが、その放蕩が祟り家は没落、今では常に金の無心先を探していると聞く。そんな愚かな父親も病にかかり余命いくばくか、ということらしいがこれも到底興味の範疇には無かった。機関の一員となる以前から、僕は周囲の人間に関心というものを抱くことができなかった。そのぶん、たったひとりの人間にそれが向けられていたことは、自分自身よく理解している。
実家は以前と変わらぬままそこにあった。この地に似つかわしくない洋屋敷は父親のくだらない見栄であったが、現状金が無いということもあり、その姿は自分がいた頃とは少し異なっていた。庭の手入れは甘く外装はわずかに薄汚れており、活気がない。しかしながら纏う空気の下品さは依然残留し続けているようだった。建築物は内情を正直に反映する。こういう雰囲気を放つ建物の家主は大抵の場合ろくでもない人間である。僕も、そして姉も、この家でずっと育ってきたのだ。
老執事は僕の荷物を運ぼうとしたが、彼のプライドを損ねない範囲の言葉でそれを断り、自ら荷物を抱えなおす。僕のその様子を見て彼は感慨深げに、ご立派になられて、と呟いた。そういえば、昔はよく彼から坊ちゃまは男児であるのに可愛らしすぎます、などといささかの小言めいたことをよく言われたものだった。男児ならばもっとたくましくあれ、と言外に含ませていたのだろう。その言葉を聞いた姉はよく笑っていたが、それは決して嘲笑の類などではなかった。彼女はそういう人間だった。
ロビーで懐中時計を見やり時間を確かめていると、階段を降りる音が聞こえてきた。女性のものであることはすぐにわかった。そしてそれがおそらく、ここへ来た目的の人物であるということも。
「おかえりなさい」
姉が、手すりに体重を預けながらゆっくりと階段を降りてきていた。反対の手で洋装を持ち上げ慎重に一段ずつくだる彼女の色白の面はいっそう白く、不健康の様相を隠しきれていない。言われずとも一目で、彼女が患っていることがわかるような顔だった。僕は久しく感じたことのない「何か」を、ほとんど無意識の段階で奥へ引っこめた。
「姉さん、ただいま帰りました」
僕は荷物を床に置き、彼女に近付いていった。僕が階段をひとつのぼると彼女が降りる。そうやって距離が縮まっていく。なんだか夢を見ているみたいだな、と思った。僕と彼女を隔てるものが段差ひとつになったとき、僕の方がそこへ足をやり、彼女の手を取った。そして甲へ口づける。
「外国式?」
「そうです。相手への敬意を示します」
「本当に、立派になられた」
微笑みながら僕を見下ろす姉の手は、おそろしいくらいに冷たくて、ひどくか細かった。
僕たちは客間に移り、執事の運んだ紅茶を間に挟み向かい合った。ソファに掛ける際にちらと検分したが、客間の装飾品はそのほとんどがどこかへ売却されたようだ。必要最低限のものしかない現在の状態はむしろさっぱりとして居心地が良い。下劣な父親の空気が薄らいだようだ。
彼女は紅茶を口もとに運び香りを楽しんだあとそれを小さく飲み下した。その姿はとても美しかった。姉は生まれながらにして気品というものを体得している。幼い頃、僕たちは異母兄弟に心無い悪戯をよくされたのだが、そんな時も彼女はいつも僕を守り、高潔さをもって彼らに対峙していた。彼女が音を立てずにカップを置く。
「いつまでここに居られるのですか?」
「実は、明日には発たねばならないのです」
「そうなの……。残念です。久しぶりに弟に会えるというので浮ついてしまいました」
それできちんと洋装をしていたのだ、と理解した。無論西洋式の屋敷で和服は手間取るということもあるが、本当ならば和服で落ち着き横になりたいはずであろうに、彼女は僕が相手でも礼節を守る。僕は彼女の青白い顔を見つめた。
「姉さん、横になった方がいいんじゃないか」
「大丈夫。今日は調子の良いほうなの」
「良い方なのですか」
「そうですよ。だめですね、動いていないと。身体がなまってしまって、余計に悪くなる」
それで、あなたにお願いがあるの、と彼女は続けた。
「近くのお寺の前に、紫陽花の咲く場所があるでしょう」
「ああ、あの寺」昔、この時分になるとふたりで良く行っていた。
「そこに一緒に行ってほしいの」
「無論構いませんが、もしかして」
「そう、今から」
「姉さん」
「お願い」
「いけないよ姉さん。そんなふうに言われたら、僕に断る権利なんてないじゃないか」
僕が少しだけ口を曲げると彼女は口に手をやって笑った。彼女の笑顔は昔から全く変わらない。
「ありがとう」
「あそこなら歩いて行ける距離ですが、お身体が」
「調子は良いと言ったでしょう」
「わかりました。僕が支えますのでご安心ください」
「素敵な紳士」
「伊達に外国を飛び回っておりませんので」
そうね、と彼女が言う。そしてもう一度カップを持ち上げて紅茶を一口飲んだ。
「たぶん、今しかないから」
彼女のその言葉が聞こえなかったふりをして僕も紅茶に口をつけた。それは諜報員として活動する自分にしてはあまりにも粗末で、素人じみた最低の演技だった。
空は雲に均一に覆われ、昼下がりであるというのにあたりは明け方のような薄青に包まれている。しばらくすると雨が降るだろう。そこまで姉を長居させるつもりはないので、傘は持たずに目的の場所へ向かった。彼女は薄紫の膝丈のワンピースに踵の高い靴を履いていた。近所のさびれた寺に行くには不自然といっていい装いであったが、僕はそれについて言及しなかった。煙草が吸いたい、と思った。
姉と二人で人気のない田舎のあぜ道を歩いていると、昔の様々なことが思い出される。幼少の時分、男らしくないといった理由で僕はよくからかいの対象になった。当時はまだ父親も羽振りが良く僕の家はこのあたりでは皆が知っていたが、それゆえにやっかみを買うことも多かったのだ。子どもは大人の目の届かぬところで自分たちの憂さを晴らす方法をとてもよく心得ている。服を汚すと家の者に不審がられるため、僕は目立たない場所を痛めつけられることが多かった。幼い頃は今と違い、男児の平均と比べ背も低く自重も軽かったために僕は彼らに対する単純な反抗の手段を持たなかった。
それでも特に惨めな気分になったりはしなかったが、どうやって煩わしい彼らを黙らせようかと思案していた折、突然彼らのいやがらせがぱたりと止んだ。いぶかしみながら彼らに理由を問いただすと、そのうちの一人が僕とは目を合わせぬままに「お前の姉の仕業だ」と白状したのだ。僕はそのとき初めて動揺した。姉には僕がいやがらせを受けていることは隠し通せている気でいたのだが、彼女はそれをすべて知っていた。そして僕に言わぬままに何らかの方法で彼らを打ちのめしたのだ。
隣を歩く姉の頭は今では僕よりはるかに低い位置にある。細く小さいこのひとりの人間は、僕と血を分けながらにして、まったく異なる存在なのだ。
「綺麗ですね」
ぽつぽつと見える民家の軒先に無秩序に咲く紫陽花の花を見て姉がそう言った。
「あちらでは青や紫でなく、赤色の方が多いのですよ」僕は花を指で撫でた。
「赤い紫陽花なんて想像がつかない」
「向こうはそういった土なのです」
「あなたは昔から物知りだった」
「本などは一度読むと覚えてしまうんです。僕が忘れようとするまで」
「ねえ」彼女が僕を見上げる。
「なに?姉さん」
目を下にやり彼女と視線を合わせたのは間違いだった。姉は微妙な顔つきで目をわずかに細めている。泣きそうになるのを堪えるときの表情のひとつだった。彼女は僕の腕に手をやり、少しだけ力をこめる。
「こんなに、大きくなって……」
姉は顔を伏せた。鳥が鳴く小さな声が遠くから聞こえ、畑の用水路を流れる控えめな水の音が沈黙を埋める。僕は彼女の手を取って自分の胸の前に持ってきた。
「寺の前の階段にはもっとたくさん咲いているよ」
僕たちは廃寺となった寺の本堂へ向かう長い階段をひとつひとつ、確かめるようにゆっくりのぼって行った。階段の脇には誰が植えたか知らないが一面に紫陽花が連なり、その上に竹林の葉がしな垂れかかっている。人の気配はなく、その静寂が紫陽花と笹の香りを際立たせている。青と紫、そして葉の緑に包まれたこの場所は昔から、僕たちの来訪を拒むこともなければ歓迎することもなくただそこにあるものとして受け入れ、静かな呼吸を続ける。
階段の幅が狭いので僕の腕が姉の肩によく当たった。昔は逆だった。家に居場所が無くなると僕たちはここを訪れ、黙って階段にいつまでも座り込んだ。彼女のむき出しの肌が僕の肌と触れ合うと少しじっとりとして、僕はその感覚に安心を覚えると同時に、きっと心の奥底で許されない何かを生み、そして育んできてしまったのだ。
僕は立ち止まった。そうすることで一段先に上がった姉が振り返る。その顔を見て、やはりこの人は自分とは違う類の人間である、と心から思った。
「どうして僕が帰ってきたのかわかっているんでしょう」
彼女は静かに僕の顔を見つめ続けた。穏やかな表情だった。
「姉さん、お別れだ」
薄紫の布地が揺れる。彼女の着ているワンピースは、周りの花に溶けていってしまいそうな色をしていた。
「あなたに弟はなかった」
僕はひとつ上の段にいる花の色をした服を纏う彼女を抱きしめた。とても細い身体だった。僕は彼女が花となって消えていってしまうのではないかと思って、腕の力を強くして彼女の胸に顔を埋めた。姉はちゃんとそこにいた。僕の背に腕を回した彼女は手のひらを開いて、僕の頭を大きくゆっくりと撫でた。それは幼い頃から、僕に寄り添い慈しむための手つきだ。
「どうかお元気で」
彼女はそう言って言葉の最後に僕の「名前」を添えた。久しく耳にしなかった僕の本当の名前。姉と同じ音を半分持つ、失われた名前。僕は胸から顔を上げて、彼女の頬に手を寄せた。彼女は微笑もうと努力していたけれど身体は震えてしまっていた。
「一度きり。最後に、一度きり」
そう言いながら僕は返事を聞かずに彼女に口づけた。彼女は拒まなかった。僕の髪を優しく撫で、そして涙を流した。唇につたうこの涙の味を、僕はこれから忘れなくてはならない。
雨が細やかに降り始めた。僕は静かに口を離して、予想より早い雨の注ぐ紫陽花のなかを彼女の手を引いてくだっていった。ここをのぼることは、二度とないだろう。
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「紫陽花は楽しんだか?」
僕は再び、大東亜文化協会は機関本部、結城中佐の執務室にいた。与えられた「休暇」をまっとうしたことを報告に来たのだ。時刻は昼前。浅い光の差す執務机の上、中佐は顔の前で両手を重ね、およそ温度というものを感じさせない声色で僕の返答を待っている。
「ええ、見事なものでした」
「紫陽花の花は落ちずに枯れる。死んでゆく花を見るのはいささか忍びない」
「美しいうちに落としてしまうのも手です」
「なるほど。貴様は落としたのだな、花を」僕は頷いた。
「落とした首はどうした?」
「燃やしました」
中佐は僕の目をじっと見据えた。光も闇も感じさせない透明な瞳だった。彼が手のひらを机に乗せる。
「任務は追って言い渡す。下がってよい」
僕は一礼し、真っ直ぐに扉に向かった。
宿舎に向かう廊下には陽光が差している。朗らかな光に誘われる形で中庭に出た僕は、適当な場所を見繕って煙草に火を点けた。青空に向かって長く煙を吐き出す。梅雨の時期にもかかわらず、本当に良い陽気であった。
結城中佐が僕に「休暇」などを与えたつもりでないことは元より理解していた。ドイツでの事故の際、運命に従えばおそらく僕は胸を貫かれそのまま死んでいただろう。しかしその刹那、僕の脳裏には「死ねない」という強い思いが閃光のごとくよぎってしまったのだ。そのときに浮かんでいたのは姉の顔であった。これは機関の諜報員として紛れもない失態であり、明確な欠陥だった。
どういうわけだか僕のこの気配を読み取った中佐は原因に思い至り、それを断ち切るための手筈を整えてくれたということになる。情勢を鑑みると今後はこれまでの情報収集に加え謀略、あるいは工作活動にも比重を置かねばならないことは明白である。一層の危険が付き纏うこれらの任務には、何時も揺らぐことのない確固たる精神が求められる。任務で紙一重の状況に遭遇した場合、その際にいちいち故郷の姉の顔など思い出されてはたまらない、といった牽制の意味合いも無論あっただろう。僕がもし中佐の立場だったら、彼と同じことを部下に言い渡す。結局のところ、僕たちはそういう風になることのできる人間なのだ。
僕は固い地面の上で煙草をもみ潰した。空は皮肉なまでに爽やかだった。目に映る冴えた青はあの時の穏やかな青とは全く違っている。そのやさしい色を追い出すため、僕は目をそっと閉じた。
これより半年ののち日本は米英に宣戦、凄絶な戦争に身を投じることになる。